生石高原の麓から

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’96POKKAインターナショナル1000km耐久レース(1996.8.25)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1996年8月に鈴鹿サーキットで開催された「POKKAインターナショナル1000km耐久レース」の模様です。

 鈴鹿サーキットで行われる1000km耐久レースは、もともとは1966年に「鈴鹿耐久レースシリーズ」の一戦として開催されたのが始まりであり、その後オイルショックによる中断や車両規格の変更など様々な変遷を経て最終的には2017年まで46回にわたって開催される名物レースとなりました。(後継レースについては後段で解説します)

 このレースの特徴は、なんといっても真夏の鈴鹿で1000kmという長距離を走行することにあり、マシンにとってもドライバーにとっても「暑さとの戦い」に大きな焦点が当てられてきました。また、レース時間が概ね6時間に及ぶことから観客にとっても暑さとの戦いであるため、「常に手に汗を握って展開を見守る」というよりはむしろ「木陰で涼みながら」あるいは「ビールやアイスクリームを片手に持ちながら」というような、思い思いの格好で会場内を移動しながら観戦するという牧歌的な楽しみ方ができるレースとして親しまれてきました。

 参加車両は、時期によってかなり違いがあるものの、原則として「ハコ(タイヤが車体で覆われている、市販車に近い形の車両)」であり、トップレベルのチームは概ね「GTカー(市販されている高性能スポーツカーをレース用に改造した車両)」を使用していました。この記事を書いた1996年には国際的な耐久レースのシリーズである「BPRグローバルGTシリーズ」の一戦として位置づけられていたため、最上位のGT1クラスに出場できる車両は最低でも25台以上生産し市販されたスポーツカーを使用することとなっており、ポルシェフェラーリランボルギーニなどのいわゆるスーパーカーの活躍が見られたのも大きな魅力の一つでした。

 それでは、当日のレースの模様を紹介します。

 

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'96 インターナショナルGT耐久シリーズ 第7戦
POKKAインターナショナル1000km耐久レース

 

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 鈴鹿サーキットの真夏の祭典と言えばまずオートバイの「鈴鹿8時間耐久ロードレース」いわゆる「ハチタイ」が有名ですが、4輪ファンにとってはなんといっても「鈴鹿1000km耐久」が一番の楽しみです。1966年に開催された第一回大会以来今年が25回目の記念の年となりますが、今回は6月のル・マン24時間レースで活躍した海外のチームが大挙して日本へやってきて、例年にも増してにぎやかなレースとなりました。
 このレースは鈴鹿の中で私が最も愛するレースなのですが、そんな私の楽しみ方は、レースを見ながらビールを飲んで、芝生席で横になってレーシングマシンの爆音を聞きながらお昼寝をすること・・・(^^;、これ、レース好きにとってはたまらないほど幸福な時間なんですよ。
 6時間以上にもわたる長丁場のレースだからこそできる楽しみなのですが、皆さんもぜひ一度サーキットを訪れて、こんな時間の過ごし方を試してみてください。

 

POKKAインターナショナル1000km耐久レース結果
 順位  チーム ドライバー マシン名
 1位    ガルフ・マクラーレン  R.ベルム
 J.ウィーバー
 J.J.レート
 マクラーレンF1GTR 
 2位   エネア・イゴール・F40   A.オロフソン
 L.デラノーチェ
 フェラーリF40GTE 
 3位   ハロッズマクラーレン   A.ウォレス
 O.グルイヤール
 クラーレンF1GTR 

 

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 ヘアピンコーナーへ続々と進入するマシン達。前からポルシェGT2ダッジ・バイパーマクラーレンF1GTRポルシェGT2ランボルギーニディアブロ・イオタと様々な国の様々なマシンが一同に会する姿を見ることができるのがこの鈴鹿1000Kmレースの楽しいところです。
 特に、レースに参加しないことで有名なランボルギーニ(F1用のエンジンは製造していましたが)のレース仕様車は世界中でもここ日本でしか見ることができない貴重な姿です。

 

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 結局終わって見れば第2位にフェラーリが入った以外は1位から6位までを独占することになったマクラーレンF1GTR。「究極の市販スポーツカー」を目指して製造されたこのマシンは、車体の幅の中心線に沿って運転席があり、その後部左右に2座席を配置した独特の三角形の座席配置が特徴です。
 一応「市販車」ですから、お金さえ払えばあなたにもこのスポーツカーを手に入れることができるかもしれません。でも、お値段の方は、約1億円とのこと。さて、買えますか(^^;

 

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 最近でこそ三原じゅん子三井ゆりなど女性レーシングドライバーの活躍が目立っていますが、その草分け的存在と言えるのがこの人、吉川とみ子です。
 ツーリングカーレースを皮切りに、F3富士グラン・チャンピオン・シリーズなど国内トップカテゴリーのレースにそれぞれ女性として初参加、最近は活躍の場を耐久レースに移してル・マン24時間デイトナ24時間など国際レースへも参戦しています。
 今回は外国人ドライバー2人とともにロークレーシングポルシェGT2で参戦し、見事13位で完走しました。噂では引退も伝えられているようですが、ぜひともいつまでも活躍する姿を見続けていたいドライバーの一人です。

 

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 日本の耐久レースではおなじみの KAGEISEN RACING TEAM。今年はRX-7での参戦です。チーム名の「カゲイセン」とは「東京科学芸術専門学校」の略で、このチームは同校の自動車整備専門課程の授業の一環としてレースに参加しているのです。
 ドライバーは同校の先生、メカニックは学生という異色のチームで、予算も限られているところからラップタイムはトップチームから随分遅れをとってしまいましたが、大きなトラブルもなく着実にレースを進め、6時間半後のチェッカーを無事に受け、29位のリザルトを手にしました。

 

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 ロングノーズ、ショートデッキという流麗な、しかし古典的なスポーツカーのスタイルのボディーにシボレーV8、6,000CCのエンジンを搭載したマーコスLM600。今回のレースでは古谷直広和田久という2人の日本人ドライバーが助っ人として参加し、総合10位、鈴鹿GTクラス3位の成績を上げました。
 そのスタイルといい、低音の独特の排気音といい、今回のレースの中では最も注目を集めていた一台でした。

 

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 レース中盤の90周目を走行中にエンジンにトラブルを起こし、漏れたオイルが排気管の熱で燃えて煙を噴きながらピットへ向けて走り続けるチームKunimitsuホンダNSX。昨年はル・マン24時間レース完走、クラス優勝を果たし、鈴鹿1,000Kmでも総合5位、クラス優勝と大活躍をしたチームですが、今回のレースは残念ながら途中リタイアという結末を迎えてしまいました。
 また、同じく鈴鹿GTクラスに出場していたチームNakajimaNSXも同様のトラブルで早々と戦列を離れてしまい、国産車ファンには実に楽しみの少ないレースとなりました。

 

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 ご安心下さい。決してマシンが燃えているのではなく、スピードを落とすためにアクセルを戻した瞬間に、エンジン内で爆発に利用されなかった燃料の混合気が排気管へ流れていき、それが外部で酸素の助けを借りた瞬間に爆発的に燃え上がるものです。
 このように派手な炎を出すのは今回はフェラーリだけで、燃料を無駄に流してしまうため燃費には悪影響を与えてしまうのですが、余分な燃料にはエンジンを冷却する効果もあることからパワーアップには有利な方法でもあり、耐久レースのように燃料補給の許されるレースでは必ずしもマイナス点ばかりとは言えません。このへん、エンジニアのレースに対する考え方の差が出るポイントと言えます。

 

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 国産車が軒並みリタイアしてしまう中で、今回のレースで完走を果たしたのは上で紹介した東京科学芸術専門学校RX-7とこのアドバン明治乳業BPチームホンダNSX。残念ながらRX-7の後塵を拝し、30位と完走車中最下位の結果となりました。
 しかし、耐久レースは完走することが第一の目標であり、どんなに速いタイムを記録しても、最後のチェッカーフラッグを受けることができなければ栄光の座にはつけないのです。その意味では、このチームは見事に勝利を手中にしたと言えるでしょう。
 それにしても、市販価格が1,000万円を超えるという高価な高価な国産車最高のスポーツカーも、鈴鹿1,000Kmというスーパーカーの饗宴に参加すると「ちょっとスポーティな乗用車」に見えてしまうというのが世界の壁のとてつもなく厚いところなのです。

 

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 午後12時30分にスタートしたレースは、午後6時をすぎた頃に「全車ライトオン」の指示を受け、各マシンがヘッドライトを輝かせはじめます。次第に夕闇が迫り、レース開始後6時間あまりを経過した午後7時過ぎ、トップのゼッケン2、ガルフ・マクラーレンF1GTRが栄光のチェッカーフラッグを受けました。
 生き残った全てのマシンがチェッカーを受けた後、コースが観客に開放され、大勢のファンがコース上でウィニングランから戻ってくる車両を出迎えます。そして、表彰式の後に花火が打ち上げられ、鈴鹿の夏は華やかに幕を下ろすのです。

 

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 前段でも書いたとおり、「鈴鹿1000km耐久レース」という名称のレースは2017年をもって終了しましたが、2018年からはこのレースの精神を受け継ぐものとして「サマーエンデュランス 鈴鹿10時間耐久レース」が始まりました。これは、従来は1000kmレースという距離を走り切る「速さ = タイムの短かさ」を競うレースであったものから、ル・マン24時間レースと同様に「10時間で走りきった距離の長さ = 周回数」を競うレースに変わったことを意味します。また、参加できる車両も、原則として国際的な規格である「GT3」規格に基づいたものとされ、「インターコンチネンタルGTチャレンジ(IGTC)」という国際的なレースシリーズの一戦として位置づけられました。
 この「鈴鹿10時間」は2018、2019の2年間にわたり開催されましたが、世界中に拡大する新型コロナウィルス感染症の影響により2020、2021の開催は中止となりました。2022年も残念ながら「鈴鹿10時間」の開催はありませんが、鈴鹿サーキットでは8月27日、28日に「Super GT 第5戦」というGTカーのレースが予定されていますので、これが「鈴鹿1000km」の名称で開催される可能性があるようです。
SUPER GT.net | SUPER GT OFFICIAL WEBSITE

 

 本文で「女性レーサーの草分け的存在」と紹介している吉川とみ子さんについては、Wikipediaに項目が立てられてはいるものの近況については紹介されておらず、現在どのような活動をされているのかはわかりませんでした。
吉川とみ子 - Wikipedia

 そのかわり、と言ってはなんですが、本文でも名前を出していた三原じゅん子さんについて紹介しておきます。現在は自民党所属の参議院議員として活躍されていますが、かつては歌手女優であるとともにレーシングドライバーとしても活動していたことはよく知られていると思います。ただ、そのレース活動歴について具体的に取り上げられることは少ないようですので、この機会にご紹介しておきます。
 残念ながら三原さんのレース活動についてまとめられた公式記録は見つからないのですが、「Driver's Meeting」というラジオ番組(かつては各地のFM局で放送されていたが、現在はTeam J Station(ロサンゼルス)、エフエム山口山口県)、静岡エフエム放送静岡県)で放送中)の1998年4月18日放送分の記録に下記のようなプロフィールが掲載されていました。
Driver's Meeting

三原じゅん子レース戦歴(~1998)

1987年  レースデビュー
1989年  筑波ワンメイクシリーズ参戦 シリーズ8位 
1990年~1991年  全日本ツーリングカー選手権参戦
1992年  スパ24時間(ベルギー)レース参戦(MR2) 
1993年  トヨタワンメイクシリーズ参戦(トレノ)
  シリーズ7位
1994年  スパ24時間レース参戦(レビン)クラス3位 
 フォーミュラトヨタ参戦
1995年  スパ24時間レース参戦(レビン)クラス優勝 
 N1耐久シリーズ参戦(レビン)クラス3位
 フォーミュラトヨタシリーズ参戦
1996年  全日本GT選手権参戦(MR2
 N1耐久シリーズ参戦 クラス優勝
1997年  全日本GT選手権参戦(MR2
 フォーミュラトヨタシリーズ参戦
1998年  米国ロングビーチGP参戦(セリカ
 フォーミュラトヨタシリーズ参戦

 上記ラジオ番組によると、レース中の転倒で骨を合計7本折るなどかなり痛い目にもあっているようですが、それでもレースをやめなかったのはよほど性に合っていたのでしょう。ちなみに、三原さんの最初の夫はレーシングドライバー松永雅博さんでした。
三原じゅん子 - Wikipedia

                   

 このレースにプライベートチームとして参加していた東京科学芸術専門学校は、1990年に設立認可を受けて誕生した専門学校で、二輪と四輪のモータースポーツに携わるライダー、ドライバー、メカニックなどを養成することを目的としていましたが、残念ながら2004年頃に閉校となったようです。その後、同校の施設を引き継いで東京モータースポーツカレッジという学校が設立され、ここからは入門クラスのフォーミュラレースのドライバーとなった卒業生もいたようですが、残念ながら十分な学生が集まらなかったと思われ、こちらも2013年に運営会社が倒産しています。
東京モータースポーツカレッジ運営のTMCが倒産 | autosport web

 同校が閉校に至ったというのは大変残念なことではありますが、レーシングドライバーを目指す若者には、前回の記事で紹介したホンダ全面バックアップによる「Honda Racing School Suzuka(旧:鈴鹿サーキットレーシングスクール」に加えて、トヨタも「TGR-DCレーシングスクール(TOYATA GAZOO Racing - Driver Challenge)」を開設しており、きちんと出口(レースへのステップアップ)を用意した育成機関ができているということが当時と現在との大きな違いであると言えます。
TGRドライバー・チャレンジ・プログラムとは? | TGR DRIVERS CHALLENGE PROGRAM | TOYOTA GAZOO Racing

 また、メカニックの育成についても、全国にレースメカニックを目指すための学部や学科(一部にはドライバー養成もカリキュラムに含まれている)が多数存在しており、むしろ門戸は広がっていると言えるでしょう。
レースメカニックになるには - 大学・短期大学・専門学校の進学情報なら日本の学校

 

 このように育成環境が整ってくると、ただ情熱だけで英語もわからない状態で単身イギリスにわたり、ついにはF1メカニックとして若き日のアイルトン・セナとともに闘ったという津川哲夫氏のような人物はもう現れないのでしょうかね。それはそれで少し残念な気分ではあります。

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