2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
年代や場所は不明だが、やはり小鶴谷地方に長者屋敷伝説がある。長者ケ峰に土地の人が「お屋敷」と呼んでいる平地があり、そのあたりか。
標高650メートルの長者ケ峰。広川町と中津村の境界でもある。そのふもと、津木小鶴谷。大小の岩々がそそり立ち、容易に近づけないところに椎木(しいのき)明神がまつられている。一面に椎の木が茂り、ひとかかえ以上もある古木も。
江戸時代の話。広の呉服屋「丸大」に長く投宿していた修業僧が、恩返しにと、自分が刻んだ地蔵尊を置いて行ったとか。小さな石仏なので、「丸大」では「長持ち」に安置していたところ、大津波でほとんどの家財道具が流されたにもかかわらず、長持ちだけはそ…
(「紀州 民話の旅」番外編) 前項で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が明治29年(1896)に英語で記した「A Living God (生ける神)」という物語が、現在に語り継がれている「稲むらの火」の原典であると紹介した。
チャポン、チャポンと、根気よく打ち寄せる小さな波が、西陽に輝やいてみえた。ひっそりとした堤の上に人影はなく、浜風に揺れる櫨(はぜ)の小技だけが、いつまでも、かすかな音を立て続けていた。
吉川の熊野街道沿いに「夜泣松」と呼ばれるところがある。有田市糸我から湯浅町へ抜ける道だが、近年、別の新しい道ができて訪れる人は少ない。
紀州が生んだ大富豪、紀伊国屋文左衛門にちなんだ話は多いが、これもそのひとつ。
「嫁をとるなら糸我の会式 むこをとるなら千田祭り」。 古くから歌にも歌われた糸我・得生寺の会式は、有田市の二大祭りのひとつ。若者たちによる勇社な喧嘩祭り(千田祭り)に比ベ、糸我の会式は、みやびなお渡りと、大勢の娘たちが集まることでよく知られ…
この石は、子供の夜泣きを止める効能があるという。もともと愛宕山のふもとの農道脇にあったが、道路拡張のため掘り起こされ、近くの空き地に祠を建てて、まつられるようになった。高さ、幅ともに2メートルはあろうかという巨岩。
「中野池」「弘法池」ともいう涙池は、飯盛山(標高888メートル)の中腹にあった。恋に破れた雌竜の涙の跡という、奇想天外なこのお話は、スケールが一段と大きくなる。
遍照寺の収蔵庫に大切に保存されている鬼女の面には、角が一本欠けている。その面が、いつごろから遍照寺にあるものなのか、だれも知らない。
山内には、不動尊にまつわる話が多い。中でもよく知られているのが「地蔵不動」「鮑(あわび)不動」「波切不動」などだろう。
底冷えのする薄暗い堂内。30人ばかりのグループが、年とった堂守の絵説きに耳を傾けていた。天井に近い高い壁には、極彩色の絵が30枚。
標高900メートルを越える高地。八葉の蓮華にたとえられる峯々に囲まれた高野山は、真言密教の聖地であると同時に、迷える人をも救う「現世浄土」の地ともいう。
玉川の渓流は、四季折々に、すばらしい風景を描きだす。春から初夏にかけての若葉の青、夏の冷たい流れ、秋の紅葉、冬枯れの河原。そして奇岩怪石の蔭で鳴くカジカ。 その渓流にかかる千石橋のすぐ北。いかつい総ケヤキの乳門を構えた中屋旅館が、ひっそりと…
高野町石道の起点、慈尊院のすぐ上手に、さほど大きくない池がある。
いまから650年の昔、伏原の里が、足利の軍勢に焼き打ちにあったときのこと。
大きなクスノキの下に、小さな祠が三つ。眼病に霊験あらたかという薬師如来をはさんで、向かって左に住吉さん、右にお稲荷さん。
高野山に「貧者の一灯」という話が残る。千年杉に囲まれた奥の院灯篭堂の、入って正面右手。高さ1メートル、直径50センチばかり。 献じたのは、和泉国坪井の里(現、岸和田市)の農家の一人娘、お照。両親の菩提を弔おうと、丈なす黒髪を売り払い、ようやく…
柿畑が続いていた道の両側は、いつの間にかスギとヒノキ林に変わっていた。その道が急カーブを切り、急坂をいくつも越えるところ、それらの林は、みごとな緑の波を打つようになる。 赤士がむきだしになった切り通しを過ぎたとたん、視界がひらけた。天野の里…
国道24号線から南へ少し入ったところに、小さな森がある。夜叉田の森(杜)。 むかし、中国に玉藻前(たまものまえ)と、夜叉田姫という仲のよい女の神さまがいた。
那賀町との境界あたり。紀の川の流れに立ちはだかるように、大きな島がひとつ。「舟岡山」という。
「お大師さん(空海)が、高野山を開かれたころや。ここに高師(たかし)四郎いう道士がおったんや。その道士さん、変くつでな、みんな物狂い道士いうたんや。でもそのうち、梅の木を育てたり、村の人に学問教えるようになって・・・。それで死んだとき、お…
その碑は、ブドウ畑の中にあった。約80平方メートルの広場の奥に、高さ3メートル、幅1.5メートルほどの大きな石碑。表に「義人 戸谷新右衛門之碑」。かたわらの数基の墓石は、県史跡。
曲がりくねった、急坂の細い市道をたどると、コケむしたカヤぶきの庵があった。一休和尚の法兄、大徳寺(京都)五世住職をつとめた養叟和尚隠棲の跡。
あの大盗賊、石川五右衛門が、根来寺にいたという。
根来寺に近い集落の中に「室家番」「室家垣内」と呼ばれる一角がある。そのほぼまん中あたりが、室家右兵衛尉忠家(むろや うひょうえのじょう ただいえ)の屋敷跡とか。
山あいに、かくれるようにして大きな池があった。春まだ浅いせいか、冬枯れの野面には、人の影はなく、動くものといえば、冷たい風にそよぐ枯れすすきだけ。 古来、水にまつわる話は、余りにも多い。この住持が池も、大蛇に化身した深草少将と、絶世の美人と…
町の北、和歌山市に接する山の斜面が、ゴルフ場に生まれ変って久しい。だが、かつてはこのあたり一帯に土蜘蛛(つちぐも)がはびこり、村人たちを悩ましたという。
高野山を源にして59キロ。やがて紀の川に合流しようというあたりの貴志川は、古くからホタルの名所。いま、こどもたちの手で、ホタルの復活運動が盛り上がっている。 そんな貴志川にも、のぞけば思わず引き込まれそうな深い渕がいくつかある。国主渕(くにし…