有田稲村の米吉というこどもが、命を助けてやった鯨の背に乗ってアメリカヘ渡り、そこの森の神さまから巨木をもらって帰った。「以前、お米をもらったお礼です」。少年はそういって、巨木を金持ちの家へ贈った。
続きを読む鈴木重秋の暗渠~日置川町(現白浜町)神宮寺~
神宮寺から寺山、安居地区にかけた水田地帯に、いまも古い水路が流れている。「安居(あご)用水」とも呼ばれるそれは、安居の庄屋、鈴木七右衛門重秋の手づくりの暗渠という。
続きを読むおしんの首 ~日置川町(現白浜町)安宅~
日置安宅(あたぎ)の水軍は、戦国から江戸時代にかけ、熊野全域に強い勢力を誇った。
続きを読む三兵衛の義挙 ~上富田町朝来~
江戸時代、朝来村の農民は、厳しい年貢の取り立てに苦しめられていた。その上、その年の稲の出来具合いを調べる「毛見」(けみ)の回数が多く、そのたびに村人たちは、役人に白い飯を炊いてもてなした。
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