生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

瀧の井戸 ~高野口町(現橋本市)名古曽~

 大きなクスノキの下に、小さな祠が三つ。眼病に霊験あらたかという薬師如来をはさんで、向かって左に住吉さん、右にお稲荷さん。

 

 「昔は、ここたりまで井戸ありまして
 すぐ近くのおじいさんが説明してくれたそのあたりは、きれいに舗装された広場だった。そして、めざす池はお稲荷さんのすぐ下。タテ1.5メートル、ヨコ3.5メートルばかり。

 日照りに苦しむ村人をみかねた弘法大師が、ツエで地面をたたいて水を掘り出したという池は、かつては、どんな干ばつにも枯れることなく、冷たい清水がコンコンとわき出ていたという。だがいまは、コンクリートできっちりと仕切られ、昔のおもかげはなかった。

 数十年前までは、お稲荷さんの背後にも瀧があったとか。でも、そこもブロックがきれいに積み上げられ、昔はクワ畑だったという上の台地にも、家がひしめき含っていた。 

(メモ:国鉄和歌山線高野口駅から歩いて約5分。通称「浦の段の滝の井」。土地の人たちは「うらんだの井戸」という。)

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

 

  • 瀧の井戸」については、江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊風土記」の「南名古曽村」の項に次のような記述がある(巻之四十四 伊都郡第三)

瀧の井戸

村の乾(筆者注:いぬい 北西)五町(筆者注:約550メートルばかりにあり
清水沸突せり
里人 用水とし其の余も田五十石ばかりの地を養ふといふ

筆者注:当時はおおむね一反(約1,000平方メートル)あたり約一石(約150キログラム))の収穫があったとされるので、「五十石」は約5ヘクタールに該当すると考えられる

 

大字名古曽(なぐす)浦ノ段にあり。
清水盛(さかん)に湧出し、附近の人飲料水に供する外、田畑に灌漑す。
此附近に瀧井寺と称する寺院あり。
今、北名古曽に移る。
昔は本堂の外三坊あり、本堂には薬師如来を安置せり。
高野山の葛城先達毎年此処にて七日間の水垢離をなして後帰山する例なりしといふ。

 

  • 伊都郡誌に記載のある瀧井寺は、JR高野口駅から東方約1キロの位置にある。境内には「弘法大師不老水 瀧井之跡」の石碑が建てられており、井戸跡が残されている。

不老の瀧井旧蹟
弘法大師高野山開創の砌(みぎり)、八町四方の伽藍でありし名古曽廃寺に錫(しゃく 僧の杖)を留め万民の浄福を祈りて、薬師如来の実像を刻み、身とこころの病患を癒やす不老の浄楽を残せりと伝う。

 

  • また、瀧井寺の本堂前には「瀧井寺再建の疏(そ 上奏文)」の石碑があり、次のような記載がある。

不老山瀧井寺は、弘法大師高野山開創の砌(みぎり)
錫を名古曽廃寺に留め、
佛縁深きこの地に不老の清水のあることを教え、
薬師如来の霊像を刻みて、
住民の長寿と平安浄福を祈りし霊蹟なり。
長徳4年(998年)祈親上人定誉(きしん しょうにん じょうよ)42歳の時、
この地を尋ね厄除けの護摩を修せし文献と共に、
その霊験は長く伝承され来るも
天災兵乱の災禍により当時の面影を偲ぶに由なく、
一宇を残せしも、明治維新の廃佛棄釈の法難により無住となる。
爾来幾度か修復を重ね護持に尽力し来れるも、
荒廃の度ついに改修の及ぶ能わざるところとなりけり。
この度、先祖菩提、子孫浄福、郷土発展を憶念せし檀徒の熱願が熟し、
本堂並びに庫裡再建の浄業を達成するに至る。
佛天の冥護、期して待つべきものあり。
ここに、再建の素懐を誌し、御寄進功徳主の法名を刻み、
霊蹟の永く伝えるものなり。 合掌
  昭和六十三年三月吉祥日
    瀧井寺兼務住職 大僧正 谷本嘉隆

※参考:ぐるりん関西「高野口ウォーク」高野口ウォーク

 

  • 瀧の井戸から北西約300メートル(高野口駅から西約50メートル)に「殿の井戸(とうのいど)」というもう一つの井戸がある。これは、現在の高野口駅から北方の庚申山(現在の高野口公園)までの一帯に一連の居館群を備えていた通称「名倉城(なくらじょう)」の水源であったとされる。
  • 名倉城は、室町時代から戦国時代にかけて官省符荘高野山寺領の中心的な荘園)の管理にあたっていた荘官のうち、「荘官」と称される最有力の四氏族(高坊氏田所氏亀岡氏岡氏)の一である亀岡氏の居館であった。「多聞院日記奈良市の多聞院で140年間書きつがれた日記)」の永禄10年(1567)の項には「晦日紀州イトノ郡ナクラト云城迄連判衆二千ほどにて立了」等との記載があり、紀伊守護畠山高政根来寺連判衆ら合計約3,000名が名倉城に入城したとみられることから、当時はかなり大きな施設であったと考えられる。
    (参考:角川日本地名大辞典 30 和歌山県角川書店 1985))

 

  • 瀧の井戸は、和歌山県が昭和62年(1987)に選定した「紀の国名水50選」のうちのひとつである。ちなみに、この時に選定された名水は次のとおりである(環境省が選定した全国規模の「名水百選」を含む)。

環境省選定 名水百選(昭和)
Ⅰ 紀三井寺の三井水:和歌山市紀三井寺
Ⅱ 野中の清水:西牟婁郡中辺路町野中(現田辺市

和歌山県選定 紀の国名水50選
1 憑夷(ふうい)の滝:和歌山市井辺
2 武内宿禰誕生井(たけうちのすくねたんじょうい):和歌山市松原83番地
3 黒牛の水:海南市黒江931
4 立神の水(たてがみのみず):海草郡下津町引尾72(現海南市
5 龍王水(りゅうおうすい):海草郡野上町中田滝山(現紀美野町
6 達磨石峡谷(だるまいしきょうこく):海草郡美里町滝の川地内(現紀美野町
7 花野の弘法井戸(けやのこうぼういど):那賀郡打田町花野(現紀の川市
8 お大師さんの井戸:那賀郡粉河町東野104番地先(現紀の川市
9 深山渓谷(みやまけいこく):那賀郡桃山町細野根来窪(現紀の川市
10 国主淵(くにしふち):那賀郡貴志川町国主(現紀の川市
11 不動の滝:橋本市山田(庵の平)
12 三重の滝(さんじゅうのたき):伊都郡かつらぎ町
13 文蔵の滝(ぶんぞうのたき):伊都郡かつらぎ町東谷
14 滝の井戸:伊都郡高野口町名古曽1076番地(現橋本市
15 丹生の滝(にゅうのたき):伊都郡九度山町丹生川
16 水向地蔵(玉川)の水(みずむけじぞう(たまがわ)のみず):伊都郡高野町高野山
17 角間木谷川(かくまぎたにがわ):伊都郡花園村梁瀬角間木(現かつらぎ町
18 有田川(ありだがわ):有田市
19 藤滝(ふじたき):有田郡広川町上津木
20 姥ケ滝(うばがたき):有田郡吉備前田角地内(現有田川町
21 次の滝(つぎのたき):有田郡金屋町延坂(現有田川町
22 上湯川峡(かみゆかわきょう):有田郡清水町上湯川(現有田川町
23 五段の滝(ごだんのたき):有田郡清水町下湯川(現有田川町
24 水滝不動瀑(みずたきふどうばく):日高郡日高町原谷字水谷
25 大滝川御滝(おおたきがわおたき):日高郡川辺町大滝川(現日高川町
26 鷲の川の滝(わしのかわのたき):日高郡中津村田尻本谷(現日高川町
27 錫杖の水(しゃくじょうのみず):日高郡龍神村龍神小森734(現田辺市
28 三里ケ峰の湧水(さんりがほうのわきみず):日高郡南部川村市井川(現みなべ町
29 瑠璃井(るりい):日高郡南部町東岩代2059番地(現みなべ町
30 菱の滝(ひしのたき):日高郡印南町川又唐尾
31 奇絶峡(きぜつきょう):田辺市上秋津
32 ふる道の水のみ(ふるみちのみずのみ):田辺市秋津川
33 瑠璃光薬師霊泉(るりこうやくしれいせん):西牟婁郡白浜町十九渕1116の5
34 夫婦滝(めおとだき):西牟婁郡中辺路町内井川(現田辺市
35 百間山渓谷(ひゃっけんざんけいこく):西牟婁郡大塔村熊野(現田辺市
36 救馬渓観音お滝(すくまだにかんのんおたき):西牟婁郡上富田町生馬313
37 志原渓谷(しはらけいこく):西牟婁郡日置川町日置(現白浜町
38 琴の滝(ことのたき):西牟婁郡すさみ町上戸川(広瀬谷渓谷)
39 吐生のお滝さん(はぶのおたきさん):西牟婁郡串本町吐生(現東牟婁郡
40 神倉山の水(かみくらやまのみず):新宮市神倉一丁目
41 高田川(たかだがわ):新宮市高田
42 那智の滝(なちのたき):東牟婁郡那智勝浦町那智山地内
43 重畳山の冷水(かさねやまのしみず):東牟婁郡古座町伊串861(現串本町
44 古座川峡(こざがわきょう):東牟婁郡古座川町
45 滝の拝(たきのはい):東牟婁郡古座川町小川
46 鼻白の滝(はなじろのたき):東牟婁郡熊野川町田長(現新宮市
47 宝龍滝(ほうりゅうだき):東牟婁郡熊野川町滝本(現新宮市
48 小々森の清水(こごもりのしみず):東牟婁郡本宮町小々森井戸の岸(現田辺市
49 平治の滝(へいじのたき):東牟婁郡本宮町平治川下平治(現田辺市
50 奥瀞峡(おくどろきょう):東牟婁郡北山村

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。