生石高原の麓から

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長者屋敷の話 ~広川町津木~

 年代や場所は不明だが、やはり小鶴谷地方に長者屋敷伝説がある。長者ケ峰に土地の人が「お屋敷」と呼んでいる平地があり、そのあたりか。

 
 ここに、都から嫁をもらった男がいた。ある日、男は嫁に買い物を頼まれ、黄金を渡されたが、その途中、山では見られないカモメが飛び交っていたため、懐の黄金を全部投げつけてしまった。そして、何も買わずに帰って、嫁に「あれはいつもの小銭とは違うのに」と叱られたものの「あんな黄金なら、ここにいくらでもある」とケロリ。嫁を連れて馬酔木(あせび)の株の根元を掘ると小判がざくざく出てきた。おかげで二人は、いつまでも幸福に暮らせたという。

 

 この話には異説もあり、長者ケ峰の由来になっているかどうかは、はっきりしない。

 

(メモ:山に登れる道はないが、町内では最も高く、広川ダムあたりからはよく眺められる。)

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

長者ヶ峰頂上付近の林道

 

  • この話は、荊木淳己編著「むかし紀の国物語(宇治書店 1977)」に「いもほり長者」のタイトルで紹介されている。

 有田郡広川町の下山田の奥に、高さ650米の長者カ峰という山がそびえています。
 この山は、日高郡中津村との境界を形づくっている白馬山脈の中でも、最も高い山ですが、むかしむかしのこと、この長者カ峰に一人のおじいさんが住んでいました。
 おじいさんは、秋から冬にかけて、毎日、山へ出かけて自然に生えている山芋を堀って、麓へ降リてゆき、そして米・麦などに代えて暮らしをてていたのです。
 ある日のことです。おじいさんは、今日も山へ芋堀りに出かけました。山芋というのは、真っ直ぐにずうーと下の方まで細長く生えているのですから、丁寧に丁寧に堀らなければなりません。途中でポキンと折れてしまうと、もう何の値打ちもなくなってしまうのです。
 ですから、おじいさんも丁寧に丁寧に掘っていました。すると鍬の先にカチリという音がして、何か当るものがあります。
おかしいな。こんなところに石でも埋まっているのかしらん
そう云いながら、少しづつ堀りひろげてゆきますと、土の中から一つのが出てきました。
ふーむ、おかしなものが出てきたな。一体、何が入っているのじゃろ。ドレドレひとつ開けてみることにするか
そういいながら、土を払って、蓋をこじあけて見ますと、これはびっくり。中にはキラキラと山吹色に輝く黄金が一杯に入っています。
 おじいさんは、腰をぬかさんばかりに驚ろきました。無理もありません。一年働いても、この黄金何枚にもならない山芋堀りの暮しでしたから・・・。
 おじいさんは、
このお金を使って、ここに家を建て、ここに住めよ・・・という神様のお告げに違いない
と考えて(もうお金を貯めて里へ降りて暮らそうなどとは思うまい・・・)ときめ、このお金で立派な家を建てました。
 麓の人々は、おじいさんのことを「山の長者さま」と呼ぶようになりました。

 

 このおじいさんには一人の息子があったのですが、いつも山芋堀りを手伝ってくれたり、山の木を伐りだしたりして働いているやさしい気立ての息子でした。年頃になっていましたので、おじいさんは、を迎えてやることにしました。

 

 山の上に住んでいるおじいさんですが、何しろ「長者さま」という評判はあちこちにまで聞こえていましたので、山城の国角倉という家の、美しいお姫さまが嫁にくることになりました。
 いよいよお姫さまが嫁入りされますと、いままでさびしかった長者屋敷は、まるで春がきたような賑わいです。
 さすがは都近くに育ったお姫様のこと・・・持ってきた衣裳は大へんなもので、金糸銀糸をふんだんに使ってあり、風通しのため衣裳をつらねて外へ干しておくと、四方に輝きわたって、遠くは広の海までとどき、その怪しい光をおそれて魚がとれなくなってしまうという騒ぎです。

 

 この嫁御を貰ってからも、息子は毎日おじいさんと、せっせと芋堀りや山の木の伐り出しに出かけました。
 時折り、暮らしむきに必要な品を買いに、山を降りて湯浅の町まで出かけるのですが、息子はそのたびごとに嫁からお金を出して貰って、町へ出かけるのでした。
 ある日のことに、湯浅の町まで行こうと道を急いで、広橋のところまでやってきました。するとカモメが群をなして舞っています。また何十羽かのカモメは、河原に降りて餌をあさっていました。
 山では見たこともない白い鳥を見て、息子はつかまえて嫁御の土産にもって帰ってやりたいと考えたのです。それでついフトコロの黄金を取り出し、カモメをめがけて投げつけたのですが、残念にも命中しません。
 また一枚・・・また一枚・・・と、とうとう懐中にある黄金全部を投げてしまいました。お金が無くなってしまったので、息子は仕方がなく、手ブラで戻ってきますと、嫁御はカンカンに怒って
いつもお渡しする小銭ではありません。あれは黄金で、この世で一番大切な宝です。まァ一体、あなたは何んという人でしょう
と、はてはポロポロ涙をこぼして泣きはじめるのです。

 しまいには、
もう私はあなたとは暮してはおれません。
 お暇をいただいて、京へ帰らせてもらいます
とまで云い出す始末です。
 息子は大層驚ろいて
それは知らなんだ。のう嫁御よ、許してくれや。それにあんなものが、そんなに大切な宝なら、何んぼでもあるんじゃ
そう云って裏の山へ嫁御を連れてゆきました。
 大きな木の根元へ行き、鍬を入れてどんどん堀りますと、また大きな壺が出てきました。勿論、中には黄金がいっぱいにつまっています。
 こんどは息子も、カモメにぶつけるような馬鹿なことをせず、大事に使って嫁御と仲良く暮らしたということです。
 この峰に、2アールほど平地になっているところがあり、土地の人は今でもここを「お屋敷」と呼んでいます。

 

  • 和歌山県が管理運営しているWebサイト「和歌山県ふるさとアーカイブ」でも「長者屋敷伝説」としてこの物語を紹介しているが、ここでは姫君の衣装を虫干ししているとあまりのまぶしさで魚が湾内に近寄らなかったというところまでを本筋として、息子がカモメに黄金を投げつけたというのは別伝としている。また、異伝として、長者屋敷の光を不審に思った阿波(徳島県)の娘がこの地を訪ねてきて、息子と夫婦になったとも伝えられているとのことである。
    和歌山の民話 長者屋敷伝説
    広川町:長者屋敷伝説 | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

  • 上記の「和歌山県文化情報アーカイブ」内の「民話の解説」という項では県内に伝わる様々な民話の分類などを行っているが、ここでは広川町に伝わる上記の物語が中津村(現:日高川町にも伝えられているとする。しかしながら、中津村の伝承では、これが鴻池(こうのいけ)(江戸期における日本最大の財閥)の発祥につながる物語として伝えられているようである。
    民話の解説 | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

ちょうじゃがみね 長者ケ峰

 有田郡広川町と日高郡中津村の境にある山。標高650.6m。有田・日高の郡境白馬山脈の西部に属し、日高川水系伊佐の川と広川支流小鶴谷を東西に分水している。広川ダムのある滝原から3.5kmの林道が、小鶴谷に沿って設けられているが、そこから先は山道となる。峰には約2aほどの平地があり、土地ではお屋敷と呼ばれる。長者伝説があるところから,山名もこれにちなんだものであろう

 

  • 前述の「角川日本地名大辞典」が執筆された時点では小鶴谷(こうづや)から長者ケ峰への林道(林道小鶴谷線)は未完成であったが、現在は自動車が通行可能となっている。また、長者ケ峰の山頂付近を通り東西に繋がる森林基幹道白馬(しらま)(通称:白馬林道が開通しており、日高川町(室川峠)から長者ケ峰、白馬山を経由して高野竜神スカイラインまで約50キロメートルを結んでいる。

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。