生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

万歳滝の地蔵 ~美山村(現日高川町)寒川~

  美山の山は深い。その山深い美山の一番奥まったところにある寒川地区から、さらに4キロほど上ったところに「万歳滝」というのがある。

 

 その滝の近くに、源太という暴れ者がいた。源太はある日、滝のお地蔵さんを道にひき出し、首を折ってしまった。通りがかった村人が「何をもったいないことを。バチ当りめが」と地蔵さんを洗い清め、元のところへおまつりし、その日はそれで一件落着。


 次の日、滝の上で山焼きがあった。ところが、燃えている山から突然、石が転がり落ち、深い谷を飛び越えると、川原にいた源太の母親に命中。母親は死んでしまったとか。明治のころの話だといい、村の人たちはいまも「物を大切にしないと、お地蔵さんが怒るぞ」とこどもたちにいい聞かせるという。

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

万歳滝への遊歩道入口付近

 

  • この物語は、旧寒川村(1956年合併により美山村、2005年合併により日高川町が編纂した「寒川村史」に「滝の地蔵」という題名で収載されている。ただし、ここでは地蔵に乱暴を働いた者の名を「滝村為市」としているほか、母親は瀕死の重傷を負ったものの命を失ってはいない。

滝の地蔵

 滝之上滝村為市という腕白少年がいて、明治7年3月の或る日 滝坂道路傍の地蔵を道に引き出し、小便をかけ、石を投げつけて遂に首を折ってしまった。通り合せた人が、之を水で清めて元の座に祀った。翌々月滝之上は野山焼で更家の上の山腹は炎々と燃えていた。この炎の中から突然茶臼大の石が転落し硲(さこ)を斜に岡を越えてとび転り川原で蓬よもぎを摘んでいた為市の母親の頭に当り瀕死の重傷を受けた。里人は地蔵尊の祟りではなかろうかと噂したという。

 

  • 類似の物語は中津芳太郎編著「日高地方の民話(御坊文化財研究会 1985)」にも収載されている。ここでは、「滝壷に投石したら雨になる」との伝承が追加されているほか、地蔵に対する乱暴も「『性根があるなら三日以内に(霊験を)あらわせ』と言いながら地蔵を叩いて肩の部分をひび割れさせた」という話になっている。

万歳滝の地蔵

 滝ノ上にある。この滝の名は朔日川(ついたち がわ)を登って来てここまで来ると思わず「万歳」と言うからつけたという。滝つぼに投石したら雨になると伝える。
 ここに地蔵を祀っている。昔、この土地のある人が地蔵に「性根あるもんなら、三日の内にあらわせ」と、地蔵を叩いてその肩先をひびいかした(筆者注:ひび割れさせた)。それから間もなく、その人がよむぎ(蓬)を摘んでたところへ向いの山から石がころげてきて(転がってきて)一たん(一旦)谷へ落ちたが、また、丘へころげ上がってその人にあたり、死んだという。今に肩先にひび割れがある。
    滝ノ上 吉田一枝 大・8

 

  • この滝にはまた別の伝承もあるようで、和歌山市を中心に配布されているコミュニティペーパー「ニュース和歌山」で連載された「滝物語」に「大蛇の婚礼 祝った河童」という物語が掲載されている。これは、悪戯をする河童を懲らしめた土豪の者が大蛇に殺されたという話だが、大蛇は土豪を美女と見誤って嫁にしようとしたもので、河童は婚礼を祝ってお囃子と鐘太鼓を打ち鳴らしたという。さらに、河童たちが婚礼を祝ったのでこの滝を「万歳の滝」と呼ぶようになったとも伝える。

    www.nwn.jp

 

  • この滝について、美山村が編纂した「美山村史」の「第三章 史蹟名所天然記念物」「第一節 名所」の項では次のように紹介している。

万才滝
 「日高郡」(1923)には「中央に一巨岩突起し、水これに当りて玉と散る。増水の時は遠く一里を隔てたる寒川辻より、その轟音をきくことができる」と記している。
 寒川朔日川滝の上にあり、高さ50メートル、幅7メートル、増水のときは実に壮観で、寒川地区を代表する瀑布である。

 

  • 上記で「美山村史」が引用した「日高郡」は、和歌山県日高郡役所が大正12年(1923)に発行した日高郡の地誌である。この「河川」の項に「朔日川(ついたち がわ)」「萬歳瀧」が掲載されているので、これを引用する。

朔日川
 寒川の瀧の上に發し、南西流して朔日・土居を經、高野にて寒川に注ぐ。流程二里(筆者注:約8キロメートル)

萬歳瀧
 朔日川中にあり、寒川第一小學校より北の方廿八町。字瀧ノ上より流れ來る水、此處に至りて落下するること十六丈(筆者注:約48メートル)、幅三丈(筆者注:約9メートル)。中央に一巨岩突起し、水これに當りて玉と散る。傍に通路あり、上より能く眺め得。増水の時は遠く一里を隔てたる寒川辻より其の轟音を聞くを得ベし。

 

  • 上記の「日高郡誌」文中にある「寒川辻(そうがわつじ)」は、万歳滝から約2.5キロメートル北にある辻(古道の交差点)で、ここから寒川地区のほか、八斗蒔を経て上初湯川方面、キリコシ辻を経て竜神方面、へそれぞれ繋がっている。また、山名としての「寒川辻」もあり、これは「二等三角点 寒川辻」として、道路としての「辻」から約200メートル南西にある標高1123.3メートルのピークを指す。ちなみに、「角川日本地名大辞典 30 和歌山県角川書店 1985)」では「寒川辻」について次のように解説している。

寒川辻<美山村>
 日高郡美山村寒川の北部にある辻。標高1,123.1m(筆者注:後にGPS測量により改測され、現在の公式数値は1123.3メートルになったと思われる)。山頂は寒川・串本・小川・上初湯川の4字にまたがり、山上はやや平坦で、山頂から約150m東寄りには修験者の通った古来の山道がある。和歌山・高野山方面から有田を経て奥日高と結ぶ宗教上・経済上重要な通行路が当辻で、寒川と龍神への分岐点となるところからこの名があり、峠には往時からの地蔵尊を祀る祠がある。

 

  • 和歌山県が実施している観光キャンペーン「水の国、わかやま」のWebサイトでは県内の主要な滝を紹介しているが、これによれば、「万才の滝」の高さは約25メートル、幅は約7メートルとされている。

高さ約25m、幅約7mの段瀑。下流には巨岩が連なり、また水量も多いため迫力がある。
「水の国、わかやま。」が誇る滝 | 水の国、わかやま。

 

  • 万歳の滝地蔵」について、「美山村史」では次のように紹介している。上述の「日高地方の民話」ではこの地蔵の肩先にひび割れがあるとしているが、村史にはその記述がなく、ひび割れの有無は確認できない。

万歳の滝地蔵 所在地 滝ノ上万歳の滝道路脇

 崖の石祠内に丸彫りの地蔵の台石に三行で、朔日村幷(筆者注:「並」の古字) 滝の上村 講親藤九郎と刻まれている。地蔵の像高21.5センチ、台石の高さ23センチである。江戸時代の作と思われる。講親となっている藤九郎は、木地師の棟梁 堺藤九郎と思われる

 

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。