生石高原の麓から

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鈴鹿サーキットモータースポーツ感謝デー(1996.1.15)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1996年1月に鈴鹿サーキットで開催された「モータースポーツ感謝デー」の話題です。

 1980年代後半のバブル時代に生まれた熱狂的とも言えるF1ブームは、1993年にホンダがワークス活動を停止し、1994年にはアイルトン・セナが事故死したことによってやや沈静化したものの、依然として高い人気を誇っていました。
 この記事を書いた前年の1995年には日本でパシフィックGPTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット))日本GP鈴鹿サーキットという2つのF1レースが開催され、リジェ・無限ホンダティレルヤマハフットワーク・ハートという日本企業が関与するチームの参戦もあり、鈴木亜久里片山右京井上隆智穂という3人の日本人がドライバーとして参戦するなど、まだまだF1に関する話題には事欠かないという時代でした。

 こうした中で開催された1996年の「鈴鹿サーキットモータースポーツ感謝デー」。以下の写真でもご覧いただけるように、多くの観客を集めて開催されました。

 

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鈴鹿サーキットモータースポーツ感謝デー
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 毎年1月中旬に開催されている「鈴鹿サーキットモータースポーツ感謝デー」。NSXやポルシェ、フェラーリといったスーパーカーによるパレードが開催されました。オーナーにとっては、愛車をサーキットで走らせるまたとない機会です。あまり張り切りすぎるとクラッシュ! 修理費で泣きを見ることも考えておかないとね。

 

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 日本人として初めてのレギュラーF1ドライバーとなった中嶋悟さんが久々にF1のステアリングを握りました。引退した今はPIAAレーシングチームの監督として活躍していますが、やはりマシンに乗り込むと表情が生き生きとし始めるのがわかります。中嶋さん、国内レースに復帰してくれないかな。

 

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 将来の日本のレース界を背負って立つ若獅子たち。左から 高木虎之介 影山正彦 山本勝巳 の三人。トラちゃん(高木)は必ずや近い将来F1の世界へ旅立ち、自チームの監督である 中嶋悟 を凌駕する偉大なドライバーとなるでしょう。影山選手は若干年齢が上になりますが、虎之介 22歳、 勝巳 25歳 の二人の将来が楽しみです。

 

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 鈴鹿サーキット本田技研の本拠地となるサーキットですが、ホンダのお膝元であるにも関わらず、世界GPロードレースのライバルであるヤマハのマシンも展示されていました。

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 上記で紹介したドライバーのうち、高木虎之介選手は1998年にティレルチームのドライバーとしてF1に初参戦、1999年もアロウズから参戦しましたが、マシンの競争力の問題もあり、残念ながら目立った成績を残すことはできませんでした。その後は一旦日本へ活動の場を移しますが、2001年からはアメリカへ移り、CART、IRLというシリーズに参戦し3位表彰台を獲得するなどの活躍を見せました。
 現在は後進を育成するためレーシングカートスクールを運営するとともに、2021年度はSuperGTシリーズに参戦する「TGR TEAM ENEOS ROOKIE(車両はトヨタGRスープラ」の監督を務めるなど、引き続き活躍しているようです。
高木虎之介 - Wikipedia

 

 また、山本勝巳選手は、この前年の1995年にF1チームを運営するパシフィックレーシング(英国)のテストに参加しており、同年のパシフィックGP日本GPにスポット参戦する計画がありましたが、実績が不十分との理由でライセンスが発給されずに断念したという経緯がありました。このため、1996年以降に捲土重来を期してしたのですが、残念ながらその後は機会に恵まれずF1への挑戦は幻に終わってしまいました。
 現在はモータースポーツ活動から引退し、故郷でサラリーマンをしているとのことですが、2021年に23年ぶりにアマチュアレースに参加したというニュースが報道されており、現在も元気に活動されているようです。
元F3000&GTドライバー山本勝巳が23年ぶりにレース参戦!「最初は『怖い!』と思ったけど楽しめた」

 

 最後に影山正彦選手。1963年生まれということで、この記事の時点では既に32歳で、1994年、1995年と2年連続で全日本GT選手権のシリーズチャンピオンを獲得するなど大活躍を見せていました。ル・マン24時間レースにも出場しており、この記事を書いた1996年には星野一義鈴木亜久里両選手とともに日産R390 GT1のドライバーとして参戦し、日本人チーム初の表彰台となる3位入賞を果たしています。
 2021年には、「チーム K-tunes Racing」の監督としてSUPER GT GT300クラスに参戦しており、引き続きモータースポーツ界で活躍されているようです。
チーム・マシン紹介|K-tunes racing 岡山トヨペットのレースチーム