かつて瑞林寺の本尊、阿弥陀如来像が泥棒よけにご利益があると、多くの参詣者たちでにぎわったという。
だが、住宅街の中にひっそりと立つ、さほど大きくもないお堂は、シーンと静まり返っていた。もういまは、そんなことで足を運ぶ人もいなくなったのだろうか。
ある朝のこと。いつものように、お勤めをしようと河弥陀さんの前に座わった住職。ふと見上げると、何と阿弥陀さんの体が、ぐっしょりぬれているではないか。「本尊さんが汗をかくとは…。これはおかしい」と、住職が本堂の中を調べたところ、いつもいくらかのお金が入っているサイ銭箱が空っぽ。
汗をかいて盗難を教えてくれた阿弥陀さん。
以後、こんな話が近辺にひろまった……と。明治はじめごろの話という。
(メモ:瑞林寺(松ケ丘二丁目)ヘは、国道42号線の水軒口交差点を西へ入り、二つ目の交差点を北へ約100メートル。)
汗かきアミダさん
親から聞いた話やけど、ずいりん寺の「汗かきアミダさん」ちゅうて、泥棒よけによう効く、ちゅうて評判になったらしいわ。
なんせ明治の時分、先々代のお坊さんが朝のおつとめの時、アミダさんが汗かいてあんので「こらなんどあったんかいなあ」ちゅうて調べてみたら、オサイセン泥棒入っちゃったんやてえ。“アミダさん汗かいて教えてくれた”ちゅうわけや。
そんなことから「泥棒よけにええ」ちゅうてようお詣りに村の人ら行ったちゅうことや。
[話者=原芳徳(西浜) 記録=伊藤]
- 阿弥陀如来は西方にある極楽浄土(西方浄土)の教主とされており、特に浄土真宗では「三世十方の諸仏の本師本仏(ほんしほんぶつ)」と位置付けられている。これは、全ての仏はみな阿弥陀如来の教えを受けて仏になったのであり、阿弥陀如来こそが全ての仏の師であるという意味である。
- 類似の伝承は栃木県宇都宮市の一向寺にも伝えられている。同寺にある阿弥陀如来像(一向寺銅造阿弥陀如来坐像)が「汗かき阿弥陀」と呼ばれているが、こちらはややスケールが大きく、戊辰戦争、関東大震災、太平洋戦争など、国家の危機が迫った際に汗をかいて知らせたという。この伝承について、「宇都宮の歴史と文化財」というWEBサイトでは次のように紹介している。
汗かき阿弥陀
むかし、長楽寺というお寺に阿弥陀さまがつくられました。この阿弥陀さまは、宇都宮で何か悪いことが起こりそうなとき、「からだに汗をかく」と昔からいい伝えられています。
これまでにも、1723年の五十里洪水や1869年の材木町の大火、1923年の関東大震災などの災害のとき。 また、1597年の宇都宮氏滅亡や1868年のぼしん戦争、1941年の太平洋戦争のときにも汗をかきました。
人々は「汗かき阿弥陀さま」と呼び、長く信仰してきました。長楽寺は、のちにお寺がなくなってしまい、その後阿弥陀さまは西原町の一向寺に安置されました。戊辰戦争では 、一向寺のまわりが火におおわれましたが、寺に火の手がかかろうとしたとき、汗かき阿弥陀の化身が本堂の屋根にまたがり、滝のような汗をかいて火を防いだといわれています。
汗かき阿弥陀1 | 宇都宮の歴史と文化財
- 瑞林寺の住職であった伊藤孝文氏(1922~2010)は、現在もなお和歌山市はじめ県内各地の小学校の運動会で歌い継がれている「運動会の歌」の作詞者である。これは昭和31年(1956)に和歌山市教育委員会が「運動会の歌」を募集した際に、当時名草小学校教諭であった伊藤氏の歌詞が採用されたもの。歌詞は次のとおり。
みどりの風に 朝を呼ぶ
仰ぐ青空 心は踊る
ああ夢わく日 楽しく集い
花と開く 運動会
いざ友よ 希望明るく手を組んで
明日の日本を 背負うのだ
燃ゆる大空 明日を呼ぶ
輝く雲に 心は円(まどか)
ああ夢わく日 楽しく過ぎて
憧れ結ぶ 運動会
諸共に 伸びる我らに幸あれと
若い希望は 微笑むよ - 和歌山市を中心に配布されているコミュニティ紙「ニュース和歌山」の「和歌山謎解き代行社」のコーナーにおいて、「運動会の歌」が作られた経緯が紹介されているので以下に該当部分を引用する。
「なぜ運動会の歌があるの?」。和歌山市教委の竹内圭さんに聞きました。
きっかけは、1953年7月に起こった紀州大水害でした。前線による豪雨が県内を襲い、24時間で500㍉と記録的な雨で、熊野川や日高川がはん濫し、死者、行方不明者は1000人を超えました。
この水害からの復興が進んでいた56年、被害の少なかった同市の教委が、子どもたちに元気や希望を届けたいと『運動会の歌』を募集。当時、小学校教員だった故・伊藤孝文さんの歌詞と、中学校教員だった故・秦野和夫さんの曲が選ばれました。すると、運動会にこの歌を歌う小学校が県内に広がりました。竹内さんは「ただ、今では和歌山市内でも歌わない小学校が増えています。私も小学生のころに歌っていたので、なくなっていくのは寂しいですね」と残念そう。
(以下略)
(ニュース和歌山/2019年9月21日更新)
- その後、伊藤氏は雄湊小学校長を最後に退職、和歌山文化協会会長に就任し、H18年(2006)に郷土文学研究家として和歌山市文化表彰・文化賞を受賞している。
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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。