生石高原の麓から

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やけど観音 ~下津町(現海南市)小原~

 800年ほど前というから、鎌倉初期の話か。小原にある正福寺に雷が落ち、村全部が焼けてしまった。

 

  日照りが続いた翌年、待望の雨が降ったが、そのうち境内で、雷が落ちたような大きな音がした。だが、火の手はみえず、代わりに本堂の観音さまと、雷のやりとりの声が聞こえてきた。「お前はどうして落ちてくるのじゃ。この里は前にも、お前のために丸焼けにされてしもうた。二度と落ちないと約束しなさい」「痛い、痛い。わかりました。もう落ちませんからその手を放して下さい」。どうやら観音さまが、イタズラ雷をやっつけている様子。すっかり静かになったので、観音さまの手をみると、真っ黒にこげていたが、お蔭で小原の里には、もう二度と雷は落ちないとか。

 

(メモ:小原地区は、国道42号線から小原川に沿って東へ約1キロ。もうひとつ海南寄りに流れる宮川に沿って1.5キロさかのぼると、紀州徳川家の廟所のある長保寺がある。)

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

  • かつて小原地区から有田郡中島村(現在の有田川町上中島)へ抜ける街道があり、「小原越え」と呼ばれた。当地より東側の「蕪坂(かぶらざか)峠」が一般化する前の熊野古道であったとも言われ、「紀伊国名所図会」には、「若山より有田郡へゆくに、浜中の地を経て、此峠をこゆるもの多し」とある。
  • 現在「正福寺」は廃寺となっているが、伝承によれば後醍醐天皇から寺領を寄進されたこともある古刹であったとされる。
  • 現在同地にある「明秀寺」の境内には観音堂があり、正福寺の廃寺後に同寺の本尊を安置するために建てたものと伝えられている。この本尊とされる像が「やけど観音」であろう。(以上3項目は「和歌山県地名大辞典(角川書店)」を参考とした)

  • 同地区から約4キロメートル北東にある橘本地区の「岩屋山金剛寿院福勝寺」は弘法大師空海が開いた霊場とされ、空海が刻んだとされる本尊の千手観世音菩薩は「旅立の観音」「厄除の観音」そして「雷除けの観音」として霊験があると伝えられている。
  • メモ欄中、「長保寺(ちょうほうじ)」は、海南市下津町上にある寺院。寺伝によれば、平安時代中期の長保2年(1000)、一条天皇の勅願により慈覚大師円仁の弟子の性空によって創建された。寛文6年(1666)、紀州徳川家初代藩主徳川頼宣紀州徳川家菩提寺に定め、紀州徳川家歴代藩主の墓がある(ただし、5代藩主吉宗(8代将軍)と13代藩主慶福(後の14代将軍家茂)の墓は東京の寛永寺増上寺にある)ことで知られる。本堂・多宝塔・大門は国宝。

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。