生石高原の麓から

かつて開設していた個人サイト「生石高原の麓から」の内容をブログ形式に移行しました

’97フォーミュラ・ニッポン第1戦 鈴鹿(1997.4.27)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1997年4月に鈴鹿サーキットで開催された「フォーミュラ・ニッポン 第1戦」の話題です。

 フォーミュラ・ニッポン(FN、一般には「エフポン」という呼び方の方が定着していたようですが)というレースについては過去の記事でも何回か紹介していますが、F1とよく似た車体に排気量3,000ccのV型8気筒エンジンを搭載したマシンで争われるレースで、日本国内での最高峰のレースとして位置づけられていました(現在はスーパー・フォーミュラと名称を変更)。また、当時、F1の一階級下のカテゴリーとして位置づけられていた国際F3000選手権では参戦コスト削減のために車体やエンジンに多くの制約が課されていたのに対し、FNでは比較的自由度の高い車両規則が適用されていたため、F1を目指す外国人ドライバーが国際F3000ではなくあえてFNに参戦するというケースもしばしば見受けられました。
 ちなみに、この第1戦に出場した外国人ドライバーでは、優勝したペドロ・デ・ラ・ロサが1999年から2012年までマクラーレンザウバーなどのチームに在籍してF1に参戦(中断の時期あり)したほか、エスティバン・トゥエロが1998年にミナルディからフル参戦、ラルフ・ファーマンが2003年にジョーダンからフル参戦、ノルベルト・フォンタナが1997年後半にザウバーから4戦にスポット参戦、とそれぞれ形や実績は違えどF1へのデビューを果たしています。また、FN参戦前の実績では、マルコ・アピチェラが1993年にジョーダンから、ヴィンセンツォ・ソスピリがこのレースの直前である1997年3月にローラから、それぞれF1にスポット参戦していました。

 

 また、この年は「日本一速い男」と呼ばれた星野一義選手がフォーミュラ・ニッポンから引退することが発表されました。2002年に星野選手が全てのレースからの引退を表明した際に同選手の所属チームであったnismoニスモ ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社)が発表したリリースでは、星野選手の戦績について次のようにまとめられています。

 星野選手は、1947年7月1日、静岡県生まれの55歳。1963年に2輪のモトクロス競技からモータースポーツの世界に入り、カワサキのワークスライダーとしてチャンピオンを獲得するなど活躍。1969年には日産自動車と契約を交わし、4輪へ転向した。ツーリングカー、スポーツカー、GTカー、フォーミュラなどさまざまなカテゴリーで活躍し、600戦近いレースに参戦してきた。76年と77年には富士スピードウェイで開催されたF1GPにスポット参戦し、76年には雨の中、一時3位を走り観衆を沸かせた。
 70年筑波サーキットのオープニングレースでスカイラインGT-Rで初優勝を遂げてから、最後の優勝となった2000年の全日本GT選手権JGTC)第6戦MINEまで、判明分だけで日本人として最多の133勝を挙げ、また21もの4輪チャンピオンタイトルを獲得した。“日本一速い男”と呼ばれ、30年以上にわたり日本のモータースポーツ界を支えてきた。
 星野選手は、海外のレースにも参戦し、92年のデイトナ24時間では、長谷見昌弘/鈴木利男両選手とともにニッサンR91CPで総合優勝。98年にはル・マン24時間で、鈴木亜久里/影山正彦両選手とともにニッサンR390GT1で日本人トリオによる最高位(当時)、3位を獲得した。

NISSAN MOTORSPORTS INTERNATIONAL CO.,LTD.

 

 こうした背景を踏まえて下記の記事をご覧いただければ面白いのではないかと思います。

 

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1997年 全日本選手権
フォーミュラ・ニッポン第1戦 鈴鹿

 

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日本一速い男 星野一義 引退

 冬の間しばらくお休みだったレース界も、春の訪れとともにいよいよシーズンが始まりました(本当は、鈴鹿の四輪レースは3月末の全日本GT選手権で開幕してるんだけれど、見に行けなかったので、私にとっては今回が今シーズンの開幕戦ということになります)
 そんなウキウキした気分の中、レース直前になって飛び込んできたビッグニュースが、「星野一義選手、引退」という情報。星野選手といえば、「日本一速い男」という形容詞が常についてまわり、今年で50歳を迎えるという大ベテランながら、レースでは他の追随を許さないすさまじいまでの集中力で未だに常に優勝候補の筆頭に上げられているドライバーです。昨年も最終戦までチャンピオンを争う元気な走りをしていただけに、誰も「引退」というようなことは全く念頭に置いてなかったのですが、突然の引退宣言にレース界はちょっとしたパニック状態に陥りました。
 引退の理由は、どうやら星野選手が所属するニッサンが、今シーズンR390という怪物マシンを開発して、本気でル・マン24時間レースを勝ちに行くため、その開発テスト等が膨大になり、星野選手が満足できる体制でフォーミュラ・ニッポンに参戦することができなくなってしまったということらしく、みんなが懸念していた「体力の衰え」が原因ということではないようです。
 こうなれば、ぜひともニッサンには今シーズンのル・マンを圧倒的な強さで制覇してもらって、来シーズンはまた星野選手の元気な姿を日本のトップフォーミュラで見たいものです。

 さて、昨年のフォーミュラ・ニッポンでは速さの高木虎之介、うまさの中野信治、ムラっけはあるもののツボにはまればやたらと強い服部尚貴、そしてシーズン中盤から徐々に頭角を現した世界チャンピオンの弟ラルフ・シューマッハ、の4人がまさにしのぎを削る争いを繰り広げ、結局チャンピオンは漁夫の利といった感じでラルフが獲得しました。今年は、この4人の中から中野ラルフF1へ進出、服部アメリカへ渡ってインディカーレース出場、となり、高木一人が残った形になりました。高木もまたF1ティレルチームとテストドライバー契約を結んでおり、今シーズンはなんとしても全日本タイトルを獲得して来期はF1のレギュラードライバーの座を手にしたいところです。
 実績あるドライバーとしては、高木が圧倒的に有利なわけですが、これに急遽星野の代役を引き受けることになった黒沢琢哉、昨年の最終戦で悲願の優勝を遂げたスーパーアグリチーム金石勝智、それぞれ新しい体制となり生き生きとした走りを見せている正彦正美影山兄弟らがどう絡んでいくか、さらに、山西康司脇坂寿一という二人の期待のルーキーがどれだけの速さを見せるか、といったところが今回の見所でした。

 レースは、予選において余裕でポールポジションを獲得した高木がスタートで出遅れ、予選2位に付けていた黒沢がトップに立ちました。スピードでは黒沢を上回るものの、どうしても抜く隙を見つけることのできない高木は、12周のS字コーナーで突如姿勢を乱し、大きくスピン、そのままリタイヤに終わってしまいました。名手高木がこんなミスでレースを失うというのは大変残念なことですが、昨年の開幕戦でも、スタートで前に出られた中野信治をどうしても抜くことができず、結局シケインで無理な追い越しをしようとして両者が接触、リタイヤに終わってしまったということを考えれば、「去年から成長の跡が見られない」という評価をされても止むを得ないでしょう。

 その二人の戦いを後方からじっくり見ていたのがチーム・ノバペドロ・デ・ラ・ロサ。スペイン出身で95年全日本F3チャンピオンを獲得した実績を持つドライバーだが、正直言って昨年はそれほど注目された選手ではなかった。しかし、今シーズンは名門チーム・ノバのエースの座を獲得し、かなり狙っているのは確か。レース序盤では無理をせずタイヤを温存する作戦が奏功し、中盤で黒沢選手を抜いてからは全く余裕のドライブで見事にフォーミュラ・ニッポン初優勝を飾りました。2位は黒沢、そして3位には光貞秀俊が初表彰台を獲得しました。

 

1997フォーミュラ・ニッポン 第1戦 レース結果
 順位  ドライバー チーム
 1位   ペドロ・デ・ラ・ロサ   シオノギ・チーム・ノバ 
 2位   黒 沢  琢 哉  チーム・インパル 
 3位   光 貞  秀 俊  コスモオイル・チーム・セルモ 

 

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 チーム・インパルのエース、カーナンバー19といえば「日本一速い男星野一義をおいて他にないというのが衆目の一致するところ。なんといってもがむしゃらに勝利を求めてゆくその貪欲さは他のドライバーには真似のできないものでした。その星野が自分のシンボルとも言える「イク(19)」のカーナンバーを託したのは、黒沢琢哉選手。黒沢元治というレース界では誰知らぬものもない往年のスタードライバーを父に持つが、そのレースキャリアには相当な苦労話が伴っています。昨年は高木のチームメイトとしてPIAAカラーのマシンをドライブしていましたが、同チームが今年は山西康司という驚異の新人を起用することからフォーミュラへの参戦はあきらめていたところに、星野の引退という「事件」で急遽代役としての出場が決定しました。
 しかし、この半年間全くフォーミュラを運転しておらず、今回のマシンも1週間ほど前に一回乗っただけというのに、予選2位、決勝でも前半トップに立ちながらもわずかに及ばず2位、というのは素晴らしい結果と言えるでしょう。かつては「和製マンセル」と呼ばれたこともあるドライバーですから、今シーズンはブレイクしてほしいものです。

 

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 予選の速さは相変わらず一級品とはいえ、レースになるとどうもミスが多いように見えるのが虎之介の欠点と言えるでしょう。「自分は速い」という思い入れが強すぎるのか、とにかく前の車を無闇につっつき回すのが目に付きます。
 それが、結果として派手な追い越しシーンにつながることも多いのですが、同時にクラッシュ、接触といったマイナス面を生むこともしばしばです。クラッシュや接触は下手なドライバーがするものであると考えれば、トラにはまだまだ勉強しなければならないことが多いように思えます。師匠である中嶋悟は、鈴鹿では第一コーナーのアウト側から前走車を抜く「大外刈り」という派手な技を持っていたし、セナプロストシューマッハといった本当のトップドライバー達は「ぶつからずに前の車を抜く」という面で驚異的なひらめきを見せていました。
 一人相撲のクラッシュに終わった今回のレース。トラが本当に世界一を目指すならば、ここは一つ越えなければならない大きな壁なのではないでしょうか。 

 

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 今回のレースで私が個人的に一番注目していたのが、この人、山西康司鈴鹿サーキットが若手レーサー育成のために開設している「鈴鹿サーキット レーシングスクール フォーミュラ」の一期生で、昨年は四輪レース初出場となった全日本F3選手権で堂々とチャンピオン争いを行ったドライバーです。
 今回は初めてのフォーミュラ・ニッポン参戦ということで、山西の才能がどこまで輝くかということが大変注目されていたのですが、予選9位、決勝ではチーム・ノバ飯田選手の追撃を振り切って5位入賞とまずまずの成績を上げました(普通は19歳の新人がデビューレースで5位に入賞するなんて事はほとんどあり得ないことだから手放しで誉めるのが本当なんでしょうが、山西君の場合、私の評価基準はもっと高いところにあるからね…(^^; )

 

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 優勝したのは、冷静に戦況を見つめ、ノーミスで35周を走りきったペドロ・デ・ラ・ロサ。92年イギリス・フォーミュラ・ルノーのチャンピオンですが、レースキャリアとしては95年の全日本F3チャンピオンをはじめとする日本での実績が光っています。
 所属するチーム・ノバはテレビでもお馴染みの森脇さんが監督を務める名門チームですが、そのマネジメントは、外国のどのレースよりもF1に近いと言われています。ペドロとしては、ここで実績を上げて、F1のレース手法を身につけ、あわよくば日本のスポンサーも獲得してF1への進出を狙っていることは間違いないでしょう。
 気がつけば、ビルニューブフレンツェンアーバインハッキネンR・シューマッハハーバートサロなど、現役のF1トップドライバーの多くが日本のレースにレギュラードライバーとして参戦していたことが判ります。果たして、今年は誰が世界へ飛び出していくのでしょうか。

 

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 優勝ペドロ・デ・ラ・ロサ、2位黒沢琢哉、3位光貞秀俊という表彰台の顔ぶれは、昨年までとは少し変わった雰囲気を感じます。ペドロはもう手放しの喜びよう、黒沢は慣れないマシンで頑張ったけれども本当はもう一つ上が狙えていたと悔しそうな表情、光貞は初表彰台をもっと喜ぶのかと思ったら以外とクールな反応、と三者三様でした。
 ただ、今回は各チームともマシンの完成が遅れたり、テストが十分にできなかったりとそれぞれ問題を抱えてのレースでしたから、各チーム、ドライバーの実力がきちんと見えてくるのは次のレース(5月17~18 山口県セントラルパークMINEサーキットからになるでしょう。

 

Drivers, Drivers

 

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 95年全日本F3000チャンピオン鈴木利男選手。昨年はどうも歯車がうまくかみ合わず苦しいシーズンを送りましたが、今年は新たなチームを結成して心機一転、まき直しを図ります。
 ただ、この日のトークショーではマシンのセッティングがうまくいかないのか、ちょっと暗めの雰囲気でした。結果は8位完走でしたが、利男選手としてはこの程度の成績では全然満足できないでしょう。次戦以降に期待です。

 

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 鈴木亜久里が監督を務めるチーム・フナイ・スーパーアグリのエース金石勝智。18歳でF3、21歳でF3000へと若くしてステップアップし、将来を嘱望された若手ドライバーだったが、ちょっと歯車がうまく噛み合わなかったようで、これまであまり華やかな活躍を見せることができませんでした。
 それが、昨年スーパーアグリに加入して以来ぐんぐんと成績を伸ばし、昨年の最終戦では見事初優勝を遂げることとなりました。チームの体制も充実し、今シーズンはチャンピオンさえ狙える一に来ていると思います。
 今回は予選でトラブルが発生し、最後尾からのスタートと最悪の条件だったのですが、レースでは生き生きとした走りを見せて7位でゴール。「せめて中段グループからスタートできていたら」とファンを嘆かせたり喜ばせたりのレースでした。

 

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 今回のレースの一番の収穫といってもいいのが、光貞選手の大活躍でした。
 1990年頃、FJ1600クラスに出場していた頃から注目していたドライバーなんですが、それ以降順調にF3F3000とステップアップしたものの、決して華やかな活躍があったわけではなく、いつまでも「期待の若手」と呼ばれるままで終わってしまうのではないかと心配していました。
 しかし、今回のレースを見た限りでは体制さえ恵まれれば十分にトップを狙える実力を持っていることを十分に示すことができたようです。

 

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 中野信治がF1へ行ってしまった後の童夢チームのエースになったのが脇坂寿一
 茶髪にロンゲと今風のスタイルをしているものの、その実力はフォーミュラ・ニッポンのベテランドライバーをはるかに凌ぐものを持っていると言われています。昨年、全日本F3選手権のタイトルを山西との間で激しく争い、最終戦が中止になったことによるというすっきりしない結末ではあったものの、見事にチャンピオンを獲得しました。
 今シーズンはある意味で山西との間で本当の決着をつけるべき年であると言えますが、残念ながら今回のレースはマシンの不調がたたって予選18位、決勝12位と散々な結果になってしまいました。

 

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 ラリーの世界ではその昔ミシェル・ムートンという有名な女性ドライバーがいて、性別によるハンデなどは微塵も感じさせない大活躍をしていましたが、ことフォーミュラカーの世界では体力の問題もあってなかなか女性の活躍は見られませんでした。
 そんな中、コスモオイルレーシングチーム・セルモのナンバー2ドライバーとして抜擢されたのが、サーラ・カヴァナ(Sarah Kavanagh)。 アイルランド出身で24歳の彼女は、1995年アイルランド・フォーミュラ・ヴォクスホール選手権チャンピオン、1996年イギリスF2選手権4位入賞2回の堂々たる成績を残しており、今回フォーミュラ・ニッポン初の女性ドライバーになりました。
 結果は、3周遅れの14位完走ということで、完走したことは評価できるものの速さの点では?という感じでした。こんなんで本当に本人が希望するようにF1へ進むことができるのでしょうか?

 

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 スリランカ出身のディランタ・マラガムワ。昨年はF3選手権に出場し、いよいよ今年は日本のトップ・フォーミュラにステップアップしてきました。
 チームのスポンサーは、なんとスリランカ政府。レース前のピットウォークでは、スリランカの高級紅茶を先着500名にプレゼントしたそうです。肝心の成績は、予選20番手、決勝12周リタイアと残念な結果でしたが、国を背負って参戦しているドライバーだけに今後の活躍を期待したいものです。

 

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 もはや誰にも「タレントの道楽」とは呼ばせない。今や押しも押されもせぬベテランドライバーとしての地位を確固たるものにした近藤真彦
 新チームに移籍したものの、ニューマシンの到着が遅れて練習走行やセッティングの詰めが全くできない状態で鈴鹿に乗り込んだマッチは、新車の慣らし運転をしながらの予選アタックを行いました。結果は、チームメイトのラルフ・ファーマン(96年イギリスF3チャンピオン)を抑えて堂々の予選16位。周囲のドライバーの顔ぶれを見れば、この予選結果は素晴らしいものと言えるでしょう。
 決勝レースは残念ながらマシントラブルが出たようで、ピットインしながら懸命の完走を果たしたという結果になってしまいました。「隠れマッチファン」を自称する私としては、今シーズンのマッチにはかなり期待しているんですよ(^^;。

 

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 ご存じ、ナビコネクション・レーシングチーム監督の舘ひろし
 去年までは影山正彦近藤真彦という二人のドライバーを擁していましたが、今年は体制を一新し、影山正美(正彦の弟)山本勝巳という若いコンビになりました。このチームも、舘監督の道楽かと思っていましたが、案外長続きして、しかも本気で勝ちに行く体制を組んでいるということで、少し監督に対する見方を改めることにします。 

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 上記の記事でフォーミュラ・ニッポン初の女性ドライバーとして紹介していたサーラ・カヴァナ選手は、残念ながら十分なパフォーマンスを発揮することができなかったようで、第1戦鈴鹿と第2戦MINEに参戦したのみでその後はチームを離れることになってしまいました。下記の記事(英文)によると、1998年からはBOSSフォーミュラシリーズ(現在の名称はBOSS GP)という年式落ちのフォーミュラカーを使用するレースに出場しており、その後もF3000GP2などの選手権レースへの出場を模索していたものの、2006年にレーシングキャリアを終了して現在はプロパティ・マネージャー(資産管理者?)の仕事をしているとのことです。 

www.motorsport.com

 サーラ・カヴァナ選手の後は長く日本のトップフォーミュラに参戦する女性ドライバーは現れませんでしたが、2020年になってFNの後継レースであるスーパーフォーミュラ(SF)にコロンビア出身のタチアナ・カルデロン(Tatiana Calderón)が出場したことで23年ぶりに女性ドライバーが登場しました。折からの新型コロナウイルス感染症の影響でスペインの自宅から頻繁に来日することが困難な環境の中ではありましたが、2020年には7戦中5戦に出場、2021年も7戦中4戦に参戦しました。残念ながら十分な成績を残すことはできず、最高位が12位2回という結果ではありましたが、時折見せるその才能の片鱗は関係者の耳目を集めるに十分であったと言えましょう。
 2022年からはアメリカに渡り、かつて佐藤琢磨が所属していたこともある名門A.J.フォイト・レーシングチームからインディカーシリーズに挑戦するこということですので、ぜひとも大活躍を見せてほしいものです。

news.jsports.co.jp

 

 ちなみに、本文に登場するミシェル・ムートンというのは、フランス出身のラリードライバーで、1981年のWRC世界ラリー選手権アウディのワークスドライバーとして参戦し、ラリー・サンレモで初優勝WRCでの女性の優勝は初)。翌年は3勝を挙げてオペルヴァルター・ロールと激しいチャンピオン争いを演じた末、最終的に年間ランキング2位を獲得しました。その後もトップレベルのラリードライバーとして活躍し、「史上最も成功した女性レーシングドライバー」と言われています。
ミシェル・ムートン - Wikipedia

                         

 もう一人、外国人ドライバーとして上記で紹介しているのがディランタ・マラガムワ選手。1997年、1998年と2年間にわたってフォーミュラ・ニッポンに参戦した後、2001年まで全日本GT選手権に参戦していましたが、同年、自ら経営していた日本の自動車輸出会社が不法滞在のスリランカ人を雇用していたという疑いにより逮捕され、以後は日本国内でのレース活動を行っていないようです。
 しかし、マラガムワ選手はその後もスリランカに拠点を移して積極的なレース活動を行っていると伝えられています。下記のスリランカ・ナウというサイトの記事によると、近年はスーパートロフェオというレースランボルギーニスーパーカーによるワンメイクレースで活躍しているとのことで、2018年には現地の主要ニュースメディアであるAda Deranaによってスポーツ部門でのスリランカン・オブ・ザ・イヤーを授与されています。

srilanka-now.com