生石高原の麓から

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復刻&解説「紀州 民話の旅」-06田辺市

鼻そげ地蔵 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

いわゆる「身代り地蔵」話のひとつ。温泉谷の尾根を登った峠に、自然石に刻んだ二体の地蔵があり、左甚五郎にからんだ話が、いまなお語りつがれている。

一遍上人名号岩 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」 湯峰温泉の道路わきにある「上人瓜書きの遣跡」ともいわれる大岩には、こう刻まれていたというが、もうすっかり風化してしまい、いまは中央の「南無阿弥陀仏」の文字だけが、かすかに判読…

湯峰と小粟判官 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

すっかり整備された国道311号線が、渡瀬のトンネルを過ぎると、とたんに九十九析れとなる。それを下りきったあたり、四村川の流れが、つかず離れずといった形で流れ下る。心なしか、湯の香が漂ってくる。そんな思いで握るハンドルは、軽い。

将軍山 ~大塔村(現田辺市)中の俣~

日置川町との境界にある将軍山(標高748メートル)には、日下義龍一族の屋敷跡が残っている。戦いに破れた義龍が、家臣と共にかくれ住んだという。

蛇の川原 ~大塔村(現田辺市)熊野~

熊野(ゆや)川をさかのぼると「蛇の川原」という、気味の悪い沢がある。

救いの太刀 ~中辺路町(現田辺市)道湯川~

鎌倉時代、岩神峠に狂暴な山賊が出た。この辺りは、熊野権現に通じる参詣路。参拝の旅人も絶えてしまった。このため京都の六波羅探題は、「山賊を退治した者には恩賞を取らせよ」と、ふれを出した。

野中の一方杉 ~中辺路町(現田辺市)野中~

継桜王子の境内に立つ十本の老杉。いずれも南へと枝をのばし、北側には枝がない。高さ約10メートル。中には、幹回り8メートルの大木も。

秀衡桜 ~中辺路町(現田辺市)野中~

藤原秀衡が、赤ん坊を「滝尻王子社」裏の岩屋に預けたあと、その子の成長を願って突き刺した杖が根づいたという老桜が、野中の古道のわきにある。

野長瀬一族 ~中辺路町(現田辺市)近露~

国道311号線を近露に入ると、間もなく道の北側に小さな丘陵が見えてくる。その明るい共同墓地の地続きに、野長瀬一族の墓がある。南朝を守った強者たちをまつるその墓には、五輪塔が54基と、宝篋印塔が6基。県文化財。

怪力悪四郎 ~中辺路町(現田辺市)大内川~

昔、十丈峠に、カが強く、とんちにたけた悪四郎という男がいた。

狼の乳岩 ~中辺路町(現田辺市)滝尻~

かつて、きらびやかな王朝貴族が行きかい、おびただしい庶民が「蟻の熊野詣で」の形容そのままに、ただひたすら熊野へと歩を急がせた「熊野古道」。いまや、そのおもかげをとどめるコースは少なくなったが、石船川が富田川に合流するあたりに、小さな社があ…

からし地蔵 ~中辺路町(現田辺市)西谷~

清姫の墓の近くから北ヘ、西谷川にそって2キロほど行くと福巖寺がある。境内のお地蔵さんは、文政6年(1823)、83歳で亡くなった第六世住職、鉄凌道桟和尚をまつったものといい、土地の人は「一願地蔵」とか「からし地蔵」と呼ぶ。

清姫狂乱 ~中辺路町(現田辺市)真砂~

平安の頃、真砂(まなご)の里に美しい娘がいた。名は「清」という。山路に咲く百合のように、その姿は清らかで、村の男たちのあこがれの的だった。縁談は降るようにあったが、清には、心ひそかに想いを寄せる若者がいた。毎年、熊野詣での途中、清の館に立…

からと岩 ~田辺市上秋津~

右会津川をさかのぼると、岩と水のコントラストがすばらしい奇絶峡(きぜっきょう)に着く。その一角に、石の扉をぴったりと閉ざした岩穴がある。「からと岩」という。むかし、金の鶏を入れて石の戸を閉め、上に呪文を刻んで出られないようにしたものだとか…

怪力獺田 ~田辺市稲成町~

昔、稲成の里に、獺田(おそだ)というカの強い若者がいて、阿波の力自慢の相撲取りからカくらべを申し込まれた。そこで獺田は、そばの太い孟宗竹を二本引き抜き、二本の指で押しつぶして褌(ふんどし)をつくり、一本を相手に渡した。

高山寺 ~田辺市稲成町~

「お弘法さん」と、土地の人たちに親しまれている高山寺は、紀南地方きっての名刹。真言宗御室派の寺院で、聖徳太子の創建といい、太子堂には太子自作の像が、また御影堂には、弘法大師が糸田川の渕に自からの影を写して刻んだと伝えられる像が安置されてい…

ショウジョウの釣場 ~田辺市元町~

昔、田辺の浦に、笛がたいそう巧みな若者がいた。ある日、立戸の浜で笛を吹いていると、美しい娘が現われ、流麗な音色に聞きほれた。

蟻通しの神さま ~田辺市湊~

田辺の商店街にある「蟻通神社」には、とても頭のよい神さまがまつられているという。

武蔵坊弁慶 ~田辺市湊~

国鉄紀勢線紀伊田辺駅に降り立つと、まず大きな像が目に飛び込んでくる。頭布をかぶり、大なぎなたを手にした。いかつい弁慶。

鶏合わせ ~田辺市湊~

国鉄紀伊田辺駅前の商店街の近くに、大きな鳥居の社がある。熊野三山のひとつである本宮大社の分神で、保安(1120年代)のころ、本宮を治めた別当湛快が、新熊野権現(いまくまのごんげん)としてまつったといい、人はこの社を闘鶏神社と呼ぶ。

出合いの渕の河童 ~龍神村(現田辺市)大熊~

龍神は、村の95%強が山林という秘境。その奈良県境に近い、奥まったところに大熊の集落が散在する。「がたろう渕」・・・むかし、河童がいたという「出合いの渕」は、そんなところにある。

龍神温泉と天誅組・大菩薩峠

(「紀州 民話の旅」番外編) 別項「枕がえしの怪」のメモ欄で言及されていた「天誅倉(てんちゅうぐら)」は、現在の田辺市龍神村小又川地区にある民家の土蔵のことを言う。ここは、文久3年(1863)、尊皇攘夷を訴えて大和国(現在の奈良県)で挙兵した「天…

龍神温泉と役行者・弘法大師

(「紀州民話の旅」 番外編) 前項「枕返しの怪」で取り上げた旧龍神村(現在の田辺市龍神村)の名の由来は、弘法大師(空海)が龍王の夢のお告げによりこの地に温泉を開き、そこを「龍神温泉」と名付けたことによるものと言われている。この温泉は美肌効果…

枕がえしの怪 ~龍神村(現田辺市)小又川~

役の行者がみつけた湯を、弘法大師が難陀竜王の夢のお告げで開いたことから、「龍神」と呼ばれるようになったという龍神村。その小又川から十津川越えをする途中に「蟻の越え」の難所があり、そこに樹齢数百年のモミの大木があったとか。