生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

弘法大師の押し上げ岩

 「旧小川村の伝承」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、旧小川村(現在の紀美野町小川地区)に伝わる故事や行事に関わるものを再掲するとともに、必要に応じて注釈などを追加していきます。

 

 今回は「弘法大師の押し上げ岩」を紹介します。

 押し上げ岩は、小川八幡神社を起点とする生石高原へのハイキングコース沿いにあり、登山道に覆いかぶさるような形をした巨岩です。ここには、前項で紹介した「笠石」と同様に空海弘法大師)にまつわる伝承が残されています。

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押し上げ岩

 紀美野町側からの登山道沿い、中田地区にある大岩。岩の下側に手の形をした窪みがある。昔、道路を塞いでいた大岩のために村人が難渋していたところ、ここを通りかかった空海が怪力を発揮してその岩を押し上げた時の手形であると言い伝えられている。笑ってはいけない。空海はスーパーマンなのである。

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 現在、押し上げ岩の近くには野上町教育委員会(現在の紀美野町教育委員会)が設置した案内板が掲示されており、次のような説明が記されています。

弘法大師の押し上げ岩

弘法大師空海 774 - 835 真言宗の開祖)が若い修行僧の時代に生石山に登ったときに通行の障害になっていたこの岩を押し上げ、そのときの手形がくぼみとして残ったという伝説がある。

  野上町教育委員会

 googleMapでは押し上げ岩自体は確認できないものの、この案内板はストリートビューで見ることができます。

 

 空海は、唐(中国)で代々伝えられてきた密教の正統な伝承者であり、これを我が国に持ち帰って真言宗の開祖となったのみならず、優れた土木技術によって満濃池香川県の改修を指揮したり、一般庶民にも門戸を開いた教育施設「綜芸種智院(現在の種智院大学のルーツにあたる)」を開設するなど、さまざまな分野にわたって現在にまで大きな影響を与える多大な功績を残しています。その功績があまりにも広範囲に及ぶことから、全国各地に空海にまつわる様々な伝説が生まれました。「小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」には次のような記述があり、伝説における弘法大師はいち宗教者というよりはむしろ「民俗神としての弘法大師であるといえる」とさえ述べています。

空海/弘法伝説

弘法信仰のあるところに弘法伝説は生まれ、弘法伝説の生まれたところに弘法信仰は、より広く深く、庶民の心に浸透していった。弘法信仰弘法伝説は分かちがたく、ない交ざっており、弘法伝説の弘法大師すなわち「弘法さん」「お大師さん」は、民俗神としての弘法大師であるといえる。弘法伝説は、北は北海道から南は鹿児島県まで、さらに中国大陸にまで広く分布しており、その数はおよそ3300前後もあるといわれる。そのほかにも弘法伝説と称するものは非常に多い。民俗学者たちが努力して全国の諸伝説を収集し文献にまとめたものをうかがってみると、諸伝説の4分の3ほどのものが弘法伝説とよばれてよいものだという。

空海/弘法伝説とは - コトバンク

 

 こうした弘法伝説にはさまざまなものが伝えられていますが、星野英紀氏は「日本仏教を支えるもの-祖師信仰東洋哲学研究所「東洋学術研究」通巻112号(26巻1号) 1987)」において次のように整理しています。    

(略)
 日本の津々浦々に至るまで、大師伝説あるいは大師説話と言われるものが民間に流布していることはよく知られている。それらの話の基本的モチーフはつぎの通りである。旅の遊行の僧(実は弘法大師が、村人との接触を通じて、かれらにさまざまな恩恵やら罰を与えていく、というきわめて単純なストーリーである。この伝承の数を正しく把握することは困難であるが、ある収集研究者によれば優に三千は越えるという。

 民俗学者宮田登氏は、この伝説群を内容から五類型に分類している。まず第一は、神樹由来型で、これは旅僧姿の大師が村を通りかかった時、杖とか箸を地面に挿したところ、それが後に神樹に成長した、というものである。
 第二は弘法清水型である。大師が水の乏しい地域に錫杖や独鈷で地面を突いて水を湧出させるというものである。あるいは逆に村人たちが、大師とは知らずにその旅僧に対し邪険な態度をとると、その村の水供給を不自由にさせるのである。この型の伝説の数はきわめて多い。これは、空海自身のライフヒストリーとも関係がある。つまり彼自身在世中に雨乞いの儀礼を執行しているし、 彼の郷里に近いところに灌漑用の池修築を指導しているなどである。
 第三の大師伝説類型は、禁忌食物型である。芋、大根、
大豆などの畑作物、栗、柿、柚子、桃などの果物、あるいは魚などの食物に対して、大師の奇蹟が施されるという内容である。弘法清水型のケースと同様に、村人の対応の適否により、その食物が豊富にあるいは不足したりする。
 第四の伝説類型は、大師講型と呼ばれる。旧暦霜月二十三日の晩から翌日にかけては、大師が各家を訪問する時である、という伝承が広く見られる。この日は、各家では小豆粥を作り、風呂を沸かして大師を待つ。ある伝承では、この日に来る大師は一本足であるとも言われる。民俗学者によれば、この大師は仏教以前の土着的遊幸神の変容型であるという。
 第五の類型は奇蹟強調型である。モチーフとしては第一から第四までのものに共通するが、大師の奇蹟発現力を一層強調するものである。村を襲う災害に対して大師の奇蹟が強く説かれるケースなど、がそれである。

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 この項にある「押し上げ岩」の伝承は、上記の五類型にあてはめるとすれば第五の「奇蹟強調型」に該当するということになりましょうか。空海弘法大師が超人的な怪力の持ち主であるという点では、空海が大岩を運んできて串本から大島へ橋をかけようとしたという伝説(別項「橋杭の立岩」参照)とも相通ずるものがあると言えるでしょう。

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