生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

旧小川村 昭和20年代

我が家のアルバムの中から、地元の昔の民俗や習慣を記録した写真をピックアップしてご紹介します。 なお、これらの写真は地元の小学校の課外授業として私の父が行った講演を再構成したものですので、コメントは小学生を対象にした書き方になっています。

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昭和20年代には、かやぶき(わらぶき)の家がまだたくさん残っていました。(昭和27年ごろ)

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まだ家庭にはガスが普及していなかったので、ごはんは「まき」で炊いていました。これは「まき」を運んでいるところです。(昭和26年ごろ)

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車の通れる道がなかったので、木材を「イカダ」で運んでいました。(昭和27年ごろの貴志川)

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木材を山から運び出すのに、「架線(ロープウェー)」を使うようになりました。(昭和27年ごろ)

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かつての小川(おがわ)小学校の校舎

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制服を着たうれしい一年生(昭和27年)

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