生石高原の麓から

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将軍山 ~大塔村(現田辺市)中の俣~

 日置川町との境界にある将軍山(標高748メートル)には、日下義龍一族の屋敷跡が残っている。戦いに破れた義龍が、家臣と共にかくれ住んだという。

 

 義龍はここで山を開き、ヒエやアワを栽培したり、イノシシやウサギを追って、細々と暮らしていた。しかし「いつか、この平和な生活も、敵に見つかって破滅するのでは」という不安におびえていた。


 ある日、見張りの兵が、はるか峠の鳥の群れを敵軍と勘違いし、報告を受けた義龍は「ついに来るものが来た。大軍と戦っても、とても勝ち目はない」と、家財を家臣に分け与え、夫人と共に近くの滝ツボに身を投げた。家来の多くも後に続き、淵には、ヨロイをまとった兵士の遺体が重なったという。

 

(メモ:中の俣地区は集落再編事業などで廃村同様となり、民家はわずか1軒。村役場から南へ約18キロ。地区を流れる川は「将軍川」。)

 

※「三川村郷土史」によれば、かつて日下將軍義龍(謙德とも)という武将が戦に破れて当地に逃れてきて、現在の將軍山に居を構えて隠れ住んでいたとされる。

※「紀伊風土記」の三尾川(古座川町の項に「永正年中日下左近将監信州より潮崎荘安指浦(和深浦の小名)に着岸し当所に来たり土居を構えて居住す」との記述がある。「永正」は室町時代の1504年から1521年までをいうが、同書によれば日下氏の後裔は代々庄屋を勤めたとされているので、本文で言う「日下義龍」とは異なると思われる。

大塔村役場は現在の田辺市大塔行政局。

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(※印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。