生石高原の麓から

かつて開設していた個人サイト「生石高原の麓から」の内容をブログ形式に移行しました

小野小町の墓(和歌山市湯屋谷)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 今回は和歌山市湯屋谷にある「小野小町の墓」を紹介します。

小野小町の墓とされる墓石

 小野小町平安時代の女流歌人で、一般には「百人一首」の中の
    花の色は 移りにけりな いたづらに
         我が身世にふる ながめせし間に
という歌の作者として知られています。俗に「絶世の美女」であったと言われ、様々な伝説が残されていますがその実像はよく分かっておらず、その出自についても公卿・小野篁(おのの たかむら)の子とする説、出羽郡司・小野良真(よしざね 篁の子)の子とする説、出羽守・小野滝雄の子とする説、公卿・藤原常嗣の子とする説など諸説あるようです。

kotobank.jp

 

 出生地も不明で、通説では現在の秋田県湯沢市であると言われるものの、ほかにも京都、滋賀、福井、福島、熊本、神奈川など各地に生誕地としての伝承が残されています。

 さらに、晩年についてもほとんどわかっておらず、Wikipediaによれば次の各地に「小野小町の墓」と伝えられている場所があるそうです。小野小町 - Wikipedia

 今回紹介する「小野小町の墓」もこうした伝承の地の一つで、熊野古道の「雄ノ山峠」から南へ下ったところにある「山口王子跡」からほど近い場所にあります(一般の墓と同じ敷地内にありますので、見学の際にはご注意ください)

 江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊国名所図会」によると、晩年、年老いた小野小町が熊野参詣からの帰途この地で生涯を終えたため、不憫に思った村人たちがその地に「小町堂」と呼ばれる庵を建てて小町の像を安置し、その菩提を弔ったとのことです。
 小町堂は後に白鳥山小野寺という寺院となり多くの女性が参拝に訪れたそうですが、残念ながら明治時代に廃寺となりました。

国立国会図書館デジタルコレクション
紀伊國名所圖會 初編三之巻上

 広場の中に一つだけポツンと立ってる石碑をよく見ると、わずかに「小町堂」の文字が読み取れます。この場所がかつての小野寺であったのでしょう。

小町堂の石碑

 そして、「小野小町の墓」と伝えられる墓石は、その広場の一角で、無縁仏と思われる墓石がいくつも並べられている中にあります。他の石は角形のものが大半の中で、一つだけ卵形をした墓石は目立ちますが、そこに刻まれた文字は読み取ることができませんでした。

 昭和54年(1979)に発行された「日本の伝説 39 紀州の伝説角川書店)」によれば、この墓石には「宝暦十一巳 迎空了雲沙弥 正月十日」と刻まれているそうです。宝暦11年といえば1761年、江戸時代中期ですから小野小町の時代からは何百年も後のことになりますので、これが本当に小野小町を供養するために作られたものであったとしても、随分後世になってから作られたもののようです。

 ちなみに、ここから2kmほど南にある「遍照寺」というお寺には小野小町88歳のものと伝えられる木像が安置されています。このお寺には晩年を迎えた小野小町にかかる伝承が伝えられているのですが、これについてはまた項を改めてご紹介します。

 

 また、和歌山市の隣にある岩出市には、小野小町深草少将にまつわる「百夜通い(ももよがよい)」という物語に関連した「住持池(じゅうじいけ/じゅうじがいけ)」の伝承が伝えられています。この伝承では、恨みを抱いて住持池に身を投げた深草少将の霊を鎮めるために、小野小町が現在の湯屋谷の地で終生仏に仕えたとされます。この物語については、後日談である「室家の娘」の話とともに別項で紹介していますのでこちらもご覧ください。
住持が池と小野小町 ~岩出町(現岩出市)根来~ - 生石高原の麓から
室家の娘 ~岩出町(現岩出市)根来~ - 生石高原の麓から