「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。
今回の記事は1996年6月に鈴鹿サーキットで開催された「全日本ツーリングカー選手権シリーズ 第5戦/第6戦」の模様です。
前々回の記事ではいわゆる「ハコ(GTカー)」で争われる全日本GT選手権の様子をご紹介し、前回の記事では「フォーミュラカー」で争われるフォーミュラ・ニッポンの様子を紹介しました。今回は、これとはまた違った「ツーリングカー」によるレースを紹介します。
レースにおいてツーリングカーと呼ばれる車両は、大きな区分では「ハコ」と呼ばれる車両に含まれるのですが、前述のGT選手権への出場車両が高性能なスポーツカー(GTカー)であるのに対し、ツーリングカー選手権への出場車両は原則として比較的小排気量のセダン(ドアが4枚あり、4人以上が乗車できる車)に限られています。
このため、より日常的に街なかで見かける車によってレースが戦われることになり、また同型の自動車に乗っている人も数多いことから、観客にとってはGTカーやフォーミュラカーによるレースよりも、より感情移入しやすい(馴染みのある車両を応援できる)レースとして人気が高まっていました。
特に、この当時は英国やドイツで開催されていたツーリングカー選手権(ドイツ・ツーリングカー選手権 DTM、イギリス・ツーリングカー選手権 BTCC)が大盛況であったため、日本でも従来の選手権シリーズを見直して、国際規格に対応したレースとして1994年から「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」が開催されるようになりました。
この記事を書いた1996年は、まさにこのツーリングカーのブームが頂点に達したとも言える年で、トヨタ(エクシヴ)、ホンダ(アコード)、ニッサン(サニー、プリメーラ、カミノ)などの自動車メーカーの威信をかけた対決が華々しく繰り広げられました。
こうした背景も踏まえて下記の記事をご覧いただければと思います。
’96 JTCC SUZUKA SUPER TOURING
6月2日、鈴鹿サーキットにおいて「1996年全日本ツーリングカー選手権シリーズ第5戦&第6戦 JTCC鈴鹿スーパーツーリング」が開催されました。今年が3シーズン目となる全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は、自動車メーカー各社が市販している4ドアセダンによって争われるもので、ホンダ・アコード、トヨタ・エクシヴ、カローラ、ニッサン・サニー、プリメーラ、BMW318、オペル・ベクトラなど、私たちにも普段から馴染みのある自動車が多数出場しています。
しかし、このレースに出場するマシンは外観こそほとんど市販車と差がありませんが、エンジンやサスペンション、ギヤボックスなど中身はほとんど純粋なレーシングカーであると言っても良いくらいの大改造を受けています。
JTCCは、毎回これらの「羊の皮を被った狼」たちの大バトルが見られ、なおかつ1日に2つのレースがたて続けに開催されるという実に「おいしい」シリーズ戦となっています。今回は富士、菅生に次ぐ第3回大会ですが、過去2回の4レースをも上回るほどの激しいレースが繰り広げられました。
順位 | ドライバー | マシン |
1位 | 中子 修 | カストロール無限アコード |
2位 | 服部 尚貴 | ジャックス アコード |
3位 | ミハエル・クルム | エッソトーネン・トムスエクシヴ |
レースは序盤からポールポジションの黒澤と服部の2人のアコードによる激しいつばぜり合いから始まりました。しかし、中盤まで我慢のドライビングを続けてタイヤの消耗を最小限に抑えてきた中子が突然の快進撃を開始。黒澤、服部を次々とパスして、最終的には2位以下に20秒以上の大差をつけて余裕の優勝を飾りました。2位は服部、前戦の菅生で今期初優勝を遂げたクルムが黒澤を撃破して3位の表彰台に上りました。
順位 | ドライバー | マシン |
1位 | 服部 尚貴 | ジャックス アコード |
2位 | 黒澤 琢弥 | PIAAアコードVTEC |
3位 | ミハエル・クルム | エッソトーネン・トムスエクシヴ |
この日2レース目となる第6戦は、第5戦の入賞者に対して重量ハンディを与えることから始まります。第5戦優勝の中子には+30Kg、2位の服部には+20Kg、3位のクルムには+10Kg、そして4位の黒澤以下はノーハンディです。 前日に行われた第6戦のための予選の結果は、1位服部、2位黒澤、3位中子、4位クルム、となっていました。服部はポールからのスタートを生かし、一時は黒澤を数秒引き離し、「余裕の優勝か?」と思わせました。しかし、後半になってウェイトハンディの差が効いてきたか黒澤が猛チャージ、どちらも譲らず2台が並んだままでS字コーナーを抜けていくという激しい争いが続けられましたが、とうとう最後まで服部は譲らず、今期4度目の優勝を手にしました。3位はやはり20Kgのウェイトハンディ差が正直に表われたのか、クルムが中子を引き離して今日2度目の3位表彰台を手にしました。
第6戦スタート直後の1コーナー。ミハエル・クルムのエクシヴに続き、中子(アコード)、星野(プリメーラ)、影山正彦(カミノ)、本山(サニー)、関谷(エクシヴ)、影山正美(エクシヴ)、金石(エクシヴ)が続く。
熾烈なトップ争い。前を行く服部と後方の黒澤の2台のアコードは、時にバンパーとバンパーを接触させ、時に2台が真横に並んだままでS字コーナーを駆け抜けたが、服部は最後まで黒澤の追撃をしのぎきった。
1コーナーから2コーナーにかけて星野が影山正美のインを差す。星野を抑えようとオーバースピードになった正美がこらえきれずにハーフスピン。進入で無理をしたツケがたたってアウト側へふくらみかけた星野が正美の右フロントに接触した。しかし、星野はほとんどタイムロスなく2コーナーを抜け、正美もなんとか体制を立て直してレースに復帰。ここらへんがハコ(乗用車型)のレースの見所でもあるのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私の住む野上町の隣町、貴志川町にあるホンダの販売店「ホンダプリモYAGI」。この店のオーナー親子がJTCCのサポートレースであるCIVICレースに出場していました。お父さんの爵司さんは予選から好調で、4位からのスタート。息子の宏之さんは予選8位とそろって上位につけました。
予選2位の松井選手を1コーナーでパスする八木爵司選手(白いマシン)。この後、1位の澤選手に対して猛烈な追い上げを見せ、観客の注目を一身に集めました。結局あと2周というところで周回遅れに邪魔された格好になり2位に甘んじる結果となりましたが、上位のクラスであるN2などで活躍する澤選手を追い回しての2位だけに大変素晴らしい成績であると言えるでしょう。
今年からCIVICレースに出場が認められるようになった4ドアセダン(フェリオ)を今回唯一人操る八木宏之選手。まだマシン専用パーツもあまり開発されていないはずであるにもかかわらず、前山、奥州の2人の名だたるCIVIC使いを相手にして堂々たる戦いぶりを見せました。終盤になってタイヤが厳しくなってきたのか1コーナーでハーフスピンをしてしまいましたが、このアクシデントにも冷静に対応し、順位を2つ落としただけで無事レースに復帰。9位でチェッカーを受けました。
このように活況を呈したツーリングカーレースでしたが、あまりにも競争が過熱した結果、メーカーによるマシンの開発費が高騰してしまい翌年の1997年度をもってホンダ、ニッサンがこのレースから撤退。プライベートチームにより参加していたBMWとオペルも撤退した結果、1998年度は実質的に参加車両がトヨタのみ(車両はチェイサーとエクシヴ)となってしまいました。これによりレースの魅力も徐々に低下することとなり、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は1998年度をもって終焉を迎えます。
ドイツでも同じような理由で1996年限りでドイツツーリングカー選手権(DTM Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)が終了しましたが、後に過度な競争を抑えるためのルール改正を行って2000年度から(新)ドイツツーリングカー選手権(DTM Deutsche Tourenwagen Masters)として復活しています。しかし、残念ながら日本ではJTCCの後継シリーズが開催されることはありませんでした。
レースが活況を呈することは誠に喜ばしいことなのですが、あまりに競争が激化してしまうとかえってレース全体を衰退させてしまうことになる、という結果になってしまったのは非常に残念なことです。
全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年) - Wikipedia
ドイツツーリングカー選手権 - Wikipedia
本文後段で紹介している八木さん親子。特に宏之さんはその後もレースで大活躍されています。Wikipediaによると2002年・2003年には全国のサーキットを舞台にホンダ・インテグラ・タイプRのみで争われるインテグラ・インターカップの2年連続チャンピオンを獲得しており、また2004年には有名レーシングドライバーの山野哲也氏とコンビを組んでホンダNSXで全日本GT選手権に参戦し、見事にGT300クラスのシリーズチャンピオンを獲得しています。
八木宏之 - Wikipedia
当時の所属は貴志川町(現在の紀の川市)のホンダプリモYAGIという自動車販売店(現在はHondaCars紀の川)となっていましたが、宏之さんは現在では大阪で同じくホンダの販売店を経営されているようです。
レースの世界ではあまり和歌山県出身者の姿を見ることはないのですが、その中でこの八木宏之さんはおおいに全国に誇るべき実績を残した方だと思います。