弘法大師が、聖地を求めてあちこちを訪ね歩いていたときのこと。やがて生石山(おいしやま)にたどり着いたが、山頂からの景色は素晴らしく極楽浄土の姿だった。そこで、腰の矢立をとって一筆したためようと、足元の土を指先で掘り、清水を求めたとか。
ススキが一面に広がる山の頂上には不思議な泉だが、この水はどんな日照りが続いても枯れることはなく、いまも「硯の水」と呼ばれている。
大師はこの頂上から、はるかに東に高野の峯を見つけ「これこそ求めた聖地」と大喜びし、高野を開く出発点になってたともいわれる。このとき、喜びのあまり笠を忘れたが、この笠が石になり「笠石」と呼ばれ、いまも頂上に残っている。
(メモ:金屋、清水、野上三町の境界となる生石山は、標高870メートル。生石高原県立自然公園の中心地。頂上近くに生石神社があり、三町からそれぞれ登山ルートがある。)
- この物語について、合併前の旧金屋町が編纂した「金屋町誌」には、次のように記述されている。
生石山の弘法水
弘法大師は奥村で元高野を開いたが、自分の描いていた理想郷には程遠いので、新しい聖地を求めて生石山に来た。山頂から眺める景色の美しさは、恰も極楽浄土の姿である。徐に腰の矢立てをとって一筆記そうとした時、矢立に一滴の水もなかった。
そこで足許の石を指先で掘ってみると、清水が滲み出て来た。この水は今でもどんな日照りになってもきれなく、「硯の水」と呼んでいる。草原の頂上には不思議な泉である。この時、はるかかなたに高野の峯を見つけ出すことができた。これを見た空海は小踊して「これこそ我が求め来った聖地である」と勇みに勇んで高野を開く出発点になったといわれる。あまりのうれしさに笠を忘れて出発、忘れた笠が石になり、笠石と呼ばれ、今も生石の頂上にある。
上人が自分で求めていた聖地が見つかり、これこそ「神がこたえてくれた山」応神山と名づけたともいわれている。
- 上記の金屋町誌の記述のうち「奥村で元高野を開いた」という点については不詳。ちなみに、奈良県宇陀市にある大蔵寺(おおくらじ)は「元高野」と呼ばれているとのこと。
大蔵寺 (宇陀市) - Wikipedia
- 生石山(おいしやま 国土地理院による山名は「生石ヶ峰」)は、海草郡紀美野町と有田郡有田川町にまたがる山で、山頂付近は広大なススキ草原となっている。「角川日本地名大辞典 30 和歌山県(角川書店 1985)」によれば、山名は「生石神社」に由来するとして次のように記述されている。
おいしがみね 生石ヶ峰
生石嶺(名所図会)・生岩嶺(根来寺古記録)とも書く。標高870m。
長峰山脈の主峰で、海草郡野上町と有田郡金屋町・清水町との境にあり、頂上に1等三角点がある。紀北の竜門山の竜に比し,その形が雄渾で虎が谷にうずくまるように見えると,「名所図会」にある。
山名は、山中の大石を祀る生石(しょうせき)神社に由来するといわれ,地形をよく表した山名。
付近一帯は,昭和30年生石高原県立自然公園(面積6.9㎢)に指定された。
地質的には隆起山麓階とも考えられ,石英片岩の硬軟による浸食のため形成されたと思われる。準平原状の山頂平坦面は,ススキ原となり,ハイキング・キャンプに好適、眺望も開け、遠く兵庫,四国・淡路まで望見できる。
頂上付近に20㎡の笠石と称する巨岩,南麓に那智の滝に次ぐといわれる次の滝(高さ107m)がある。
- 生石山の名前の由来になったとされる生石神社は、生石ヶ峰の山頂から直線距離で約300メートル東に位置する。社伝によれば、永祚元年(989)に一夜にして高さ十六丈(約48メートル)の巨岩が出現し、「生石大明神」と崇敬されて同年社殿が造営されたとする。この神社について、和歌山県神社庁のWebサイトでは次のように解説されている。
社記に依れば、人皇第66代一條天皇の御守、永祚元(989)年8月10日、阿瀬川郷楠本の里、中の峯天野壇上に一夜にして高さ16丈の巖出現し給い、里人に告げて曰く「吾れは阿波国杉尾神なり、播州にては生石子明神なり、今や比処に迹を垂れ國家を守護せん、殊に婦人は難産なく子孫繁栄を誓ふ」との御神托あり、茲において里人等社殿を築造し、応神山生石神社と号し奉り篤く崇敬したとある。
一説には天慶元(938)年1月18日に御鎮座ありとの説もあるが、これは当社の記録ではない。
本殿裏山の夫婦岩は今も御神体として尊ばれ、神職以外の者の立入りは禁止されている。
昭和27年国家の管理を廃し、宗教法人生石神社として独立、神社本庁を包括団体とする。
昭和62年3月社務所及び神饌所を改築し、翌63年6月御鎮座1,000年の式年祭を執行した。
境内地山林に赤樫の巨木あり、平成6年「天然記念物」として町指定を受ける。
尚、当社は県立生石高原自然公園の中腹に在り、4月29日(昭和の日)の山開きより、芒の穂がたなびく秋までハイカーで賑わい殊に女性の参拝がめだつ。
例祭の10月14日には御輿、獅子舞、投げ餅も行う。
和歌山県神社庁-生石神社 しょうせきじんじゃ-
- 上記の生石神社由緒にある「阿波国杉尾神」は、徳島市国府町にある「杉尾山」を御神体として祀っている八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)の主祭神「大日靈女命(おおひるめの みこと)」を指すと考えられる。大日靈女命は天照大神の別名であるとされており、同社を式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社(あまのいわと わけ やくらひめじんじゃ)」に比定する見方もある。
- 同じく生石神社由緒にある「生石子明神」は、兵庫県高砂市にある生石神社(おうしこ じんじゃ)に祀られている生石子大神(おうしこの おおかみ)を指す。兵庫県の生石神社の御神体は「石の宝殿」と呼ばれる巨大な石造物(横6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行7.2メートル)で、水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。人工的に作られたものであると考えられているが、誰が何の目的でどのように作ったかはわかっておらず、宮城県鹽竈神社の「塩竈」、鹿児島県霧島神宮の「天逆鉾」とともに「日本三奇」の一つとされている。
- 「硯の水」は生石ヶ峰の南側斜面にある。この一帯は本文にもあるように一年中湧水が絶えないため「硯水湿原」と呼ばれる湿地帯になっており、季節に応じて湿地を好む高地植物の群落がみられる。
- 生石山周辺には、空海(弘法大師)にまつわる伝承が数多く残されている。本文にある「笠石」については、江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊続風土記」に「空海護摩修行のありし地なりとて、大師の小堂あり」と記載されているほか、紀美野町側からの登山道沿いには、空海が地元民の通行の障害となっていた大石を両手で押し上げたとされる「押し上げ岩(手形のような窪みがある)」や、岩の間から湧き出す水の清涼さと量の多さに感激した空海が名付けたとされる「竜王水」などがある。
※押し上げ岩、竜王水については、リンク先の「登山口ネット」にある登山道コース案内図を参照
- 笠石の南側に「火上げ岩」と呼ばれる大岩がある。かつて、この地域で日照りが続いた時には、この岩の上で護摩を焚いて雨乞い神事を行ったとされるが、現在では「SNS映え」の場所として若者の人気を集めている。
※ラジオで女子旅 夏の生石高原で、“SNS映え”を探す旅
夏の生石高原で、“SNS映え”を探す旅 – ページ 2 – ラジオで女子旅
- 生石ヶ峰の山頂付近に広がる生石高原は近畿地方有数のススキ草原として知られており、草原保全のために毎年3月に「山焼き」が行われている。山焼きが行われるようになった経緯については、次項「生石高原の山焼き」において詳述しているので、こちらも参照されたい。
生石高原の山焼き - 生石高原の麓から
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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。