生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

おいし山開き&みどりの感謝祭(1996.4.29)

 「イベント回顧録」のカテゴリーでは過去の個人サイトに載せていたイベントの記録などを再掲しています。

 

 今回は平成8年(1996)に行われた生石高原の山開きの記録です。
 生石高原は、現在の紀美野町(旧:野上町)有田川町(旧:金屋町、清水町)にまたがる高原で、標高870メートルの生石ヶ峰を中心に約13ヘクタールのススキ草原が広がっていることで知られています。
生石高原 - Wikipedia

 ここでは毎年4月29日に山開き神事が行われており、同時に餅まきなどのイベントも開催されていますが、本項では平成8年の行事を紹介します。

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山東雑技団(1995)

 「イベント回顧録」のカテゴリーでは過去の個人サイトに載せていたイベントの記録などを順次再掲しています。

 

 はじめは、中国山東省の山東雑技団の公演の様子です。日付がないので詳細は不明ですが、おそらく平成7年(1995)頃のものだと思います。古い記事の再掲なので、画像がかなり汚いのはご容赦ください。

 

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竹原八郎入道 ~北山村竹原~

 元弘元年(1331)、討幕派の一人だった大塔宮護良親王は、難を逃れて吉野、熊野方面に落ちのびて来た。当時、竹原に住んで、一帯に勢力を張っていた十津川奈良県の豪族、竹原八郎入道宗規、甥の戸野兵衛良忠らは、親王を館へかくまった。

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久保の小女郎 ~北山村大沼~

 北山は、文字通り山の中の村だ。北山川の流れに沿って散在する集落は、いつも、ひっそりと静まり返っている。

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和泉式部の供養塔 ~本宮町(現田辺市本宮町)伏拝~

 なだらかな茶畑がひろがる丘陵地。その一段高いところに、伏拝(ふしおがみ)王子の祠。そして、かたわらには、笠塔婆の上に宝篋印塔の塔身とフタを積み上げた、一風変わった石碑もある。平安中期、熊野へ詣でた和泉式部の供養塔という。

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猪笹王(いざさおう) ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

 昔、このあたりの山野を、身の丈一丈(三メートル)もある怪物が、たたらを踏むようにしてかけ回ったという。一つ目で、口は耳まで裂けた、見るからに恐ろしい顔。しかも一本足。人々は、その足音を聞くと「一本だたらや」「猪笹王の亡霊だ」といって、ふるえたとも。

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鼻そげ地蔵 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

 いわゆる「身代り地蔵」話のひとつ。温泉谷の尾根を登った峠に、自然石に刻んだ二体の地蔵があり、左甚五郎にからんだ話が、いまなお語りつがれている。

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一遍上人名号岩 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

 「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華

 峰温泉の道路わきにある「上人爪書きの遣跡」ともいわれる大岩には、こう刻まれていたというが、もうすっかり風化してしまい、いまは中央の「南無阿弥陀仏」の文字だけが、かすかに判読できる程度。

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湯峰と小粟判官 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

 すっかり整備された国道311号線が、渡瀬のトンネルを過ぎると、とたんに九十九析れとなる。それを下りきったあたり、四村川の流れが、つかず離れずといった形で流れ下る。心なしか、湯の香が漂ってくる。そんな思いで握るハンドルは、軽い。

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瀞の主 ~熊野川町(現新宮市熊野川町)玉置ロ~

 は三重、奈良、和歌山の三県境を流れる。あるいは深くよどみ、あるいは急流が岩をかむ。この話は、そんな神秘さをただよわせる瀞にはいかにもふさわしい。

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