生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

旧小川村 明治の終わり頃

我が家のアルバムには、ふるさとの民俗や習慣を記録したたくさんの写真が残されています。
 中には、明治や大正時代の田舎生活をよく表した貴重なものもありますので、Web上で公開させていただきます。
 なお、これらの写真は地元の小川(おがわ)小学校の課外授業として私の父が行った講演を再構成したものですので、コメントは小学生を対象にした書き方になっています。

----------

明治の中ごろは、小学校は4年生でおしまいでした。
そのうち、6年生まで勉強できるようになったのです。

 

学校が出来たころ。 

f:id:oishikogen_fumoto:20200506165212j:plain

f:id:oishikogen_fumoto:20200506165252j:plain

 

はじめて学校にオルガンがはいった。(明治35年ごろ)

f:id:oishikogen_fumoto:20200506165356j:plain

 

現在のJA小川支店の場所にあった昔の小川小学校(明治45年ごろ)

f:id:oishikogen_fumoto:20200506165439j:plain