生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

鯨のお礼~串本町有田~

 有田稲村米吉というこどもが、命を助けてやった鯨の背に乗ってアメリカヘ渡り、そこの森の神さまから巨木をもらって帰った。「以前、お米をもらったお礼です」。少年はそういって、巨木を金持ちの家へ贈った。

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権八地蔵 ~すさみ町江須ノ川~

 明治の初年、すさみ町里野の東海岸にある大きな洞窟に、三人の親子が住んでいた。父親は伝次、母親はたま、男の子はたまの連れ子で権八といい、毎日、門づけに歩いた。

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小山肆成(こやま しせい)~日置川町(現白浜町)久木~

 久木に、わが国で初めて天然痘の予防ワクチンを開発した、小山肆成の生家跡がある。

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鈴木重秋の暗渠~日置川町(現白浜町)神宮寺~

 神宮寺から寺山、安居地区にかけた水田地帯に、いまも古い水路が流れている。「安居(あご)用水」とも呼ばれるそれは、安居の庄屋、鈴木七右衛門重秋の手づくりの暗渠という。

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おしんの首 ~日置川町(現白浜町)安宅~

 日置安宅(あたぎ)の水軍は、戦国から江戸時代にかけ、熊野全域に強い勢力を誇った。

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市江地蔵 ~日置川町(現白浜町)市江~

  いまから数百年の昔。大阪淀屋の千石船が江戸へ向かっていた。ところが紀伊半島を回るころ、急に空模様が変わり、高波が出て、船は木の葉のように揺れた。

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名馬・興禅寺号 ~上富田町市の瀬~

 紀州藩主に佛の道を説いた富山第二世良遂宗真和尚は、海蔵寺第四世住職を経て、上富田の興禅寺に隠住したが、田舎の不便な暮らしを案じた藩から「興禅寺号」という馬を贈られたという。

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娘鶴 ~上富田町~

  その名の通り、豊かな水田がひろがる上富田の里。だが、かつてこのあたりは、富田川のはんらんで多くの沼ができ、芦が生い茂って、たくさんのが飛来したという。

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三兵衛の義挙 ~上富田町朝来~

  江戸時代、朝来村の農民は、厳しい年貢の取り立てに苦しめられていた。その上、その年の稲の出来具合いを調べる「毛見(けみ)の回数が多く、そのたびに村人たちは、役人に白い飯を炊いてもてなした。

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