生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

数学者・岡潔(橋本市柱本)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 今回は、橋本市の出身で、長年未解決となっていた数学上の重要な難問を次々と解決して世界を驚かせた天才数学者・岡潔(おか きよし)を紹介します。 

岡潔顕彰碑(橋本市役所前)

 最近NHKで放送されている「笑わない数学」という番組がなかなか好評のようです。

www.nhk.jp

 この番組は、お笑い芸人トリオ「パンサー」の尾形貴弘さんが、「素数」「無限」「四色問題」「P対NP問題」「ポアンカレ予想」「虚数」「フェルマーの最終定理」などの数学の難問を解説していくものなのですが、どうみても数学が得意とは思えない尾形さんが四苦八苦しながら解説する姿を見ているうちに視聴者がなんとなく「わかった気になる」という、非常に奇妙な番組です。

 この番組で取り上げられているのはいずれも数学の世界ではよく知られた「難問」なのですが、我が国において数学の「難問」に取り組み世界的な業績をあげた研究者といえば、橋本市出身(生まれは大阪市とされる)の天才数学者・岡潔(おか きよし 1901-1978)氏が真っ先に挙げられるであろうことは間違いありません。岡氏は「多変数複素関数」という分野において、長年にわたり未解決であった「三大問題(「レビの問題」、「クザンの問題」、「近似の問題」)」を全て独力で解決したことで世界を驚かせました。
 また、こうした数学的業績のみならず、ベストセラーになった随筆集「春宵十話」をはじめとする書籍の出版や各地での講演会などを通じて「情緒」を中軸とする独自の日本文化論を提唱し、数学とは関係ない一般の人々にも広く親しまれる存在となりました。

 その生涯について、和歌山県が管理するWebサイト「和歌山県ふるさとアーカイブ」では次のように紹介しています。

数学者 岡潔(おか きよし)
明治34年(1901)~昭和53年(1978)
橋本市出身
難問を解き明かした世界的数学者

 明治34年(1901)、現在の大阪市に生まれる。4歳から紀見村(現:橋本市の父の実家で育ち、粉河中学校時代に「クリフォードの定理」で数学に興味を持ち始める。
 大正14年(1925)に京都帝国大学理学部を卒業、その後、同大学の助教授を勤めていたときに、フランスのパリにあるソルボンヌ大学に文部省(現:文部科学省の海外研究員として留学した。そこで、生涯の研究分野を「多変数函数」と心に決めて、昭和7年(1932)に帰国した。この研究は、「山にたとえれば、いかにも登りにくそうな山だと分かったので、敢えて登ろうとするようなものであった。」と後に語っている。
 昭和9年(1934)、この分野に関する詳しい文献が載せられた本を入手、中心となる三つの問題が解決されていないことが分かり、この問題解決にとりかかる決意を固め研究を開始する。しかし、残されている問題だけに、手も足も出ないほど難しいものであった。
 夜昼関係なく没頭した研究生活を送っていたある日の朝、いつものように椅子に腰を掛けていると、突然目の前にひらめきが起こって問題解決の第一着手である「上空移行の原理」を発見、その後、約20年を費やしてその理論の骨格を一人で完成した。
 この研究の業績は、世界の数学界で高く評価され、昭和26年(1951)50歳という若さで「日本学士院賞」を、昭和35年(1960)には「文化勲章」を受章した。
 世界の誰もが手に負えなかった難問を解き明かした岡潔は、昭和53年(1978)76歳で生涯の幕を閉じた。

岡 潔 | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

 このような単純化された紹介ではあまりその凄さが伝わらないと思うのですが、驚くことに令和2年(2022)東京大学で行われた「東京大学秋季学位記授与式・卒業式」において五神真(ごのかみ まこと)総長が、「知のプロフェッショナル」として細菌学者の北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)氏とともに岡氏の名前を挙げて次のような告辞を述べています。岡氏の功績を紹介する最良の文章であると思いますので、以下に引用しておきます。

和文)令和2年度 東京大学秋季学位記授与式・卒業式 総長告辞
※原文は英語
 本日ここに学位記を授与される皆さん、おめでとうございます。
(中略)
 さて、私は、総長に就任して以来、知識を武器として活動し、既存の常識を超える新たな発明や発見をし、そのことを通じて世界を舞台に人類社会に貢献する人物を「知のプロフェッショナル」と呼んできました。入学式でも話題にしましたが、覚えているでしょうか。
(中略)
 今日はそうした知のプロフェッショナルの代表として、日本における二人の知の巨人のお話をしたいと思います。
 その一人が、北里柴三郎博士です。
(中略)
 一方、実践型で治療の課題に積極的に取り組んだ北里博士とは対照的な研究者の話をしておきたいと思います。学問研究において、自らの発想によって新たな知が突然ひらめき、まさに無から有が生まれるというような瞬間に出会うことがあります。
 自分の思考と体験の内側に沈潜することで、まさに無から有を生み出し、新たな学問領域を作る大発見をした日本人の数学者がいます。多変数解析関数論岡潔先生です。
 岡先生は、数学を説明して「自らの情緒を外に表現することによって作りだす学問芸術のひとつ」であり、情緒を「知性の文字版」に書き出すことだと言っています。一般に、数学は論理的な学問の代表だと考えられています。私の専門の物理学でも、数学は論理的な思考を支え、その論理を記述するために不可欠の言語だと捉えるのが普通です。ですから数学は、情緒とは最も遠いように思えます。しかし岡先生は面白い見方をされ「数学と物理学は似ていると思っている人があるが、とんでもない」と述べています。数学者農民に似ていて「種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティは『ないもの』から『あるもの』をつくることにある。」これに対し、理論物理学はむしろ指物師に似ていて、「人のつくった材料を組み立てるのが仕事で、オリジナリティは加工にある」ので、大きく違うというのです。岡先生が生きた数学の世界では、数学者は単に数学の問題を解く冷静な機械ではなく、心に芽生えた数学の理想をありのままに表現するような理論を創作する芸術家だったようです。
 さて、岡先生はフランスに留学され、そこで生涯をかけて登るべき山を「多変数解析関数論」と決めます。その当時、多変数解析関数論はまだ黎明期で、問題が芽生え、解析関数が育つ「存在領域」の研究から始める必要がありました。なかでもイタリアの数学者レビによって示された「レビ問題」は解析学幾何学の交わりにある難問で、提起から20年間、どこから手を付けてよいのか分からないという状況が続いていました。岡先生はこのレビ問題に取り組み、やがて、問題解決の大きな手がかりである「上空移行の原理」を見いだします。この閃きを先生はのちに「発見の鋭い喜び」と表現し、「全宇宙が自分を中心にずらっと一列に整列したような感じがした」と語っています。
 更なる沈潜の結果えられたのが、この「レビ問題」を代数的な性質で統制する「連接層の理論」です。この時の気持ちを先生は「牛乳に酸を入れたときのように、一面にあったものが固まりになって別れてしまったといった風だった」と語っています。先生は、この自らの内面に深く沈潜する過程は、数学でも芸術でも区別はないと話されています。
 連接層の理論数学の3大分野、すなわち代数学解析学幾何学を結ぶ大きな飛躍で、やがて、この理論を土台として本学数学科出身の佐藤幹夫先生は代数解析学という新しい研究分野を創始します。
 この連接層の理論は今では、現代物理学の最先端研究を支える重要な役割を担っています。この半世紀、理論物理学の最前線に活況をもたらしている場の量子論超弦理論研究では、連接層は欠かせない概念なのです。またその数学自身も大きな展開をみせている様です。東京大学KavliIPMU、カブリ数物連携宇宙研究機構(筆者注:数学と物理学の連携により宇宙の根源の謎の解明に挑む東大総長室直属の国際高等研究所、カブリ財団の寄付により運営されているためこの名が付けられた)は、これを探求する国際的な研究拠点として、数学物理学の両方から大変注目されています。そこでは、世界から集った研究者が、数学物理の枠を超えて、無から有を生み出す発見をもとめて、わくわくする知の喜びを楽しんでいるのです。
 皆さんもまた、東京大学において研究に取り組み、長い集中の末に突然のインスピレーションを得るという経験をされたのではないかと思います。その喜びは次の研究へ進む勇気を与えてくれます。もちろん、それ以上に、なかなかうまくいかないことが多かったと思います。
 岡先生は「行きづまり」もまた大切な経験だと述べておられます。自分も「三度ほど完全に行きづまった」けれども、どれも抜け出すのに「七年くらいかかった」と言います。長いですね。ただ印象的なのは、「本当に行きづまるためには、そっちをいったん指さしたら微動もしないという意志がいる」と述べていることです。「行きやすいところを選んで行っていたら、行きづまるということはない」つまり、理想を目指す強固な意志と情熱なくして「行きづまり」はありえず、大きな発見もないと説いているのです。
 数学芸術と同じく「自らの情緒を外に表現する」創造の実践だと言うときの岡先生の「情緒」が、こうした高い理想と強い意志に支えられていたことを、そして自らの行きづまりと誠実に向かいあうものであったということを、皆さんもまた知のプロフェッショナルの一人として、感じてほしいと思います。
 後に、岡先生は随筆集『春宵十話』の序文で、「人の中心は情緒である」が、情緒にはいろいろな色があり、それはたとえば春の野にはさまざまな色とりどりの草花があるようなものだと述べています。東京大学は、多様性と包摂性を重視してきました。そして、これからも、多様な人それぞれの情緒の存在を尊重し、互いの個性と才能を高め合う場であり続けます。皆さんが再び原点に立ち戻る必要を感じる時、あるいは、本学で共に学び、研究をした仲間達と再び協力しあいたいと思う時には、いつでも東京大学を活用してください。卒業は大学との別れではありません。新たな協働の始まりです。皆で一緒によりよい未来社会を作っていきましょう。
本日は誠に、おめでとうございます。
     令和2(2020)年9月18日
     東京大学総長
     五神 真

令和2年度 東京大学秋季学位記授与式・卒業式 総長告辞 | 東京大学

 北里柴三郎氏は東京医学校(現在の東京大学医学部)の卒業生ですから学長が目標にすべき先輩としてその名を挙げるのはある意味自然なことですが、岡氏京都帝国大学(現在の京都大学の出身ですから、五神総長はいわばライバル校の卒業生を目指すべき先達のひとりとして掲げたということになります。それほどに岡氏の業績は抜きん出ているということができるのでしょう。

 また、五神総長は告辞の後段で岡氏の随筆集「春宵十話」についても触れています。この随筆集は昭和37年(1962)に10回にわたって毎日新聞に連載された文章をまとめたものですが、その内容は岡氏が口述したものを毎日新聞松村記者が文字としてまとめたものだと言われています。「春宵十話」は数学者の書いた本としては異例のベストセラーとなり、以後、岡氏は随筆を中心にした書籍を多数出版するとともに、講演会やテレビ出演などを積極的にこなされました。
 以下に「春宵十話」の一部を引用しますが、五神総長の告辞にあるとおり学問における「情緒」の重要性を語っています。今読むと、交感神経と副交換神経の役割についてやや疑問なところもありますが、あまり気にせず読み進めてください。

情緒が頭をつくる
 頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。人には交感神経系統(筆者注:身体各部の活動性を上げる役割をもつ)副交感神経系統(筆者注:身体各部の活動性を下げて回復される役割をもつ)とあり、正常な状態では両方が平衡を保っているが、交感神経系統が主に働いているときは、数学の研究でいえばじわじわと少しずつある目標に詰め寄っているときで、気分からいうと内臓が板にはりつけられているみたいで、胃腸の動きはおさえられている。副交感神経系統が主に働いているときは調子に乗ってどんどん書き進むことができる。そのかわり、胃腸の動きが早すぎて下痢をする。
 最近、ある米国の医学者が犬を使って交感神経系統を切断する実験をやったが、結果は予期したとおり下痢を起し、大腸に潰瘍ができた。人でも犬でも、根本の生理は変らない。感情に不調和が起ると下痢をするというが、本当は情緒の中心が実在し、それが身体全体の中心になっているのではないか。その場所はこめかみの奥の方で、大脳皮質から離れた頭のまん中にある。ここからなら両方の神経系統が支配できると考えられる。情緒の中心だけでなく、人そのものの中心がまさしくここにあるといってよいだろう。
 そうなれば、情緒の中心が発育を支配するのではないか、とりわけ情緒を養う教育は何より大事に考えねばならないのではないか、と思われる。単に情操教育が大切だとかいったことではなく、きょうの情緒があすの頭を作るという意味で大切になる。情緒の中心が実在することがわかると、劣等生というのはこの中心がうまくいってない者のことだから、ちょっとした気の持ちよう、教師の側からいえば気の持たせ方が大切だということがわかる。また、学問はアビリティーとか小手先とかでできるものではないこともわかるだろう。
※「春宵十話」 現在新刊で入手可能なものは光文社文庫 2006
   
春宵十話 岡潔 | 光文社文庫 | 光文社

 

 なお、岡氏の数学理論の具体的な内容については、「上空移行」及び「連接層不定イデアル」という概念を証明、あるいは定式化したことにあると言われていますが、これについてはあまりにも専門的過ぎて私の手には余りますので、興味のある方は下記の「数学と言葉-岡潔生誕120年によせて日本数学会 2021年度秋季総合分科会 市民講演会(9/18) 野口潤次郎氏講演資料)」を御覧ください(pdfファイルにリンクされていますのでご注意ください)
数学と言葉-岡潔生誕120年によせて(pdf )


 岡氏が生涯に記した数学の論文はわずか10編にすぎませんが、そのいずれもが難問とされていた数学の重要な未解決問題を解決へと導くものであり、専門家であればあるほどたったひとりの人間がこれだけの難問を解決できたということを信じられなかったようです。
岡潔先生の数学 原論文の紹介

 1930年代からフランスで相次いで論文を発表した数学者にニコラ・ブルバキという人物がいますが、実はこれは架空の名前で、その実態はフランスを中心とした各国の若手数学者が共同で使用していたペンネームでした。
ニコラ・ブルバキ - Wikipedia

 こうしたこともあり、岡氏の論文群を読んだドイツの大数学者ジーゲルは「K.OKAというのはブルバキのように複数の数学者が共同で使用するペンネームであろう」と信じていた、というようなエピソードが伝えられています。
岡潔 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞

 

 このように数学や文筆活動において驚異的な業績の数々を残した岡氏ですが、その私生活は波乱に富んだものでした。
 上記の「国際留学生協会」のWebサイトに岡氏の生涯がまとめられていますが、広島文理科大(現在の広島大学助教授時代に二人の中学生を突然暴行したことにより大学を辞職、故郷の紀見村(現在の橋本市柱本)に13年間も引きこもり窮乏の生活を送るも、友人の中谷宇吉郎(世界で初めて「雪の結晶」を人工的に作り出したことで知られる物理学者)氏らに支えられて論文を完成させ、やがて奈良女子大学の教授として復活を遂げる、というなかなか紆余曲折の多い人生を歩んでいます。
 広島文理科大を辞職するきっかけとなった暴行事件もそうですが、岡氏には周囲の人からは理解できないような行動をすることがしばしばあり、家族や関係者をかなり困らせたようです。

 CLIPPYというWebマガジンでは2018年に岡氏の特集記事を掲載していますが、その中で岡氏には次のような「奇行」のエピソードが伝えられていると記しています。

数学者・岡潔 天才ゆえの奇行(抜粋)

  • 京都大学の講師時代(20代)、数学の演習中に岡潔は考え出すと微動だにせず、時間を気にせず夜の8時頃になることもたびたびあった。
  • いいアイデアが浮かぶと散歩中だろうがいきなり道端にしゃがむこんで石や木を拾い、難しい数式を描き込んでは計算を始める。解けるまで1時間でも2時間でもしゃがみこんで計算してるから、通行人が驚いた。
  • 着物を着ても「交感神経を締め付けるから」と帯を締めない。
  • スーツを着ても「こんな野蛮なことはせん」とノーネクタイ。(交感神経が締まって頭がまわらないから)
  • ヨレヨレのスーツで帰宅し、風呂に入るまで着替えない。夜は着たまま寝床に入る
  • 夏でも長靴を履き、長靴が暑いからと冷蔵庫に入れて冷やして履くと気持ちいいとか。
  • 結果、長靴にコウモリガサ、ヨレヨレのスーツにノーネクタイがトレードマーク
  • 革靴が嫌いで履かない(履くと頭がガンガンするから考えがまとまらない)。
    59才で文化勲章を授与するとき、革靴を履かせるのに家族は必死に説得した。

CLIPPY 【数学者 岡潔】名言も奇行も天才ならでは!

 

 今月公開の映画「沈黙のパレード」は東野圭吾氏の連作ミステリー小説を原作とするテレビドラマ・映画のガリレオ」シリーズ最新作ですが、このシリーズでは福山雅治演じる天才物理学者が科学的アプローチで事件の謎を解いていくというのが物語の中核をなしています。そして、このシリーズのテレビ版では、「天才物理学者が問題解決の鍵がひらめいた途端にあたりかまわず高度な数式を書き連ねていって、その末に真相にたどりつく」、というのが番組のクライマックスを盛り上げる重要な演出となっていました。
9年ぶりに「ガリレオ」が復活! 9/16(金)公開の映画「沈黙のパレード」|シティリビングWeb


 このように、「イデアがひらめいた瞬間にあたりかまわず数式を書き連ねる」というのは現在では「天才性」を表す一つの「定形表現」となっているわけですが、これは上記の岡氏の「奇行」として取り上げられている行動の一つでもあり、いわば現在「天才を表すアイコン(象徴的な表現)」と考えられているものは、全てなんらかの形で「岡潔」の影響を受けていると考えても良いのではないかとすら考えてしまいます。

 

 ちなみに、岡氏の人生は、「天才を育てた女房 世界が認めた数学者と妻の愛」というタイトルで平成30年(2018)に読売テレビ系列で放送されました。これは「読売テレビ開局60年記念スペシャルドラマ」として制作された作品で、岡潔氏の役を佐々木蔵之介さんが、その妻でを献身的に支えた岡みち氏の役を天海祐希さんが演じました。

www.ytv.co.jp



 岡氏が誕生したのは大阪市とされていますが、両親の出身はいずれも紀見村(現在の橋本市柱本周辺)であったため、同地にある母の実家で生まれたのではないかとの説もあるようです。また、幼少期を紀見村で過ごした後、広島文理科大学を辞職してから再び紀見村に戻って苦難と研究の日々を送ったことから、一般的には紀見村が岡氏の「ふるさと」であると認識されています。
 このため、現在の橋本市柱本には、岡氏を顕彰するとともに数学教育の振興を図るために設立された地元の団体「岡潔数学WAVE」が設置した「情緒の道」の標柱や、橋本ロータリークラブが建立した顕彰碑などがあり、岡氏を再評価しようとの機運が盛り上がっているようです。
高野山麓 橋本新聞 » 紀見峠は「情緒の道」♪岡博士の故郷に「標柱」建立
高野山麓 橋本新聞 » 岡潔博士の顕彰碑除幕♪橋本・紀見峠でRC関係者ら