生石高原の麓から

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久保の小女郎 ~北山村大沼~

 北山は、文字通り山の中の村だ。北山川の流れに沿って散在する集落は、いつも、ひっそりと静まり返っている。

 
 そんな山と川の里にふさわしく、伝説は多いが、中でも大沼に伝わるこの話は、いかにも山里にふさわしく、ダムでせき止められた濃緑の川面をみつめていると、それが現実味をおびて迫ってくる。

 

 いつのころか、時代はつまびらかでないが、大沼に絶世の美人がいた。そのやさしい、美しさをたたえて、里の人々は「久保の小女郎」と呼んでいたという。ところがこの娘は、対岸の大井(いまの三重県熊野市)の「船戸の池」にすむ大蛇と二世を契った・・・と。

 

 この妖怪な伝説のある池は数十年前まで、満々と水をたたえていたが、今はただ池の輪郭を残すのみ。30キロ離れた有馬の池と水底を通じていたとも伝えられる。

 

(メモ:北山村は全国でも珍しい三重、奈良県境の飛び地。熊野市から車で約1時間。大沼の上流に七色、下流に小森の二つのダムがあり、夏は村営のイカダ乗りが楽しめる。)
(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

北山村大沼地区 北山川の対岸が大井
「船戸の池(蛇の池)」は新大沼橋南詰付近と思われる

 

  • 北山村(きたやまむら)は、和歌山県東牟婁郡に属する村で、「平成の大合併」の後は和歌山県内にある唯一の村となった。周囲を奈良県三重県に囲まれており、一つの自治体の全域がいわゆる「飛び地」となっているのは、全国でも北山村のみである。この村の特徴について、同村のWebサイトでは次のように解説している。

北山村って?

北山村の場所
紀伊半島の中央部に位置する北山村。
まず声を大にして自慢したいのが、“町そのものが日本唯一”って称号を持ってること。

日本で唯一の「飛び地」の村
北山村は和歌山県、・・・なはずなのに、村に隣接する町や村はすべて三重県奈良県
和歌山県のどの市町村とも隣接しないという不思議な現実が起こっている。
それが北山村最大の特徴であり、日本でココだけの称号なのです。
約48平方kmという小さな村の面積の97%は山林。
その真ん中を清流・北山川が悠々と流れるという日常の風景は、過去「美しい日本のむら景観コンテスト」で農林水産大臣賞も受賞。
豊かな自然に包まれ、ゆったりとした時間が流れるなか、現在約450人が生活しています。

小さな村ながらも、個人のパワー、地域のパワーは大きなものを誇っており、これまでも「毎日・地方自治大賞」優秀賞を受賞するなど、その独創的で優れた事業は県内外からも大きな注目を集めるまでに至りました。

その一つが「観光筏下り」。
この地域の伝統文化でもある「筏」を今に伝えるべく改良を加えた観光事業で、シーズンとなる春から秋にかけては多くの方がやってきては日本唯一の観光筏を満喫されています。

また、この村には全国唯一という特産品も存在。
じゃばら」という名の柑橘系の果実で、古来からこの地域でのみ自生するという珍しいもの。近年は町による本格的な開発・PRにより様々な商品が開発されるなど北山村の地域活性の一翼を担うまでに発展しています。

 

全国唯一の「飛び地」の村
「飛び地」。
聞きなれない言葉ですが・・・。
簡単に説明すると、和歌山県に位置する北山村なのに、村を囲む市町村はすべて三重県奈良県和歌山県のどの市町村とも隣接しないのに和歌山県に属しているということ。県に隣接することなく独立するような形で点在していることから「飛び地」という名で表現されているのです。
もちろんこんなことは日本でココだけ。
町そのものが“日本で唯一”なんていう何とも誇らしい称号を手に、我々は日々誇りを持って暮らしています。

 

村の歴史
昔から良質の杉に恵まれ林業で栄え、伐採された木材の輸送は川を利用して筏によって木材集積地の新宮まで運ばれていました。
当時、北山村は人口の大半を筏師が占め、新宮木材業者と筏師は共存共栄、切っても切れない関係で成り立っていたのです。
明治4年廃藩置県が実施され、新宮が和歌山県編入された際、地理的に言えば北山は奈良県に属するところを「新宮が和歌山県に入ったのならぜひ私たちも」との村民の意見を聞き入れ、、和歌山県編入。そして、明治22年には七色、竹原、大沼、下尾井、小松の5つの村が合併。現在の北山村と改称、施行されました。
北山村って?

 

  • 大沼地区について、北山村が編纂した「北山村史」では次のように解説されており、かつてこの地には小さい沼が多くあったので「多沼」が転じて「大沼」になったものと考察している。

大沼(おおぬま)
 オホヌマと読んでいるが、「紀伊風土記」には於保能(オホノ)と読まし、土地の人も多くはこれに従う。同書に「土地は汚下にて、字に沼畑、沼ノ上、沼ノ下などあるが、大沼の名はこれより起る。」とある。今はどこにも沼らしいものが見当らないが、字の地名にヌマとつく所が多い点から推すと、昔は沼があったことを想像することができる。ただ少し気にかかるのは、大沼の大である。こんな地形のところに大沼のある筈はなく、小沼の多い土地、すなわち、多(オホ)沼が大沼に変じたのであろう。沼はアイヌ語でノマという。オホノマがオホノになったので、オホヌマがオホノになったと考える根拠がありそうに思われる。

 

  • 北山村史」では、大沼地区に伝わる伝説として「久保の小女郎」の物語を次のように紹介している。

久保の小女郎
 大沼にありて、数十年前までは濁水満々としていたが、今はただ池の輪廓のみで池水はなく、30キロメートル離れた有馬の池と水底を通じているという噂さえある。その真偽のほどはわからない。
 この池にまつわる妖怪な伝説がある。時代は不詳だが、大沼村に絶世の美人がいた。その姿形のよさ、顔だちのやさしい美しさを讃えて「久保の小女郎(こじょろう ※1」と呼んでいたという。
 小女郎は年齢17、8、頭髪は烏のぬれ羽の如く黒くて長く、そのふさふさとした美麗さは他に比ぶべきものがなかった。この美女にも一つの謎があった。すなわち、老父母を悩ます事件がおこった。彼女が毎日履いている草履がしっとりと濡れ、その上に細かい砂にまみれていることであった。そして、小女郎の素振りも不審さを感じさせていた。そこで母親は、手をかえ品をかえして聞き出そうと努めたが、ただ頭を振るだけで答えてはくれない。百方万策のつきた母親は、ある夜娘の髪に白い糸玉をとりつけた。それに気づかない小女郎は、深夜寝床から起き出してふらふらと家を出て行く。母親は不安と戦慄にかられながら白糸玉の跡を追った。すると、北山川を渡り神川村大井領の船戸の池に糸玉は消えたのだった。母親は大声をはりあげて娘の名を叫んだが、ただ山々にこだまするだけだった。
 暫くすると、どこからともなく娘の声が聞えてきた。娘の無事を内心で喜びながらじっと伏して声のする方を見守っているとき風がにわかに吹きすさび、池の面がさわがしく竜巻の如くに水さがりて、その中央に娘を口にくわえた大蛇の姿を発見したのだった。娘は大蛇の口の中にありながらにっこりと笑って、
私はこの池の主と二世を契りました※2。今日まで誰にも知られずに二人の恋は続きました。しかしもはや、母に知られた今となっては、池の主は私を帰してはくれません。母よさらばでございます。
といって池の中に消えてしまった、という伝説なのである。
※1筆者注:「女郎(じょろう/めろう)」とは、一般的には「遊女」の意で用いられることが多く、また女性に対する蔑称として用いられることもあるが、その反面、「若い女、少女」「大名の家政に携わる女性」などの意味でも用いられることがあり、ネガティブともポジティブとも解釈できる呼び名である。
※2筆者注:「二世(にせ)を契る」とは、「現世(げんせ)」と「来世(らいせ)」の「二世(にせ)」にわたって末永く夫婦として連れ添うことを固く約束する、という意。

 

  • 上述の「北山村史」の記述では、かつて大沼地区に小女郎伝説にまつわる池があったとされ、同書には「小女郎池」の写真も掲載されている(「北山村史」下巻 P353)が、この伝説で小女郎が大蛇と契りを交わしたのは北山川の対岸にある「船戸の池」であるとされており、混乱があるように見受けられる。後述する上小中学校のWebサイトにある情報によれば、大沼地区花知地区の伝承では小女郎が沈んだのは「つの池」であるとされているので、この「小女郎池」が「つの池」に該当するものか。

 

  • 特定非営利活動法人紀州ITコミュニティが運営するWebサイト「紀州ほっとネット くまどこ」の「熊野市百科大事典:神話と伝説 『蛇の池』 」の項にも同様の話が掲載されているが、ここでは、物語の舞台は大井地区にある「蛇の池」という池とされ、この池の水が「有馬の池(又は下北山村池峰の明神池)」に通じているとする。また、小女郎の正体はもともと蛇であったがこの世に生まれるために人間の腹を借りたとしている点で、上述の北山村史の物語とは異なっている。

熊野市百科大事典:神話と伝説 『蛇の池』 < 熊野市(旧熊野市、旧紀和町) >
 育生町大井の、北山川の岸近くに「蛇の池」という池がある。池の水脈は有馬の池に通じているとも、また下北山村池峰の明神池に通じているともいわれている。
 むかし、対岸の大沼に、久保の小女郎という大そう美しい娘があり、髪が長いので、櫛で琉くときはその一筋一筋が蛇のようにうごめいたという。この小女郎が深夜どこかへ行く様子なので、両親が糸を付けた針を娘の着物にひそかに縫いつけておいて寝かせた。抜け出した娘の後を糸をたぐつて行くと、その糸は大井の池までつづき、池の中に没している。
 母親が、「もう一度顔を見せてくれ。」と叫ぶと、水中から小女郎は姿を現わしたが、その頭には角が生え、すでに蛇体の相をあらわしていた。小女郎の正体は蛇であったが、生れるのに人間の腹を借りたのだと言うことである。一説に、小女郎には想う男があって、その男に誘われて池の蛇体になったのだともいう。

 

 育生町の田野野から北山へ抜ける昔の峠道に「小女郎地蔵」があります。この地蔵は歯痛を治すと言われ、実際この峠道の田野野にある家(現在は納屋)のおばあさん(平成12年97才で永眠)の話では、首から上の病気(歯痛や頭痛)がおきると、夜中でもこの峠にある地蔵様にお参りしたそうです。
東紀州ほっとネット くまどこ:東紀州百科事典 

 

  • 三重県熊野市立上小中学校のWebサイトでもこの物語を紹介しているが、この物語は伝えられる地域によって少しずつ内容が異なっているようで、複数の伝承を並記して紹介している。また同サイトでは上記引用文でも触れられている「小女郎の石碑(蛇地蔵)」も紹介されている。

 日本各地に伝わる昔話や伝説には蛇を主人公にしたものが多く存在します。熊野地方にも神川町の隣町、育生町と北山川を挟んで対岸に位置する和歌山県北山村の地には、美女と蛇にまつわる話が有名な伝説として残っています。

『久保の小女郎(こじょろう)』
 昔、[大沼]に「久保の小女郎(一説には小白ともいう)と呼ばれるたいそう美しい娘がいました。その髪の毛も非常に長く、櫛で梳かすにも、竿にかけて梳かさなければいけないほどでありました。ところが、この娘は毎晩決まった時間になると何処かへ出かけていき、朝になると草履は濡れて草がついていました。
 両親は不審に思い、話し合った結果、娘の着物の袖に白い糸をぬいつけておき、夜、小女郎が家を抜け出した後、その糸をたどって行きました。すると、糸は北山川を渡り[大井]の蛇の池まで続いて、池の中に没していました。
 母親は声をあげて、「小女郎、ひとめ顔を見せろ!」と言うと、ザワザワと水面が波立ち、中から小女郎が姿を現しました。
 その姿は、顔だけが人間で身体は蛇体になっていたのです。小女郎は池の主の落とし子であったといわれています。            
                         ([向地]の伝承)

 

 [長井]の伝承によれば、小女郎が毎晩家を抜け出すのは、美男子に化けた池の主に会うためだったとして、両親に見つかった小女郎はもはや生きていられないとして池へ身を投げた。その後、小女郎は蛇に化けて出てきて、強雨など天災を起こした。それで、その霊を沈めるために田野野峠の上に蛇を2匹彫った石碑を立て小女郎の霊を祀ったとされています。 

 

 [花知]の伝承では、小女郎が池へ出かけていったのではなく、池の主である蛇が美男子に化けて毎晩、小女郎の家に遊びに来たと伝えられており、池も蛇の池ではなく、つの池であったといわれています。

 

 [大沼]でも、つの池から有馬まで空洞になっていたため小女郎がつの池へ傘をもって入ったら、有馬の池にその傘が浮かんでいたといいます。

 

     (「紀伊 熊野市の民俗」大谷大学民俗学研究会編より)

 

三重県熊野市立神上小中学校

 

  • 国際日本文化研究センターが運営する「怪異・妖怪伝承データベース」には、北山村に伝わる伝説として次のような情報が掲載されている。これは、「中京民俗 通巻15号中京大学郷土研究会 1978)」に掲載された論文をもとにした情報であるが、ここでは小女郎の下半身は鮫肌で、船戸池において入水自殺したとされている。

 小女郎男神を求めて船戸池へ通う。両親は木綿糸をつけてそれをたどりついていく。思うような恋を果たせない小女郎入水自殺し、男神もあとを追う。峠に墓がある。小女郎は長くて美しい黒髪の美人で、腰から脚部は鮫肌であった。
小女郎,蛇,女神 | コジョロウ,ヘビ,メガミ | 怪異・妖怪伝承データベース

 

  • この物語に関連して言及される「有馬の池」とは、現在の三重県熊野市にある山崎運動公園のあたりにあったとされる池を指す。ここには大蛇にまつわる伝承があるようで、奈良県吉野郡下北山村のWebサイトにある「「明神池」を開いた役行者伝説」の項に次のような記述がある。小女郎伝説にあえて「有馬の池」が登場するということは、小女郎が契りを交わした大蛇は役行者に封じられた大蛇に所縁があることを示すのかもしれない。

大蛇を封じ込める
 「明神池」には、「大蛇」にまつわる伝説も残されています。
 役行者(えんのぎょうじゃ)大峰山脈で行をしていたとき、「行仙の宿(ぎょうせんのしゅく)」を通って十津川村から下北山村に抜ける「笠捨峠(かさすてとうげ)」に、山越えをする人々に悪さをする大蛇がいると聞きました。
 そこでそれを退治しようと役行者が訪れて鉄の高下駄(たかげた)で踏みつけ手にした錫杖(しゃくじょう)で跳ね飛ばしたところ、
奈良市の「猿沢池(さるさわいけ)」に、
は熊野市の「有馬の池(ありまのいけ)(現在の山崎運動公園)に、
下北山村の「明神池」に落ちたと言われています。
「明神池」を開いた役行者伝説 - 観光案内 | 下北山村公式ホームページ

 

  • 現在は奥瀞道路が開通したため、自動車では新宮市から国道168号を北上し、宮井地区から玉置口方面へ右折、国道169号で北山村小松地区へ入るのが便利。

 


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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。