「イベント回顧録」のカテゴリーでは過去の個人サイトに載せていたイベントの記録などを再掲しています。
今回の記事は、平成16年(2004)3月に行われた生石高原の「山焼き」の様子を紹介したもので、これが「イベント回顧録」のカテゴリーでは最後の記事となります。
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春の芽吹きを目前に控えた平成16年3月28日に生石高原の山焼きが開催されました。
本来は3月21日に開催される予定でしたが、前日に雨が降ってすすきが湿っていたため一週間延期になったものです。
今回は、木曜日に雨が降ったものの、金・土と好天が続き、当日の日曜日は快晴、ほぼ無風という絶好のコンディションに恵まれました。
山焼きの実行部隊は野上・金屋の両町役場、NPO法人生石山の大草原保存会、地元自治会、消防団、消防署などで構成され、総計約100人が「火入れ班/消火班」4班、「放水班」3班にそれぞれ別れています。
まず最初に、全員が揃って当日の作業の最終確認。山焼きは今回が2回目ですが、前回は約3,000平米程度の試行であったのに比べ、今回は約10倍となる31,000平米を焼くことになっているため関係者も慎重に説明を受けています。
木村知事による来賓挨拶。
知事が野上町長に「生石高原で山焼きをやってはどうか」と提案したことが今回の山焼き実現の大きなきっかけとなったということで、知事の山焼きへの思い入れは強いようです。天候の事情により1週間延期となった山焼きですが、それでも日程を変更して知事が来賓として参加していただけるのは比較的珍しいことであると言えましょう。
木村知事、熊ノ郷金屋町長、黒西野上町長の3人による点火式。
好天が続いたことによりすすきは充分に乾燥していたようで、点火された途端に大きな炎が上がりました。
点火班がガスバーナーにより次々と着火していくのを見ながら、消火班はジェットシューター(背負い式簡易消火器)や火消し棒、熊手などを使いながら延焼を予防していきます。
風に煽られて炎が大きくなり手作業では追いつかなくなると、待機していた放水班が防火水槽の水をポンプで汲み上げて消火していきます。大規模な山焼きは今回が初めてでしたが、各班がきちんと連携をとって安全に作業が進められました。
関係者の見守る中、大きな炎が上がってすすきが徐々に焼け野原へと移り変わっていきます。
今回の山焼き実施までに、関係者は徳島県の塩塚高原や奈良県の曽爾高原などを訪問し、点火の手順や消火の方法等を充分に調査してきました。こうした事前準備のおかげで、関係者も驚くぐらいスムーズに山焼きは進められました。
各方向から点火した炎が徐々に間隔を狭めていき、一つにあわさって一段と大きな炎が上がります。
予想を上回る炎の大きさに消火班には緊張が走りましたが、すすきはすぐに焼き尽くされて一気に炎は小さくなりました。あとは放水班により延焼を防ぐための放水が行われます。
山焼きの炎は麓からもはっきりと見えるほど大きなものでした。
このため、主催者からはあらかじめ新聞やテレビなどを通じて「山火事と間違えないように」とのPRが行われていました。確かに、山焼きだとはわかっていても、「失敗して周囲に燃え広がっているのではないか」と心配するほどの大きな炎に見えました。
山焼き終了後の生石高原。
このページ最上段の写真と比較してもらえれば、どのような作業が行われたかが判っていただけると思います。作業開始からこのような状態になるまでに約1時間。思ったよりも作業は早く進行しました。
ここまでで作業は全体の約半分。残り2区域を焼き終えて全体の作業が終了したのは午後1時過ぎのことでした。
生石高原のイベントや山焼きに関するお問い合わせは
紀美野町役場(代表電話073-489-2430)へ
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このカテゴリーでは、平成8年(1996)の山開き以来、8年間にわたって生石高原に関する話題を取り上げてきましたが、この間に和歌山県の「ネイチャーフレンドシップキャンペーン」の展開、すすき刈り取り会の開催、「生石山の大草原保存会」の設立、防火水槽の設置、そして「山焼き」の実施、と生石高原を巡る状況が大きく変化してきました。
このブログでの紹介がこうした活動の一つの記録となればありがたいと思います。