生石高原の麓から

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’98フォーミュラ・ニッポン第10戦 鈴鹿(1998.11.29)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1998年11月に鈴鹿サーキットで開催された「フォーミュラ・ニッポン 第10戦」の話題です。

 フォーミュラ・ニッポン(FN、一般には「エフポン」という呼び方の方が定着していたようですが)というレースについては過去の記事でも何回か紹介していますが、F1とよく似た車体に排気量3,000ccのV型8気筒エンジンを搭載したマシンで争われるレースで、日本国内での最高峰のレースとして位置づけられていました(現在はスーパーフォーミュラと名称を変更)
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 このレースは日本各地のサーキットを転戦して開催されており、1998年には鈴鹿サーキット三重県で3戦、富士スピードウェイ静岡県で3戦、CP MINEサーキット山口県 2006年に閉鎖、現在はマツダのテストコース)で2戦、ツインリンクもてぎ(栃木県)スポーツランドSUGO宮城県で各1戦の合計10戦が予定されていました。
 このうち、富士スピードウェイでの第7戦は濃霧により中止されたため、最終戦となるこの日のレースまで計8戦を終えてのシリーズランキングは本山哲(45ポイント)影山正美(28ポイント)ノルベルト・フォンタナ(21ポイント)影山正彦(20ポイント)脇坂寿一(19ポイント)マーク・グーセン(14ポイント)という順になり、これまで優勝3回、2位2回を記録した本山哲が最終戦を待たずして早々にチャンピオンを決定していました。しかし、それ以下の選手のポイントは拮抗しており、当時の制度では優勝者に10ポイント、2位に6ポイントが与えられることになっていたため、この最終戦では本山以外の選手による激しいランキング争いが期待されていました。

 それでは、こうした背景を踏まえて下記の記事をご覧ください。

 

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全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第10戦
Formula Nippon Round10 SUZUKA Circuit

 

 

チャンピオン本山 圧倒的な速さ!
しかし、表彰台の頂点に立ったのはやっぱり“影山” 今度は弟!!

 

 10戦にわたって戦われてきた日本最高格式のレース、フォーミュラ・ニッポンもいよいよ11月末の鈴鹿サーキットにおけるレースで最終戦を迎えました。
 注目のチャンピオンの行方は、既に前戦の富士スピードウェイ本山哲(もとやま さとし)に決定してしまいましたが、今年のフォーミュラ・ニッポンは近来にないほど日本人の若手ドライバーの活躍が目立ったシーズンとなり、最終戦も彼らの熱いバトルがおおいに期待されました。
 しかし、チャンピオンの本山は土曜日の予選から他を寄せ付けない圧倒的な速さをみせ、予選2位の黒澤琢弥以下を1秒以上も引き離す結果となりました。
 日曜日のレースでも本山の好調さは持続し、スタート後から他車を1周につき1秒ずつ引き離す快走で、このまま圧倒的な強さで勝利を飾るものと誰もが信じていました。そんな中で迎えた26周目、ゴールまであと10周足らずとなったところで本山のマシンは急に130Rの高速コーナーを曲がりきれずアウト側に飛び出してしまいます。おそらく、何らかのマシントラブルがあったものと思われますが、時速250Kmは出ていたであろうという高速コーナーでのクラッシュにも関わらず本山選手自身はほとんどダメージを受けていなかったことが不幸中の幸いでした。

 この本山のクラッシュで一躍トップに躍り出たのが、予選8位からロケットスタートでジャンプアップしてきた影山正美。残り10周を慎重に走りきり、8月の菅生に続き、見事にフォーミュラ・ニッポン2勝目をあげました。

フォーミュラ・ニッポン第10戦 鈴鹿
 順位  ドライバー チーム
マシン
 1位   影山 正美   SHIONOGI NOVA 
 ローラT97-51無限 
 2位   脇坂 寿一   AUTOBACS Racing Team AGURI 
 ローラT97-51無限 
 3位   道上 龍   JACCS MOONCRAFT
 レイナード97D無限 

 

 

 ピットサインエリアに集まったチームのメンバーに祝福されてゴールを飾った影山正美。前回の菅生での優勝の際には涙、涙のゴールインだったのですが、今回は2度目の優勝とあって喜びがはじけたゴールインとなりました。
 今年は鈴鹿サーキットで3回のフォーミュラ・ニッポンが開催されましたが、第1戦と第5戦は影山正彦(兄)が優勝、第10戦では影山正美(弟)が優勝と、全レース「影山」選手が表彰台の中央に立つという珍しい記録となりました。今回のレースでは「兄ィ」は残念ながら予選7位、決勝4位とちょっと残念な結果となってしまいましたが、来年はまた兄弟そろっての1-2フィニッシュが見られるでしょうか。

 

 表彰台に上ったトップ3ドライバー達。1位の影山正美は31歳と「若手」と呼ぶにはちょっと年をとりすぎているかもしれませんが、2位の脇坂(左)は26歳、3位の道上(右)は25歳と、これまでの国内トップフォーミュラでは異例の若さでめきめきと実力をつけてきたドライバーです。
 脇坂は既にジョーダンチームのテストドライバーとしてF1を走らせた経験を持っていますが、3人ともぜひ世界へ飛び出して活躍してもらいたいものです。

 

Today's Topics

 

 今回、観客を大いに喜ばせてくれたのは、フォーミュラ・ニッポンの卒業生で今年からティレルチームF1に参戦している高木虎之介のデモンストレーション走行でした。
 東コースのみ、それもこの後でレースに出場する山西康司のマシンを借りての走行ということで、「すごい速さ」ということはありませんでしたが、すっかりリラックスした雰囲気のトラを見て多くのファンは安心したのではないでしょうか。とはいえ、早く新年度の体制を明らかにしてほしいものです。

 しかし、今回最も驚いたのは、トラの走りではなく、インタビューでの受け答えでした。フォーミュラ・ニッポン時代は何を聞いても満足な答えがほとんど返ってこないほど無口だった虎之介ですが、この日は実ににこやかに、いろいろな質問にしっかりと答えていました。やはり、「世界」で揉まれると、ファンやスポンサーへのアピールとサービスの意識が身について来るのでしょうか。そういえば、サッカーの中田選手セリエAへ行ったったとたんに饒舌になりましたよね。

 

 こちらは、シリーズチャンピオンの表彰式。前戦でチャンピオンを獲得した本山を中央に、今日の成績でそれぞれポジションアップを果たした影山正美が2位、脇坂寿一が3位という結果になりました。
 本山は、昨年のツーリングカーレースで他のマシンに故意にぶつけた行為を批判され、今シーズンあわやトップレースのシートを失うかもしれないという状況に追い込まれていました。しかし、幸いにも国内有数の実力を持つチーム・ルマンのドライバーとして参戦できることが急遽決定し、なんとかトップフォーミュラーのシートを確保することができたのです。
 結果的に、このトラブルを通じて精神的な強さが身についたのか、今シーズンの本山は本当に速く、そして強いドライバーに成長しました。もともと「速いドライバー」という評価はあったのですが、それがやっとここへ来て花開いたというとこでしょうか。
 今回のレースでは、いろんなインタビューで「F1へ行きたい」ということを口に出しており、相当色気はあるようです。ただ、問題は、個人的なスポンサーがほとんどないことでしょう。現在F1で走っている中野信治にはエイベックス高木虎之介にはPIAAというスポンサーが付いているのに対し、本山にはこうした個人スポンサーが無いため、なかなかF1へステップアップすることは難しいと思います。来年どれだけの成績を残せるか、そしてどれだけスポンサーにアピールできるかということが、本山にとってまさに正念場となるに違いありません。

 

 昨年まで参戦していたアメリカのインディ・ライツからフォーミュラ・ニッポンにステップアップしてきた野田英樹(コスモオイル・チーム・セルモ)。かつてはラルース・チームからF1にスポット参戦した経験もあるドライバーであり、「帰り新参」という印象がありますが、実は国内トップフォーミュラは今シーズンが初参戦ということで「日本国籍のガイジンドライバー」とも言われています。
 確かに、速さはあるんですよね。しかし、しかし、いかんせん、リタイアが多すぎます。もちろんマシントラブルもあるんですが、どうも単独スピンや競り負けてのコースアウトという印象が強く、満足な結果を残すことは出来ませんでした。
 この調子だと、来年の契約は危ないかもしれません。がんばれ、野田

 

 チーム5ZIGENから参戦している、マーク・グーセン(ベルギー)。男前で、実力も十分にあるんですが、今シーズンは7月の鈴鹿での2位が最上位で、年間シリーズ6位と不満の残る結果となりました。
 グーセンも今年でもう29歳。F1を目指すのであれば、もうちょっと成績を残さないと難しいのですが、さて、来シーズンはどうするのでしょうか。レース前のインタビューでは、「F1のチームとも話をしたいとは思っているが、今はアメリカで走ることを検討している。でも、来年もまた日本で走る可能性が最も高い。」と語っていました。

 

 チーム・レイジュンのプレーイングマネージャー、OSAMUこと中嶋修。40歳はもちろん現役最年長です。トップチームと比較すれば十分な体制とは言えませんが、アットホームな雰囲気で「参加することに意義がある」という参戦体制であると言えましょうか。
 レース前のインタビューでは、「来年、シートは1つ空いているから、フォーミュラ・ニッポンに参戦する気がある人はいつでも声をかけて下さい。」と言ってました。もちろん、タダでは無いでしょうが、なにがしかの金(何百万円というのが「ちょっとした部品や消耗品」の普通の価格であるというのがこの世界の常識ですから、一般的に言えば少額とはとても言えないでしょうが)を用意できれば、国内トップフォーミュラに挑戦が可能なのです。どうですか、みなさんも一度参戦を考えてみては。もちろん、ライセンスがとれれば、というのが前提ですが(^^;

 

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 Today's Topics の項で紹介した野田英樹選手は、この後2005年までフォーミュラ・ニッポンに参戦し2000年にはシリーズランキング5位を獲得しました。また、この年から全日本GT選手権(後にSUPER GTへ改編)にも参戦し、最高位のGT500クラスで1999年第5戦、2001年第2戦(いずれも富士スピードウェイでそれぞれ優勝を飾っています。
野田英樹 - Wikipedia

 後進の育成にも力を入れており、現在は岡山国際サーキット(旧:TIサーキット英田を拠点とするプロレーシングドライバー養成校「NODAレーシングアカデミー(地元の小・中・高校と連携してそれぞれの卒業資格を取得可能)」の校長も務められているようです。
NODA レーシングアカデミー高等学院

 また、野田英樹の次女・ 樹潤(じゅじゅ レーシングドライバーとしては JuJu と表記される)レーシングドライバーの道を歩んでいます。4歳でデビューしたキッズカートの大会でデビューウィン。その後9歳までレーシングカートに参戦して優勝多数。9歳でFIA-F4マシンを操縦(当時の世界最年少記録とのこと)し、その後2019年までの間に出場したレース(会場はすべて岡山国際サーキットでは出場した全11戦全てで優勝するという驚異的な実績を上げています。
 2020年、2021年にはデンマークF4選手権に出場しましたが、ここでは2020年の開幕戦でポールtoウィンを果たすという華々しいデビューを飾ったものの、以後はコロナ禍やスポンサー問題などで満足な成果が得られず、それぞれシリーズ6位、7位という結果に終わりましたが、まだ16歳(2006年2月生)という若い選手ですので、今後の活躍に期待したいものです。
 なお、2022年シーズンは、女性ドライバー限定のフォーミュラ選手権「Wシリーズ(全レース(10戦)がF1グランプリのサポートレースとして開催される)」に参戦が決定しており、「育成枠」と位置づけられている「Wシリーズ・アカデミー」の所属ドライバーとして2年間にわたりレース活動を行う予定となっています。(画像は日本自動車連盟JAF)の広報紙「JAFメイト(2022年春号)」より)