顔に真っ赤な紅を塗った笑い主の「鈴振り」が、「ワッハッハ」「ワッハッハ」と豪快に笑ってねり歩く、珍しいお祭りが川辺町江川の丹生神社に伝わる。10月10日の「笑い祭り」がそれだ。
その昔、全国の神様が出雲国へ集まり、以来10月を神無月というようになったのだが、そのとき、丹生神社の守護神である丹生津姫命は、朝寝坊して集合に遅れてしまった。あわてて走りだした姫神さまは、腰巻をお宮の樟の枝に引っかけて丸裸。これを見ていた氏子たちがどっと笑ったため、真っ赤になった姫神さまは、神殿に閉じこもって自分の不始未を嘆き悲しむ。
「これではいかん」と、氏子の代表が、異様な衣装を身につけて社殿に現われ、姫神さまと同じように氏子たちの笑いを誘って慰めたのがはじまりとか。
(メモ:例祭には、こどもたちによる竹馬行事などもある。国鉄紀勢線和佐駅から車で約10分。)
- 合併して日高川町となる前の川辺町において、川辺町郷土読本編集委員会が編集し、川辺町教育委員会が昭和60年(1985)に発行した「小学校社会科副読本 かわべ」では、「笑い祭り」について次のように記載している。
笑い祭り(一)
丹生明神社(にゅうみょうじんじゃ)は、和佐の地をおつくりになった神さまです。
毎年十月初卯(はつう)の日は、このお宮のお祭りです。村のとしよりの人たちが、柿、みかん等のくだものを、一顆(か)づつ竹串数十本につらぬき、一斗入りのますの中にさしならべ その中に弊(へい)をたて これをささげます。そのつぎに、一升入りのますに同じようにしたものが数人続きます。そのあとへ子どもたちが、長い竹串のはしをわり そこへくだものをさしつらね、その中へ弊をたてたものを高くささげて神さまの前へいくと、おとしよりの人たちが、はじめに
「笑え、笑え。」
といいます。それにつれて、みんなも笑うのです。
こんなところから、笑い祭りという名がつけられました。
笑い祭り(二)
丹生神社の神さまは、丹生津姫命(にゅうつひめのみこと)といわれています。
むかし、旧の十月に、出雲国で神さまの会がありました。
ここの神さまは、うっかり朝ねぼうをしてしまい、気がついたときには、他の神さまたちはもう出雲へ出雲へ出かけたあとでした。
「しまった。」
と神さまは、あとをおいかけましたが、あまりあわてたためにお宮の樟(くすのき)へ腰巻をひっかけてしまい、出雲へ行けなくなってしまいました。
村の人たちは、この神さまのゆかいな失敗をたいへんよろこび、お祭りに大笑いをするようになったそうです。旧暦十月は神無月(かんなづき)といわれ、神々は出雲で会をひらくため、どこのお宮もお祭をしませんが、丹生神社は、こんなわけで神さまがおられるために、旧の十月初卯の日がお祭りでした。しかし、新暦になってからは十月十七日になり、十月十日が体育の日ときまってからはこの日がお祭りとなりました。
また、ここのお祭りは、ほかのお宮のお祭りとちがい、まず小紋(しょうもん)の裃(かみしも)をつけた人が一升ますをもち、弊と柿、みかん等の果物をいれて列になります。(うるう年には一斗ますに入れます)みこしの前に鈴をもった人が先にあるき、ときどき
「そらあ笑え、そらあ笑え。」
とみんなに声をかけます。おわたりがおわると人々は、神さまにそなえていた柿、みかん等をあらそってとります。
これらの果物を手にした人の田や畑は、豊作になるといわれています。
- 後述の和歌山県神社庁Webサイトにもあるように、丹生神社の主祭神は玉置氏※の守護神として長子八幡宮(日高川町小釜本)から勧請した八幡大神であるが、明治39年(1906)から始まった国の神社合祀政策を受けて当地周辺にあった丹生津姫命を祀る小祠を合祀した際に、社名を江川八幡宮から丹生神社に改めたもの。
※玉置氏については、別項「手取城」を参照のこと。
手取城 ~川辺町(現日高川町)和佐~ - 生石高原の麓から
- 丹生津姫命(丹生都比売大神)は、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ 伊都郡かつらぎ町上天野)の主祭神で、もとは高野山の地主神であったが、高野山開創に際して空海(弘法大師)へ神領を譲ったとの伝承で知られている。丹生都比売神社の社伝によれば、丹生都比売大神(丹生津姫命)は、天照大御神の妹神で稚日女尊(わかひるめのみこと)ともいい、子の高野御子大神と共に紀伊・大和地方を巡歴し、人々のために農耕殖産(衣食の道・織物の道)を教え導き、最後に天野の地に鎮まったとされる。
当神社は旧丹生村の村社であり、八幡大神を主祭神とし丹生津姫命外を併祀し、当地は八幡大神と丹生津姫命とは特にゆかりは深く、明治41年より2年に亘る神社合祀以前は当神社を江川八幡宮と呼び、室町中期和佐手取城主玉置氏が和佐城山に築城後、直ちに守護神として川中長子八幡宮より(日高川町小釜本鎮座)八幡大神を勧請。
最初城内に祀っていたのを江川の此の地に遷し、放生会祭(筆者注:ほうしょうえさい 捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式)として祭礼は執り行なわれて来た。
「應永・天文年間(1394-1554)当社の放生会祭の席順の人名を記せる文書、村民江川氏に藏む」と『紀伊続風土記』にみえ、その頃には数少ない江川村天正検地帳と共に原本は有ったが、その後原本は散逸され、その写しのみ東京の国立図書館に現存されているが、原本がみつからないのが残念である。
又当地方には真妻と呼ぶ地名が多くあり、その地には合祀以前真妻大明神が祀られており、丹生津姫命が鳶に乗り真妻峯に天下ったと言う伝説から、当地方では丹生津姫命を真妻大明神と呼び、農耕の神、魔除けの神、又丹朱の色になくてはならない水銀を司る神として崇められ、当地内和佐に通稱(ごんじ穴)と呼ばれる水銀発掘の古跡があり、又伊都郡の丹生津比売神社の有名な古文書『天野告門』の中に、「日高の江川の丹生に忌杖刺し給ひ」と言う一文がみえており、江川と言う地名が始めてみえるのは此の古文書が始めてであり、水銀文化の盛んな頃、丹生津姫命を祖神と仰ぐ丹生氏が当地に来たり、水銀発掘、土地開拓、農耕機織を教え、土地発展の礎を築いた事が窺われ、その御恵を稱えて真妻峯に真妻大明神と稱へなしてお祀りし、その後各地区ごとに思い思いの地におまつりし、合祀以前は各地区に丹生津姫命を祀る小祠が鎮座していたが、その後江川八幡宮に他の小祠と共に合祀し、その後社号を(丹生神社)と改め現在に至っている。
(例祭)
笑い祭神事は、和佐地区より選ばれた笑い男(12名)が1升の福枡に野山の幸を串に刺し、神前に供へ、祭事を執り行ない、笑い男達が執る先導の合図で、どっと笑い、それを繰り返しながら渡御を奉仕すると言う奇祭である。
又江川組の鬼の出迎へと奴踊り、和佐組の踊り獅子、山野組の雀踊り、松瀬組の竹馬駈け等、の盛り沢山の神賑行事が奉納され、県無形文化財に指定されている。
- 地名としての「真妻」は、日高川町から真妻山をはさんで南側にあたる印南町の切目川上流域(旧:真妻村 1889 - 1956)を指す。かつてはワサビ栽培が盛んで、現在は静岡県が主産地となっている高級わさびの「真妻わさび」種は、昭和30年代に台風で大きな被害を被った静岡県のわさび農家へ当地から提供したものである。
最高峰の国産わさび発祥の地 真妻のわさび - LIVING和歌山LIVING和歌山
- 「笑い祭り」は、古来「奇祭」として一部の人々には知られていたが、地域の秋祭りとして一日だけ開催される行事であったため、一般的な知名度は高いものではなかった。ところが、後に日高川町長(2009 - 2013)を務めることとなる玉置俊久氏(当時は日高川町観光協会長)が、平成16年(2008)1月に10日間にわたって笑い祭り(初詣初笑い神事)を行うという企画を提案し、旅行会社とのタイアップ等を通じて一気に知名度を高めることに成功した。これにより、同神事には延べ約2万人の観光客が訪れたという。
【和歌山 田舎暮らし】わが町を近畿のオアシスに!
- 英語による旅行ガイドブックの出版では世界一のシェアを有するロンリープラネット社が2009年に発行した「Lonely Planet's 1000 Ultimate Experiences(ロンリープラネット社が提案する究極の旅の体験 1000) 2009」において、日高川町が「The world's 10 happiest places(世界で最も幸せな10の場所)」のうちの一つに選ばれた。その10か所とは次のとおりである。
旅を楽しむ1000の提案 [コラムvol.122] | (公財)日本交通公社
The 10 happiest places in the world
1. Denmark デンマーク
2. Wuyi Shan, China 武夷山(ぶいさん) 中国・福建省
3. Andorra アンドラ公国
4. Malawi マラウイ共和国
5. Hidakagawa, Wakayama, Japan 日高川町 日本
6. Colombia コロンビア
7. Bhutan ブータン
8. Happy, Texas ハッピー 米国テキサス州にある人口700人弱の町
9. Montreal, Canada モントリオール カナダ
10. Vanuatu バヌアツ共和国
https://www.dnaindia.com/lifestyle/report-the-10-happiest-places-in-the-world-1307566
- 現在、「笑い祭り」は原則として毎年10月の「体育の日」の直前の日曜日、「初詣初笑い神事」は1月初めの2日程度(1/2~3など)の予定で開催されている。
-丹生神社と笑い祭- | 日高川町観光協会
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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。