我が家のアルバムの中から、地元の昔の民俗や習慣を記録した写真をピックアップしてご紹介します。 なお、これらの写真は地元の小学校の課外授業として私の父が行った講演を再構成したものですので、コメントは小学生を対象にした書き方になっています。
----------
産業のようす
米や麦のほかに柿やみかんが作られていましたが、薪や炭もたくさん作られていました。
ヤシに似た棕櫚(しゅろ)という木が小川地区の特産で、この木の上部にできる繊維をほぐしたものが魚網やタワシ、ほうき、ロープなどの原料として使われていました。
文化のようす
生石高原では、毎年8月に若者による「意見発表会」が行われていました。
この頃になると、レジャーとして生石高原へ登山する人がだんだん多くなってきました。
生活のようす
お宮まいり。
こいのぼりがあちこちに上がるようになりました。
学校へ着ていく服がだんだんおしゃれになってきました。(昭和36年)
オモチャもいろいろ。
ようやく白黒テレビが家庭に入ってきて、西部劇やアニメをみるようになりました。
お誕生日にはケーキを買ってもらい、クリスマスツリーも飾られています。
昭和39年ごろの小川保育所の制服。