生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

山姥山 ~中津村(現日高川町)下田原~

  日高川の清流が大きく蛇行し、澄みきった水が、しぶきを上げながら、巨岩を縫って勢いよく流れ落ちるあたり。「出姥山」は、そんな景勝の地の一角にある。

 

 その昔。ここに、口が耳まで裂けた、恐ろしい山姥が住んでいた。山姥は毎年、大晦日になると村へ出てきてモチを食べた。人々はただ、恐ろしさにふるえるばかり。そんなとき、一人の武者が、下田原へふらりとやってきた。そして山姥の話を聞くと「よし、退治してやろう」。大晦日の夜、武者は川原へ出てモチに似た石を拾うと、真っ赤に焼いて山姥を待った。やがて現われた山姥は、モチに似せた石を見て、大きな口を開けた。とたん、武者はその焼け石を口に投げ込み、みごと退治したという。

 

(メモ:南海白浜急行バス下田原行または川中経由の川原河行きで下田原下車。「山姥ののぞき岩」「山姥の足跡」まで徒歩約5分。)

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

日高川の対岸から下田原地区を望む

 

  • この物語は、荊木淳己著「日本の民話 -紀の国篇-(燃焼社 1993)」に「山姥(やまうば)の話」という題名で下記のとおり掲載されている。上記本文では山姥が村へ出てくるのは大晦日であり、山姥を退治するのは他地域からやってきた武者とされているのに対し、下記引用文では山姥は度々里に下りてきて牛を食べていたが、牛小屋の戸締りが厳しくなったため牛の代わりに餅をせびるようになったことから土地の者が協力して退治したと記す。また、これ以後はいくら餅をついても全て石に変わってしまうという「山姥の祟り」の伝承も加わっている。

山姥(やまうば)の話(中津村の民話)

 あのな、山姥(やまうば)の話をしよかの。
 山姥て一体なんやろな。遠い昔のことやよって、よ~う分からんけど、まぁ山奥に住んでる年老いた女の人らしいわ。
 いくつぐらいてか?
 そら知らんなぁ。山姥という字を見てみ。女へんに老いた・・・と書くぐらいやよって、もう何百年も住んでるんとちゃうか。
 ま、妖怪の一種やろな。

 日高郡の奥の方に、中津村ちゅうところがあるけど、そこの村里離れた山奥にその山姥が住んでたんやと。
 その山姥はな、時には里へ下りてきて牛を喰いにくるんやと。そいで村人たちは、牛小屋へしっかりと錠をしたり、板を打ちつけたりして牛を守ったんで、山姥は困ったんや。
 そいで
餅でもええ、餅くれ、餅くれ、早ようくれ
 と耳のわれるような声でおがりたてる(筆者注:叫びまわる)んやしょ。
 そいで餅をついて食べさしたんやけど、そうそういつも山姥にサービスもしてられやんやろ。
 とうとうあの山姥をいわしてまおら(筆者注:やっつけてしまおう)・・・ちゅう相談がまとまったんや。
 どないしてやっつけるてか。まぁ聞きよしよ(筆者注:聞きなさいよ)
 あのな、カンカンに炭をいこして(筆者注:炭をおこして)、その中へ白くて丸い石を探してきてな、ほりこんどいた(筆者注:放り込んでおいた)んやして。
 そしたら間もなくドシンドシンと足音を響かせ
餅くれ、餅くれ
 ておがりながら(筆者注:叫びながら)山姥が山を下りてきたんや。そいで
よっしゃ、よっしゃ、ちゃあんと餅はついたあるで(筆者注:餅はついていますよ)。さぁつきたての餅をやんしょ(筆者注:あげましょう)。大きな口を開けよし(筆者注:開けなさい)・・・
 ちゅうたら、腹ペコペコの山姥はアーンと大きな口を開けたわな。
 そこへアツアツに焼けたあの白くて丸い石をガーと放りこんだんやしょ。
 そらもうたまるかよう(筆者注:それはもうたまりません)山姥
アジ、アジ、アジ・・・
 といいながら狂うたように飛び歩いて、とうとう死んでしもたんやと。
 村人たちは
ワァー、やったぞ、やったぞ!
 と大喜びしたんやけど、山姥のたたりか、それからあと、なんぼ餅をついても、みな石に変わってしもたんやと(筆者注:石に変わってしまったそうです)
 なんともおとろし話やの。

 

  • 下田原地区に伝わる山姥の話にはいくつかのバリエーションがあるようで、中津芳太郎編著「日高地方の民話(御坊文化財研究会 1985)」の「中津村」の項にある「山姥の話」には次のとおり複数の物語が収載されている。

山姥の話

 正月の十五日に小豆がゆ炊きますらの。下田原のある家の前へこの朝とっく(早く)お遍路さん姿の山姥(やまんば)立ってん。小豆がい(がゆ)をもらおうとしたらしい。その家の人が、こんな者にやれるかと、餅のかっこうした石やってん。山んば持って帰って食べてみたけど食べられなんだ。そいからこの家では小豆がい炊いても小豆煮えんていうた。
   高津尾 渋田安平 明・35

 

2
 昔、下田原に山姥があって、牛小屋へ牛を食いに来て仕様(しよ)ないんやと。それで百姓らは牛小屋に垣をしておいたんやと。
 正月に山姥が里へ下りて来たけど、牛小屋は、垣があるんで、牛は取れん、食べ物がない。それで、餅をくれ、て言うたんやと。
 牛を取られてる村の人は、これ幸いと、餅やるさか口あけよ、て言うて、堅炭(白炭)のようにいこった(あつくなった石をば山姥の口へ放り込んだんやて。山姥はかわいそうに狂い死にしたんやと。
 そのたたりでか、その10軒ほどが毎年、正月に餅がつけん(ない)ようになったて。
   美浜町浜ノ瀬 小池フジエ 大・6 採話 金谷

 

3
 山姥があってな。里へ物もらいに来るんや。ほで、今度正月にこい、餅やるさかと言うといたら正月に来てん。ほいて食わいて、しまいに「大きな奴やるさか、目ねむってよ」て言うて焼石を大きな口へほり込んでん。山姥は狂いながら水を飲もうと井戸端で死んだ。そのとき「来年からの餅を石にしたる」て言うたもんやから、それから正月の餅が石になるので餅つかんようになった。下田原の話や。
   田尻 原貞蔵 明・33

 

4
 昔、桶屋あっての。独りぼうしだったんや。はた(きんじょ)の人が「おまい、嫁さんもうたらどうな」「わし、嫁もうたてしよない」「いや、飯炊きしてもうて暮すのええぞ」「どこそにあるか」「わしに任したらもうて来たる」「ほや頼みます」て。そいからしばらくしして嫁さんもうたんですらよ。
 ところがその嫁さん、えろう(たいへん)所帯荒うて、米や味噌を買うて来ても三日ともたなうての。これが続くんで桶屋さんは「こら(これは)どもならん、不思議や、だいど(だれか)にやるんかいな」と思て、ある朝、弁当持って「行てきます」と家を出て仕事に行くふうをして屋根へ上がってん。屋根は杉皮葺やか杉皮の節(枝)穴がある。そこからじーと下で嫁のすることを見ててん(いた)。ほいたら嫁がな、米を持ち出いて大きなこと炊いて味噌汁もぎょうさん炊いて、知らなんだが、頭の上にある大きな口あけて汁を流し込み、飯は放りなげて口で受けて食べてる。米や味噌の減るわけわかった。あいつ山姥や、こんなことしてたらどもならんと思てん。
 その晩のこと、「お帰り」「やれやれ腹へった」「食べとくれ」「うん」と食べて、「時にお前に話しあんね。ここへ座われ。わしもこの年になってせっかく来てくれたお前やけど別れてほしんや」「そりゃまあ事情あったら別れる、けど何で?」「そんなこと聞かんと別れてくれ」「そんなら私の言うことしておくれ」「わしに出来ることならしてやる」「風呂桶一つ造っておくれ。そしたら別れましょう」「よっしゃ」て言うことになってん。

 桶屋はあくる日から風呂桶造りや。何日かかったかしらん。「出来上がったぞ」と嫁に言うと「ちょうどええか、はいってみとおくれ」「よし」と桶屋が入るのを見て山姥の嫁がピシャッと蓋をして縄で背中へ負うて歩き出したん。桶屋はびっくりしたけどどうも仕様がない。どんどん山を登っていく。こりゃ食い殺される。だっしもない(らちもない)ことになった。どうしょう、どうしょう、て思うばかり。どんと山奥へ来たらしうて、山姥の子供等ギャーギャー騒ぎやる。ほた、風呂桶が木の枝にかかったかいて蓋がギシギシして、くくった縄が少々切れて開いたんや。見たらぶなの太い枝や。そいにぶらくってん(筆者注:ブナの木の枝にぶら下がった)。山姥、知らんと行く。木の蔭で見てたら、「おかさん、今帰ったぞ。ええもん食わいたろわい」「ギャーギャー」。ほいて蓋をパッと取った。「アレッせっかく捕ってきたのにどこかへ逃げた。また行て取って来たる」て言う。これはと一生懸命に走り下りて来た。山の下に川が流れていて川岸の広いとこによぐみ(よむぎ)菖蒲が一ぱい生えたんね。そうこうするうちに山姥がおわえて(おって)来たので、桶屋がその菖蒲の中へ飛び込んで隠れてん。そい見て山姥も飛び込んできたんやが、菖蒲の葉先で目を突いてん。「こりゃおんしゃ(おぬし)、わしをだまして、食い物にしようと思て」と、川の中へ山姥を突っ込んだって、助かった。
 そいで昔から五月五日の菖蒲とよぐみで屋根の軒、表と裏を三所(とこ)葺くのは、そのいわれや
   高津尾 渋田安平 明・35

 

 

  • 日高川町広報誌「広報 日高川町」平成19年7月号の「日高川町地区巡り(P6)」では下田原地区が紹介されており、山姥の伝説について下記のとおり記載されている。

下田原地区(中津)
 下田原地区は24世帯、52人。
 この地区には昔、山姥(やまうば)が棲んでいたという伝説があり、集落の下流約1kmの付近には、今でも山姥にちなんだ「山姥橋」や「山姥の足痕」といわれる大きな石や、料理をするのに使ったという「まな板」なども存在しています。
2007年(平成19年) 7月号 | 日高川町役場

 

  • 山姥(やまうば、やまんば)は、奥山に棲む老女の姿をした怪もののけである。日本の妖怪で、山に住み、人を食らうと考えられているが、ヨーロッパの魔女との類似も指摘されている。一般には、牛方や馬方、桶屋、小間物屋などの旅職人や行商人らが峠などの山中で山姥と出会い、取って食われそうになるという話が伝えられていることが多いものの、一部では、人間に福を授ける存在としての山姥の伝承が伝えられている地域もある。
    山姥 - Wikipedia

 

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。