生石高原の麓から

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白髪餅 ~和歌山市直川~

 「直川観音」ともいう本恵寺は、大宝(8世紀初頭)のころ、役小角(えんのおづぬ=役行者)が開いた古刹という。のち、桓武天皇(782~805年在位)の勅願寺になったといい、向拝は珍しい紫宸殿づくり。

 
 直川まつりの4月18日、ここで餅役げが行われるが、つい最近まで、参詣者たちに、直径2センチばかりの白い餅を渡した。これが白髪餅。

 

 寛文元年(1661)、愛娘の白髪に悩んだ大岡六太夫という紀州藩士が、本尊の十一面千手観音に祈願。たちまち黒髪に戻ったことから田畑を寄進、供養の餅投げをしたのが、そのいわれだと。


 慶長19年(1614)の再建という観音堂の前からは、和歌山の街並みが一望でき、春の桜、初夏のツツジ、秋の紅葉と、四季を通じた景観も楽しめる。

 

(メモ:本恵寺(直川北千手)へは、県道粉河加太線から千手川ぞいに北へ約1キロ。国鉄阪和線六十谷駅から徒歩約20分。)

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

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本恵寺
  • この物語について、和歌山市が昭和57年(1982)に発行した「和歌山むかしむかし」という書籍には次のように紹介されている。

直川の白髪餅
 今から千年ほど昔のことである。
 紀州大岡六大夫助直という武士が住んでいた。長い間、恵まれなかった子宝に恵まれたので大岡の家では大喜びであった。
大岡様のお屋敷で女の子が生まれたそうな。
 村人も一緒になって喜び合った。
 ところが、日が経つにつれて娘の髪が白くなって来た

 驚いた両親は、
どこかにいいお医者はいないか。
と、よく診たてるという医者があると聞けば来てもらって薬を飲ましたが、さっぱり効きめはなく、髪は白くなるばかりであった。
 そのうち、娘もだんだん成長して、ほれぼれするような美少女となった。
かわいそうに、あの器量よしが白い髪で。
と、村人達は同情した。
 助直夫婦は諦めきれず、風の便りに若山(和歌山)直川(のうがわ)観音が霊験あらたかで、願いを聞いてくれる、と耳にして出かけた。
どうか、この娘の髪を黒くして下さい。
と、拝殿に額いて一心に祈り続けた。
 やがて、夕闇が本堂を包みはじめた頃、突然目もくらむような光が、本堂の後の山の頂きに現われた。
あっ、あの光は!
と、親子が驚いていると、光りはますます明るさを増して親子を照らし出した。
 両親と娘は、一そう熱心な祈りを捧げていると、光の中から一条の光芒が走って娘の頭上で消えた。
あっ!
と、声をあげて顔を伏せた娘の頭を見て、両親は思わず声をあげた。
髪が、髪が黒くなっている!
 あんなに白かった髪が、光の中に黒々と濡れたように光っていた。
 六大夫は願いがかなった嬉しさに、観音様に田地を寄進し、その田んぼからとれる米で餅をつき「白髪餅」と名付けて、餅投げをするようになった、ということである。
(文・伊藤孝文)

 

  • 本恵寺(ほんけいじ)を開創したと伝えられる役小角飛鳥時代の呪術者で、役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれる。修験道の開祖とされ、鬼神を配下にするほどの呪術力を有し、「前鬼」「後鬼」と呼ばれる二体の鬼を弟子にしたとも伝えられている。実在の人物とされるが、巷間伝えられるエピソードには単なる伝承や創作も多い。
  • 役小角 - Wikipedia
  • 本尊の千手千眼の観音像役行者自身の作であると伝えられる。また、桓武天皇については延暦23年(804)に天皇が勅使を遣わして読経したとの記録が残されている。
  • 本恵寺は、もともとは背後にある大福山中の「弁天の窟」と呼ばれる場所にあり、真言密教霊場であったが、興国寺由良町)の開祖である法燈国師霊夢に基づいて正安元年(1299)に現在地へ移されて禅宗となり、江戸時代の天和3年(1683)に新宮城主であった水野源重日蓮宗に改宗し、現在の「大福山 本恵寺」という名前になったと伝えられる。

 

  • 本恵寺の前を通り谷沿いに山中に向かうと、「墓の谷 行者堂」がある。ここは、役小角が修行のため大峰山に籠もっていた際、母である白専女(しらとうめ)が息子の身を案じて跡を追おうとしたものの、女人禁制のため山に入れなかったことから、この地で大成を念じながら没したと伝えられている場所である。後に、役行者が「妓楽」、「妓女」という二体の鬼をこの地に遣わせてその霊を祀ったことから、この地を「墓の谷」または「母の谷」と呼び、母が子の大成を願う霊地として多くの信仰を集めることとなった。本恵寺では、この「墓の谷」の諸行事も行っており、縁日以外のご祈祷等は本恵寺において行われる。

    www.nwn.jp

 

  • 地名の「六十谷(むそた)」は「墓の谷」に由来するとされており、「墓所谷(むしょたに)」が転じて「むそた」となり、これに「六十谷」の字をあてたものと言われる。

 

  • 向拝(こうはい)」とは、寺社において仏堂や社殿の正面に本屋から張り出して庇(ひさし)を設けた部分を指す。

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。