生石高原の麓から

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ショウジョウの釣場 ~田辺市元町~

  昔、田辺の浦に、笛がたいそう巧みな若者がいた。ある日、立戸の浜で笛を吹いていると、美しい娘が現われ、流麗な音色に聞きほれた。

 

 若者が何曲かを吹き終わると、娘は「ぜひもう一曲聞かせてください」という。若者は乞われるままに得意の曲を吹くと、娘は「私は海に住むショウジョウの娘です。あなたの笛を聞きたくて参りました」といい、長い髪の毛でつくった釣り道具を若者に贈ると海に消えた。


 若者がそれで魚を釣ると、エサもつけないのに面白いほど魚が釣れた。若者が釣りをした岬は「天神崎」にあり、今も「ショウジョウの釣り場」と呼ばれている。この若者は、のち白浜堅田の浦に移り住み、釣り道具を里の八幡神社に寄進したという。そして堅田には、やはり「ショウジョウが崎」という岩場がある。

 

(メモ:天神崎は、田辺市目良の市民球場から2キロ。堅田浦は白浜有料道路沿線にあり、八幡神社は、国鉄紀勢線白浜駅に近い。)

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

天神崎

 

  • この物語は、荊木淳己著「日本の民話 -紀の国篇-(燃焼社 1993)」に「天神崎の猩々(しょうじょう)」という題名で収載されている。

天神崎の猩々(しょうじょう) 田辺市の昔話)
 日本ではじめてのナショナル・トラスト運動に成功した田辺市天神崎のあたりの海の美しさは、また格別やわな。
 黒潮のもたらす海の幸もようけあってな、むかしの書物には「田辺湾でカツオがたんと釣りあげられた・・・」て書いてあるほどや。
 そんな美しい海が広がる近くの浜に、一人の気立てのええ若者が住んでた。
 幼ない頃に両親を失ってしまい、これというほどの後見者もなく、まぁ一人で気楽に育ったらしいわ。
 嫁さんを世話してやる人もなかったよって、のんびりと一人暮らしを楽しんでたんや。
 この若者には、ひとつの特技があった。
 なにか・・・ちゅうと、笛を吹くのが大層うまかったんや。そいでな、漁師さんや山行きの人らから頼まれたその日の仕事を終えると、いつも笛を手にして天神崎へ行き、そこいらの岩に腰かけて、気のすむまで吹き鳴らすを日課のようにしてたんやしょ。
 ある日の夕暮れ時分のことや。
 若者がいつもの場所で笛を吹いてると、すぐそばの岩陰に美しい娘さんがいてな、その笛に聞き惚れてるんや。
 若者は驚ろいて
これは失礼しました。このようなつたない笛をお聞き下されていたのですか・・・
 と尋ねると、その娘さんはニッコリ笑い
とてもすばらしい音色ですね。お願いですからどうか私のために、もう一曲お聞かせ下さいな
 と頼むんや。若者は心よく承知して、得意の一曲を聞かせると、娘さんは大層喜んで、
実は私はこのあたりの海に住む猩々(類人猿の一種の娘なのです。あまりのお上手さにびっくりしました。お礼といってはなんですが、釣道具をさしあげましょう。これはエサをつけなくても、どんどん釣れますから・・・
 ちゅうてな、自分の髪の毛を抜いて、それに針をつけてくれたんやして。
(へ~え。そんなうまい道具があるんやろか・・・)
 若者は半信半疑で、すぐそばの釣り場でためしてみると、こら不思議、サバ、タイ、カツオなどなんでも釣れてくるんや。
 この若者はのちに白浜へ移り、その道具を八幡神社へ奉納したというわ。いまでも天神崎に「猩々」という釣り場があるんやが、これはその若者が、猩々の娘から買うた道具で、最初に釣りをしたとこやというで。
※筆者注:同書では猩々を「類人猿の一種」と解説しているが、後述するようにオランウータンを指す「猩猩」と、人語を解するという架空の動物「猩々」とは全く別のものであり、この解説は不正確である。

 

  • 和歌山県が管理するWebサイト「和歌山県ふるさとアーカイブ」の「和歌山県の民話」の項にも同様の話が「狸々(しょうじょう)の話」という題名で掲載されている。ここでは、上記の物語とは別の話として、細野(ほその 白浜町堅田地区の小字名)の「狸々小屋」という家号の家の者が、海から上った猩々を強い酒で酔わせて捕え、その時に取った猩々の毛が八幡神社の祭りに使われているという。

狸々(しょうじょう)の話
 むかし、田辺に笛の上手な若者がいました。ある晩、天神崎(てんじんざき)立戸(たちど)の浜に出て笛を吹いていると、若い、美しい女の子が現われて、「もう一曲吹いて下さい」と頼むのです。若者が、不思議そうに見ていると、「私はこの海に住む狸々(しょうじょう)(想像上の怪獣、髪の毛が長く紅い)の娘です。あなたの笛をきいてどうしてもお会いしたくこうやってきました。どうかお願いします」としきりに頼むので、若者は望みのままに何曲か吹いてやりました。娘は、たいへん喜んで、「私はこれで海に帰ります。笛のお礼に釣道具を差し上げます。この釣糸は餌がなくても、ほしい魚がほしいだけ釣れます」といって、自分の髪の毛を一本抜いて、その先へ釣針をつけて若者にくれました。

 若者は半分疑いながらも、教えられた通り岩の間へ釣糸を垂れますと、サバやタイ、カツオなど思うままに釣れました
 若者は最初に釣りをした場所は、いまも天神崎で「狸々」と呼ばれているところです。若者はその後白浜の堅田(かたたうら)へ移り住んで、女の子からもらった釣道具をその土地の八幡さまへ納めました。それで、堅田にも「狸々が崎」という名がついたのです。また細野(ほその)に「狸々小屋」という家号の家があります。それは狸々が海から上ったのを強い酒で酔わせて捕えたところだといわれています。八幡さまのお祭りに使う狸々の毛はその時取ったものだといわれています
田辺市:狸々(しょうじょう)の話 | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

  • 妖怪の研究者としても知られる和歌山大学中島敦氏が熊野新聞に連載していた「怪しの熊野」という記事でもこの物語が紹介されている。この中で、同氏は若者が猩々の釣り道具を八幡神社に奉納した経緯及び「狸々小屋」にまつわる伝承について次のように記述している。

(略)
 その後、若者は白浜の堅田へ移り住み、猩々の釣り道具を「人が持っていてはいけない」と八幡さまへ納めたという。堅田の隣の細野には、酒好きの猩々を捕らえるため強い酒を置き、海から出てきた猩々が飲んで酔ったところを捕まえ、その毛を得た者がいたという。この場所は、今でも「しょうじ(猩々)小屋」と呼ばれているそうで、堅田八幡の秋祭りで先頭を歩く社守が被る鬼面の髪の毛や、稚児の舞の獅子の毛が天神崎や細野の「猩々の毛」だという話もあるが、定かではない。
【システム工学部・中島敦司教授】熊野の森から 熊野新聞に掲載 | 和歌山大学 -Shape the future for our tomorrow.-

 

  • 「猩々(しょうじょう)」とは、中国の古典に登場する架空の動物。人の姿に似て二足歩行し、人語を解するが、毛が長く、人ではないとされる。これについて、Wikipediaでは次のような解説が掲載されている。

猩猩
 仏教では、『十誦律』1巻で動物を二足・四足・多足・無足・と種類分けをしているが、猩々二足歩行と定め、19巻においては、猩々孔雀鸚鵡(オウム)などの諸々の鳥と一緒に、同じ分類に属すとしている。
 日本でも猿を二足の観点から、古くは木の実を取る「このみどり」、高く声上げる様を呼んでいると「呼子鳥」(よぶこどり)と、鳥類のように呼び表すことがあった。
 中国の『礼記』には、「鸚鵡は能く言して飛鳥を離れず、猩々は能く言して禽獣を離れず(鸚鵡能言、不離飛鳥、猩猩能言、不離禽獣)とあり、猩々は人の言葉が分ると記している。『国史』では猩々は酒と屐(はきもの)を好み、それを使って猩々を誘い捕らえることに成功したという。
 『本草綱目』の明朝の時代になると、記載は多くなり「交趾の熱国に住み、毛色は黄色で声は子供のようだが、時に犬が吼えるように振る舞い、人の言葉を理解し、人の顔や足を持ち、酒を好む動物」とされている。
 毛色や棲んでいるとされる地域など伝承の違いがあるものの、日本の猩々への印象と大まかに共通している。しかし、中国の書物に記される猩々は、空想的な要素が強調され、一説では豚に似ている、あるいは犬に似ているなど、姿や特徴に幅があり多様な生き物となっている。
猩猩 - Wikipedia

 

  • 小学館の「日本大百科全書(ニッポニカ)」では次のように解説されている。これにあるとおり、現在ではオランウータンを指して「猩猩(しょうじょう)」と呼ぶことがあるので、あくまでも架空の動物である「猩々」と実際に存在する「猩猩(オランウータン)」とを混同しないよう注意が必要である。

 古代中国以来のなかば想像上の動物。つとに『後漢書(ごかんじょ)』にみえ、明の『本草綱目』などには詳しく説明されている。そのいる所は交趾(こうち 筆者注:現在のベトナム北部)の熱国であって、人面人足で髪が長く、毛は黄色、声は小児のごとくまた犬のほえるがごとしよく人語を解しとくに酒を好む、などと記されている。わが国でも早くから知られ、すでに『和名抄(わみょうしょう 筆者注:平安時代中期に作られた辞書 正式名は「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」)』に出ているが、とくにわが国ではこれが赤面赤毛のめでたい動物と考えられており、謡曲の『猩々』では、海中に住む猩々高風(こうふう)という正直な酒商人に酌めども尽きぬ酒壺を与えた筋になっている。現在ではボルネオ、スマトラ島に生息するオランウータンにこの猩々の語があてられている
猩々(動物)とは - コトバンク

 

  • 上述の中島敦氏の新聞連載の記事の中で、中島氏はこの物語と他地域の伝承とを比較しており、その性格を考えると中国や日本各地の猩々とこの物語の猩々とは別の妖怪ではないかと考察している。

(略)
 日本では、真っ赤な装束の猩々が酒に浮かれ舞い謡う能の演目があり、また各地にも類話が残る。和歌山以外では、宮城、岩手、山梨、富山、兵庫、鳥取、山口などの伝承に登場するが、多くが海と関係した話である。例えば、富山の氷見の猩々は、海から船に乗り込んできては舳先に座るという。多い時は数匹のこともあり、船乗りが驚いて騒いだりすると船をひっくり返されてしまう。山口の周防大島の猩々は、柄杓で船に水を汲み入れて沈めてしまう船幽霊のような化け物だ。どうも、中国や日本各地の猩々と、天神崎や堅田の猩々は別の妖怪のようだ

 

  • 上記引用文中にもあるが、芸能の世界では、「猩々」は能の演目として良く知られている。作者は不明であるが、「猩々が、親孝行の高風という商人に汲めども尽きぬ酒壺を与え、舞を舞う」という話で、一般に「祝言(しゅうげんもの)」と呼ばれる、めでたい演目の代表的なものとされる。

能・演目辞典 猩々
 中国のかね金山きんざんの麓、揚子(ようず)の里に、高風(こうふう)という大変親孝行の男が住んでいました。ある晩のこと、高風は、揚子の市でお酒を売れば、富み栄えることができるという夢を見ます。夢のお告げに従って、お酒の商売をしたところ、高風はだんだんとお金持ちになっていきました。
 高風が店を出す市では、不思議なことがありました。いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、いくら酒を飲んでも顔色の変わることがありません。高風が不思議に思い、名を尋ねると海中に棲む猩々だと名乗りました。
 その日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待っていました。そこへ赤い顔の猩々が現われます。猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。そして心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を贈った上で、酔いのままに臥します。それは高風の夢の中での出来事でしたが、酒壷はそのまま残り、高風の家は長く栄えたといいます。まことにめでたいことでした。
※かね金山:中国江蘇省揚子江沿岸の山。中国に「きんざん」と発音する山には金山と径山があり、区別するために前者を「かねきんざん」、後者を「こみちきんざん」と呼んだ。
能・演目事典:猩々:あらすじ・みどころ

 

  • 和歌山市を中心に配布されているコミュニティ紙「ニュース和歌山」で連載されている「妖怪大図鑑」でも「猩々」が紹介されており、そこには漫画家・マエオカテツヤ氏が描く猩々のコミカルなイラストが掲載されている。

    www.nwn.jp

 

  • この物語で若者が釣りをしていたという「天神崎」は、田辺湾の北側に突き出た岬で、緑豊かな20haの丘陵部と、干潮時に顔を出す21haの平らな岩礁で形成されている。1970年代の半ばに不動産業者による別荘開発計画が持ち上がったとき、地元の高校教師であった外山八郎(とやま はちろう)氏らが「天神崎の自然を大切にする会」を結成して反対運動を立ち上げ、募金活動を通じた開発対象地の買取運動を開始した。その頃、全国的に買取を通じた自然保護運動が広がっていたことから、国は昭和60年(1985)の法令改正でナショナル・トラスト活動を行う公益法人自然環境保全法人)への特例措置を設けて間接的にこうした活動を支援することになった。「天神崎の自然を大切にする会」は、昭和62年(1987)1月に全国で初めてこの「自然環境保全法人(通称「ナショナル・トラスト法人」)」としての認定を受けた団体となり、一躍全国から注目を集めることとなった。同会のWebサイトによれば、現在、同会と田辺市が取得した土地は合計約88,000㎡(令和元年現在)にのぼっている。
    自然環境保全の主なあゆみ

 

  • メモ欄中、市民球場は老朽化のため平成24年度(2012)に解体撤去され、跡地は現在目良公園となっている。また、白浜有料道路は平成5年(1993)無料開放され、和歌山県道33号南紀白浜空港線の一部となっている。

  

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。