生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

「生石高原の山焼き」に至る経過と今後の計画(2003.1.31)

 「イベント回顧録」のカテゴリーでは過去の個人サイトに載せていたイベントの記録などを再掲しています。

 

 今回は、地域住民が念願していた「生石高原の山焼き」を平成16年(2004)春に実現できる目処がたったことから、これまでの経過と今後の計画について取りまとめた記事です。

 生石高原のすすき草原保全・管理活動については、前回の記事でも触れていたように、平成9年(1997)に和歌山県が提唱した「ネイチャーフレンドシップ運動」をきっかけとして始まったものですが、今回、「山焼き」を実施する体制が概ね整ったことから、今後はこの体制を維持していくための活動が中心となっていくことになりました。
「生石山の大草原保存会」による「すすき大刈り取り会」刈り取りボランティア募集(2002.10.29) - 生石高原の麓から

-----------------------------------------------------------
生石高原の山焼きについて

f:id:oishikogen_fumoto:20211105102334j:plain

生石高原周辺の航空写真(平成8年撮影)
赤線で囲まれた部分がすすき草原

 

 生石高原のススキ草原を保全し、復元することを目的として、ススキの「山焼き」が行われることが決定しました。当面は、小規模な山焼きを試験的に実施するにとどまりますが、奈良県曽爾高原曽爾村のホームページへ)や兵庫県砥峰高原神河町のホームページへ)と並ぶような季節の風物詩になればいいですね。
 このページでは、和歌山県が作成した資料をもとに、生石高原の山焼きに関する情報をまとめてみました。


1 生石高原の概要

 生石高原は、海草郡野上町(現在の紀美野町、有田郡金屋町、有田郡清水町(両町とも現在の有田川町の3町の境界となっている生石ケ峰(標高870m)から西側へ約2Kmにわたって広がるススキ草原を中心とした高原です。

 このススキ草原は近畿有数の規模(約30ha)を有し、風に波打つススキの穂の美しさ、山頂から望む雄大なパノラマは屈指の観光資源となっています。

 また、山頂周辺にはススキ草原特有の多様な動植物が生息・生育しており、豊かな生態系が観察できる貴重な地域でもあります。

 こうしたことから、和歌山県では昭和50年にこのススキ草原を生石高原県立自然公園第1種特別地域に指定して厳重な保護を行っています。


2 ススキ草原について

 文献等に基づく調査では、生石高原は平安時代頃から地域住民の共同の茅場(かやばとして利用されてきたと推定されています。ススキは茅として屋根葺きの材料に使用されるほか、堆肥や家畜の飼料としても広く利用されたため、地域住民は毎年一定のルールに基づいて刈り取りを行い、共同でススキ草原の維持・管理を行ってきたものと思われます。

 また、第二次世界大戦後はこのススキ草原が観光資源として注目を集め、近畿地方の青年による弁論大会が開催されるなど、観光地としての地歩が固まってきました。

ところが、昭和30年代以降になると、住民の生活様式が変化し、茅葺き屋根が無くなり、堆肥や飼料としての利用が行われなくなったことにより、生石高原のススキ草原も刈り取り等の維持管理が行われなくなってしまいました。

 その結果、枯れたススキが堆積することによって新たなススキの芽出しが阻害されたり、雑木が伐採されずに大きく育ったりすることによって、ススキの勢力が徐々に衰えてきました。こうしたことにより生石高原全体に占めるススキ群落の面積が減少することとなり、和歌山県による航空写真を本にした調査の結果では、昭和43年から平成8年までの28年間で約26haから8.4haへと約3分の1に急減したと言われています。
※茅=屋根葺きなどの材料として使用されるすすき等の総称


3 過去の山焼きについて

 地元の伝承によれば、江戸時代には既に地域住民が共同で山焼きを実施しており、大正時代中期まで続けられたと言われています。しかしながら、こうした事実が記載された文献等はなく、実際に山焼きを行ったという体験者も存命していないようです。

 意図的な山焼きではなく、失火によるすすきの焼失は過去に何回かあったと言われており、記録に残されているものとしては昭和10年頃と昭和40年頃の2回があります。

 なお、山頂部ではありませんが、生石ケ峰から金屋町側へ下ったところには昭和30年代まで山焼きを行っていた場所があり、最後の山焼きの際に指揮をとっていた方が金屋町にお住まいだということです。


4 ススキ草原保全への取り組み

 和歌山県では、生石高原のススキ草原を保全するために、平成10年度から平成12年度までの3年間をかけて「生石高原ススキ草原復元実施計画」を策定し、県、町、地域住民、ボランティア等の協働による保全活動に取り組んできました。

 また、平成13年度には、この活動へのボランティア参加者が中心となって「生石山の大草原保存会」が発足し、同会が主体となって各種の自然観察会やススキ刈り取り会などの事業を継続して実施していくこととなりました。

 同会の活動に対しては、地域住民の間にも賛同の輪が広がり、毎年11月末に開催されるススキ刈り取り会には、地元のボランティア団体や町職員、町議会議員、児童生徒などさまざまな人々が参加しています。(平成14年度の刈り取り会の案内はこちら


5 「緑の雇用事業」の活用

 現在、地元の野上町金屋町では「緑の雇用事業」を活用してススキ草原内の雑木の除去作業等を行っています。これは、草刈機やチェーンソー等を使用してススキと共に灌木を伐採するもので、専門的な技術を要するためボランティアでは取り組みが困難な箇所を重点的に実施しています。


6 新たな山焼きの実施について

 こうした各種の活動によりススキ草原の保全・再生に対して地域をあげて取り組む気運が高まってきた結果、地元から「過去に行われていたというススキ草原の山焼きを実施しよう」との声が挙がってきました。

 山焼きについては、これまでも何度も話題にのぼっていたのですが、大規模な山火事に繋がる恐れがあることから実現することは極めて困難であると考えられ、その都度立ち消えになっていました。

 ところが、今回、和歌山県と地元の野上町・金屋町がそれぞれ1/2ずつを負担して合計300トンという非常に大規模な防火水槽をススキ草原周辺に設置することによって安全を確保するという方針が決定したことにより、この計画がにわかに実現に向けて動き出したのです。

 ススキ草原を保全するためにススキを焼き尽くすというのは一見矛盾した考え方のように思われますが、実は次のような理由から大変効果的な手法であると言われています。

  1. ススキは山焼き後、他の植物に先駆けて芽を出し、他の植物よりも生長が早いことから、山焼きをすることによって純粋なススキ草原の育成ら寄与する。
  2.  枯れて堆積したススキを燃やすことにより、ススキの芽出しを促進する。
  3.  堆積したススキが多くなると、万一の失火があった場合、山火事の規模が大きくなるため、その危険性を少なくする。

 

 実際の事業実施にあたっては、平成14年度にまず100トンの防火水槽を設置し、この完成を待って平成15年3月下旬に小規模(約3,000㎡程度?)な山焼きが試行的に実施される予定です。

 その後は、残り200トン分の防火水槽の設置を順次進めるとともに、山焼きの規模を徐々に拡大する予定で、最終的には公有地を中心とした約13ヘクタールの範囲において山焼きを行うことが計画されています。

 


※この文章は、下記の資料を参考にしました。(資料はいずれも和歌山県環境生活総務課

  1. Nature Friendship  和歌山県ネイチャーフレンドシップ情報誌
  2.  生石高原すすき草原復元実施計画策定等委託事業報告書

なお、この文章はあくまでも筆者が上記資料等をもとに独自に作成したものであり、その文責は全て筆者個人にあります。

-----------------------------------------------------------

 

 下記のリンク先の記事にもあるように現在はすっかり「春の風物詩」として定着した感のある「山焼き」ですが、その背景について解説した資料は最近ではあまり見られないようですので、ひとつの記録としてここに残しておきたいと思います。
和歌山社会経済研究所 | 和歌山ブラぶらウォッチング

 

 直近では天候及び新型コロナウイルス感染対策により3年連続(2019~2021)で山焼きは中止されていますが、それでも定期的に管理活動が行われていることから、生石高原のすすき草原は良好な状態で維持されており、最近は「インスタ映えスポット」として近畿一円から多くの観光客を集めるようになってきました。

 

 上記文中で言及されている「緑の雇用事業」は、小泉純一郎政権(2001年4月〜2006年9月)のもとで進められていた「聖域なき構造改革」に伴う公共事業削減などにより増加の傾向にあった失業者らの雇用対策として、荒廃する森林や河川などの環境保全・再生事業を積極的に推し進めていこうとしたものでした。

 この事業の発端は、平成13年(2001)8月21日付けの朝日新聞オピニオン欄に掲載された木村良樹和歌山県知事(当時)の投稿「地方活性化 山の環境保全で雇用創出」と題した主張でした。ここで、木村知事は「構造改革の過程で多くの人が仕事を失う中、ITなどの分野に適応しない人もあり、雇用の受け皿の多様化を考えるべきだ。山合いの中山間地域は、高齢化で、若い労働力を望んでいるが、この地域には所得を保障する仕組みが欠けている。環境管理に焦点を当てた施策の実施は、ふるさとのない都会人の住む都市と地方の対立の緩和に役立つ。小泉構造改革に厚みを持たせるためにも自主的な受け皿をつくり、地方の自立を」と訴えています。

 この主張、及びその直後に出された木村和歌山県知事・北川三重県知事連名の緊急アピール「緑の公共事業で地方版セーフティネット」は全国で大きな反響を呼び、名称を「緑の雇用事業(当時「公共事業」にはネガティブなイメージがつきまとっていたため意図的にこの言葉を避けたもの)」と改めて、地方で森林保全、環境保護などに従事する職業に対して国が大きな支援を行う仕組みが構築されました。この事業の枠組は、現在もなお林野庁林業労働力確保事業の一環として継続されています
「緑の雇用」事業、緑の青年就業準備給付金事業:林野庁

 

 上記文中で触れられているススキ草原内の雑木の除去作業等は、こうした国の支援策を活用されて実施した事業なのです。