生石高原の麓から

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子育てイチョウ ~古座川町三尾川~

 三尾川の光泉寺に樹齢400年、樹高27メートル、幹回り6メートルという、県内最大のイチョウの巨木がある。そばに「気根(乳)に手をふれて、一心不乱に祈念するとき、日下俊斉翁の古事にのっとり、樹勢の力を得て霊験あらたか」との説明板。名づけて「子育て公孫樹」。

 
 「」とよばれる気根が無数にたれ下がり、大きいもので長さ2メートル、直径50センチもあって、下から手の届くところまで伸びている。それが乳の形に似ていることと、花粉室で育った花粉が、9月に精子を出して受精することが、子授けや子育てに通じるせいか、かつては母乳やこどもに恵まれない若い母親が、本堂で熱心にお祈りする姿が見られたものだ。


 昭和4年、県の天然記念物に指定されたが、いまなお樹勢が盛んで、しばしば本堂の屋根をいためることから、最近指定を解除された。

 

(メモ:光泉寺へは、国鉄紀勢線古座駅から七川方面行きバスで三尾川下車。車なら串本町和深から約20分。古座駅から古座川ぞいで約30分。)
(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

光泉寺イチョウ

 

  • 光泉寺(こうせんじ)古座川町三尾川(みとがわ)地区にある曹洞宗の寺院。正式名称は古傳山光泉寺(こでんざん こうせんじ)。江戸時代後期に編纂された地誌である「紀伊風土記」の「三尾川村」の項には、「禅宗曹洞派新宮城下宗應寺末 本堂(6間半、4間半) 村中にある」とあり、新宮の宗應寺とは本山-末寺の関係であると記載されている。この「宗應寺」とは、現在の新宮市千穂にある東陽山宗応寺(そうおうじ)を指すものと考えられるが、同寺は聖徳太子の開創と伝えられる新宮最古の寺院である。

 

  • 本文にある「日下俊斉翁の古事」について、平成26年(2014)に古座川「水のまちづくり」推進協議会(連絡先:古座川町役場産業振興課)が制作した「古座川風土記(発行所:有限責任事業組合 古座川街道やどやの会)」では次のように紹介している。なお、この紹介文ではイチョウの呼び名を「子授けイチョウ」としている。

光泉寺の大イチョウ伝説(三尾川)
 時は江戸時代、今から約200年前紀州の南にある江住村西牟婁郡江住)に、日下俊斉(くさか しゅんさい)というお医者さんがいました。
 春のお彼岸もすぎたあたたかい日のことでした。一日の診察のつかれで、俊斉がうとうと眠ってしまった時、不思議な夢を見ました。
 眠っている俊斉の枕もとに、髪をふりみだし、顔の色をまっ青にした娘が両手をついて、
先生どうか私を助けてください。お願いします。
というのです。うつむいて涙を流しながら、娘は次のようなことを言いました。
こんな姿をしていますが、私は三尾川(みとがわ)にあります光泉寺イチョウの木の精なのです。私は今、田畑づくりのじゃまになるからというので、きりたおされようとしています。私の命をすくって下さるのは、村人から尊敬されている先生のほかありません。先生、どうか私の命をおすくいください。
 そう言いおわると、両手をついていたの姿は消えていました。ただ笛の音(ね)のように細くあわれな娘の声が夢からさめた俊斉の耳にはっきりと残っていました。
なんと不思議な夢を見たものじゃ。
 三尾川村といえば、俊斉のふるさと。江住村から峠をいくつかこえたところにある山奥の村です。峠の道はもう夜でしたが、俊斉は心せかれるままに、けわしい山道を急ぎました。そしてやっと三尾川村に着くと、すぐ光泉寺をたずねました。
 本堂におおぜいの村人達が集まって、なにやら相談をしているようですが、いきりたって話す大声が、庭先までよく聞こえます。
いくらお寺にある古い木だというても、こんなに根を広げてはめいわくじゃ。
そうじゃ、近くの畑では野菜もつくれん。
根だけじゃない。枝葉を広げて、日かげになって畑のものが育たん。
 どうやら大銀杏の根がはびこって、近くの田、畑では農作物が作れなくなったため、木を切ってしまおう、という相談のようです。
切るといっても、あの大きさじゃ、切ることもできん。
火をつけて焼いたらどうじゃろ。
それがいいかもしれん。
 話がおおかたまとまりかけたところへ俊斉がはいってきました。
 村人たちは、病気の時以外は、まねいたことのない俊斉が、いきなりあらわれたのでおどろきました。
先生、急にどうしたんですか。
いや実はなあ、今お前さん方が相談しているイチョウの木のことでなあ・・・。
 そういって俊斉は、夢枕に表れた不思議な娘の話をしました。そしてそういう訳だから、なんとかあのイチョウの木を助けてやってもらえないか、とたのみました。けれど、わずかな田畑の作物でくらしている村の人たちは、すぐには承知してくれません俊斉は、
あの古いイチョウには木の精がこもっている、だからきっとこれからは村人達の役にたってくれるだろう。
と言いました。
 日頃から、命の恩人であり、村のためにずいぶんつくしてくれた俊斉の言うことです。しぶっていた村人達も、しまいにはみんな納得してくれました。こうしてイチョウの木は無事に命がすくわれました
 そして、その後、村人達が心配したように付近の田畑へ根を広げることもなく、それどころか、不思議なことに、その近くの田畑は土がこえて、今までよりいっそうたくさん作物がとれるようになりました
 不思議なことはもう一つあります。あまり根を広げなくなったイチョウの木は太い枝から乳房のようなコブをたらしたのです。村人達イチョウの乳と呼んで、不思議がっていましたが、そのうちだれ言うとなく、赤ちゃんのできない人はあのイチョウにお願いすれば赤ちゃんができるようになる、と言いだしました。
 それから子どものできない人は、遠くからでもお参りにきて、ご利益をさずかるようになったということです。そしてだれが言うともなく、「子授けイチョウ」と呼ぶようになりました。
 樹齢400年、幹のまわり6メートル、樹高30メートル。枝からたれさがる無数の乳柱は長いもので3メートルもあります。

 

 此の大イチョウが新緑に染め上げられるのは4月下旬。思わず大きく深呼吸をしながら、その新鮮な香によってしまう。秋は又真黄色に包まれた姿は二つとない、すばらしい眺めである。すっかり葉が落ちてしまう秋の終わりには、高々と積もった葉っぱの上が、子供達の楽しい遊び場と変わる。
 こうして今でも、古座川上流の静かな山里、三尾川光泉寺の庭に立っている。

 

  • この物語は、毎日放送制作により長年にわたり放送されたTVアニメ「まんが日本昔ばなし」において、「子育てイチョウ」という題名で放映された。「まんが日本昔ばなし〜データベース〜 」という個人サイトによるとその概要は次のとおりであるが、この物語では、日下俊斉の説得は奏功せず、木に斧が入れられてしまったものの、イチョウの霊が姿を現したことにより伐採が中止されたとしている。また、イチョウの木の呼び名は本文と同様に「子育てイチョウ」とされている。
     放送日:平成元年(1989)3月25日
     題名:子育てイチョウ
     ナレーション:市原悦子

医者に命を救われた銀杏の古木の恩返し

 昔々紀州の南、江住(えすみ)村という所に日下俊斉(くさか しゅんさい)という医者が住んでいた。ある夜この俊斉が眠っていると悲しそうな顔をした不思議な娘が枕元に立ち、娘は三尾川(みとがわ)村の光泉寺(こうせんじ)に生えている銀杏の木に宿る霊と名乗った。
 銀杏の霊は自分が畑作りの邪魔となるため明日村人に切り倒される事を話し、自分の命を救えるのは村人から尊敬されている俊斉しかいないと助けを求めた。三尾川村は俊斉の故郷であり、子供の頃から馴染みのある銀杏の木が気がかりな俊斉は翌日、心急かされるままに三尾川村に向かった。
 三尾川村に着き銀杏の木の惨状を見た俊斉は、光泉寺の本堂で村人達に何百年も生きた銀杏の木を粗末にすれば必ず祟りが起こるので今すぐ切り倒すのを止めるよう説得した。しかし銀杏の木の根と枝葉のせいで僅かな作物も獲れなくなった村人達はどうにも納得できず、俊斉の制止を振り切りとうとう銀杏の木の幹に斧を下ろしてしまった
 その時銀杏の木が女のような呻き声を上げ、中からあの銀杏の霊が姿を現した。この光景に村人達は恐ろしくなり皆身を伏せていたが、銀杏の霊の苦しむ様子を見兼ねた俊斉が幹から斧を抜き取った途端呻き声は止み、銀杏の霊は俊斉にお礼を言うと再び木の中へ消えていった。
 こんな事があってから、村人達はもう誰一人としてこの銀杏の木を切ろうなどとは言わなくなった。
 その後不思議な事に銀杏の木の畑では作物が沢山獲れるようになり、根を広げなくなった銀杏の木は太い枝から乳房のような瘤を垂らし始めた。村人はこれを銀杏の乳と呼び、乳の出ない人はこの銀杏の木を拝めば乳が出ると言い伝えられ、いつしかこの木は「子育てイチョウ」と呼ばれるようになったという。
(投稿者: お伽切草 投稿日時 2012-12-8 22:47)
まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 子育てイチョウ

 

  • 原典未確認であるが、この物語は、雑賀貞次郎著「牟婁口碑集」(笠松彬雄ほか著「日本民俗誌大系 第4巻 近畿 1975」に収載)に「公孫樹の精」という題名で掲載されているとのこと。そこに掲載されているストーリーは概ね上記と同様だが、ここではイチョウの精が「木を切らなければ、寺の屋根が朽ちないようにする、長老の家内の病を治す」と約束したので、伐採を止めると、長老の家内は安産になり、イチョウの葉から雨が落ちなくなって寺の屋根も痛まなくなった、という話になっている。

 

  • 本文において触れられている現地の説明板には、現在は次のような説明文が記載されている。

子授けいちょう
子宝に恵まれたい方 健康安産をお祈りされる方は、
当寺ご本尊 阿弥陀如来 公孫樹明霊に一心に祈願すれば
日下俊斉翁の故事にのっとり
公孫樹明霊の大威神力に依り
霊験あらたかなりということです

 

  • 上述の「紀伊風土記」の「三尾川村」の項には次のような記述があり、日下氏は永正年間(1504 - 1521)に信州から潮岬を経て同地に移り住み、江戸時代には代々医者を務めていたようである。また、同地内の中村地区には日下氏が築いたと伝えられる山城(中村城)跡があり、日下氏がこの地域を支配していたことが伺われる。こうしたことから、本文に登場する日下俊斉が医師であり、他の地域に居住していても三尾川地区において一定の発言力を有する人物であったということは、十分に考えられることである。

旧家  日下幸内
家系にいう
永正年中 日下左近将監 信州より鹽埼(潮岬)荘安指浦に和深浦の小名)着岸し当所に来り 土居を構えて居住す
其後裔 大荘屋を勤む 今 医家となる
不動木像1体を蔵む
厨子に應永11甲申12月23日願主 藤原信近道衛敬白とあり
赤旗2流を蔵む
別家に地士 安之右衛門 為助あり

 

  • 本文でイチョウの「」と紹介されているものは、イチョウの老木にしばしば見られる「つらら」状の突起で、「乳(にゅう、ちち)」のほか、「乳根」、「乳頭」、「乳柱」などと呼ばれることもある。一般社団法人日本植物生理学会のWebサイトにある「植物Q&A」によれば、イチョウの「乳」についての研究はあまり行われていないため詳細は不明であるものの、現在では「気根(空中に露出している根)」ではなく「茎の変形したもの」と考えられているとのことである。
    イチョウの乳柱(気根)組織について | みんなのひろば | 日本植物生理学会

 

  • イチョウの「乳」はその名のとおり女性の乳房に似ていることから、乳の出ない女性が乳が出るようにイチョウに願をかけるという信仰が全国に広がっている。これは、民俗学においては「乳銀杏(ちち いちょう)」という名称で一般的なものとなっており、児島恭子氏の「イチョウ巨樹の乳信仰-歴史研究の資料に関する課題-札幌学院大学人文学会紀要  103号 2018)」によれば、こうした信仰を有するイチョウの木は全国で200本以上にのぼるとのことである。
    札幌学院大学学術機関リポジトリ

 

  • 本文では、県の天然記念物としての指定を解除されたとなっているが、その後、昭和61年(1986)10月9日付けで天然記念物「光泉寺の公孫樹」としてあらためて古座川町から指定を受けている。

 

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。