生石高原の麓から

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’96フォーミュラ・ニッポン第8戦 Central Park MINE (1996.9.15)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1996年9月に山口県美祢サーキットで開催された「フォーミュラ・ニッポン第8戦 Central Park MINE」の模様です。

 これまでも紹介してきたとおり、フォーミュラ・ニッポン(FN)というのは当時の日本における最高峰のフォーミュラカー・レースです。
 この年からヨーロッパではF1の直下のクラスである国際F3000レースがマシンをワンメイク(一社が独占的に供給)したのに対し、FNは各社の競争によるマシン開発の余地が大きかったことから、より高度な技術を身に着けてF1へステップアップしようとするヨーロッパのドライバーからも大きな注目を集めていました。記録によると、この年にFNに参加した外国人ドライバーは下記のとおりで、それぞれが華麗な戦績を残しています。またF1にステップアップしなかったドライバーでも、A・G・スコットは日本のレースで活躍した後に佐藤琢磨のマネージャーとなり、ミハエル・クルムル・マン24時間レースや日本の SUPER GT などで長きにわたって活躍するとともにテニスプレーヤー伊達公子の元夫であったということで、それぞれよく知られています。

 ラルフ・シューマッハ  1997~2007 F1(トヨタ他) 
 ペドロ・デ・ラ・ロサ  1999~2012 F1(マクラーレン他) 
 ノルベルト・フォンタナ  1997 ザウバーF1(スポット参戦) 
 マルコ・アピチェラ  1993 ジョーダンF1(スポット参戦) 
 トム・クリステンセン  ル・マン24時間レース総合優勝9回 
 アンドリュー・ギルバート=スコット   FN、全日本ツーリングカー選手権他 
 ミハエル・クルム  ル・マン24時間レース総合3位2回
 FN、SUPER GT

 

 この年のレースは、こうした海外勢に対抗して「日本一速い男」と呼ばれた星野一義をはじめ、鈴木利男黒澤琢弥らのベテラン勢、服部尚貴金石勝智らの中堅、そして高木虎之介中野信治本山哲らの若手勢がどのようなパフォーマンスを見せるかという点が大きな見どころとなっていました。

 それでは、当日のレースの模様を紹介します。

 

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'96 フォーミュラ・ニッポン第8戦
Central Park MINE Circuit

 

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 今回は、私の観戦のホームグラウンドである鈴鹿サーキットを離れ、山口県の美祢(みね)市にあるセントラルパーク・MINEサーキットで開催されたフォーミュラ・ニッポン第8戦を見に行ってきました。
 前戦の富士スピードウェイを終わった時点での選手権ポイントランキングは、ラルフ・シューマッハ 27点、星野一義 25点、高木虎之介 24点、服部尚貴 24点、ノルベルト・フォンタナ 22点、となっており、残り3レースを残して5人のドライバーが5ポイント差でひしめき合うという大混戦模様を呈していました。

 土曜日に行われた予選では、なんとベテラン、昨年のシリーズチャンピオンである鈴木利男ポールポジションを獲得し、ペドロ・デ・ラ・ローサラルフ・シューマッハ金石勝智星野一義と続き、期待の高木虎之介はマシントラブルでなんと19位というポジションに甘んじてしまいました。

 そして迎えた決勝当日。スタート直前のパレードラップで今度は星野一義がエンジントラブルを起こし、最後尾からのスタートに回ってしまいました。これで一気に有利になったのが、来年からF1に出場することが正式に決定したラルフ・シューマッハ。スタートで先行した鈴木利男を追い落とし、5周目で首位に立って以来、鈴木利男中野信治の追撃をなんとかかわしきって今期3度目の優勝を遂げました。
 これで選手権ポイントはラルフ・シューマッハ 37点、服部尚貴 28点、星野一義 25点、高木虎之介 24点、ノルベルト・フォンタナ 22点となり、シューマッハがタイトル獲得へ向けて大きく踏み出すことになりました。

フォーミュラ・ニッポンCP MINE レース結果
 順位  ドライバー チーム マシン・エンジン
 1位   R・シューマッハ   X-Japan Le Mans   レイナード96D・無限 
 2位   中 野 信 治   avex童夢無限   童夢F104i・無限
 3位   服 部 尚 貴   X-Japan Le Mans   レイナード96D・無限 

 

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 スタートの瞬間。ポールポジションを獲得した鈴木利男(かもめサービス IMPULがうまいスタートを決めるが、すかさずラルフがその後ろに付け、しばらく間隔を空けて中野信治がこれを追うという展開になりました。昨年のシリーズチャンピオンでありながらこれまで1ポイントも獲得できていない鈴木利男にとって今回はなんとしてでも勝ちたかったレースですが、マシンの調子が今一つであったことも手伝ってラルフの後塵を拝することになりました。
 結局、利男ラルフ追撃の立場を中野信治に奪われ、終盤には服部にも抜かれてあと一歩で表彰台に手が届かなかったという非常に悔しさの残るレースになってしまいました。

 

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 このレース、前半のハイライトはなんといっても高木虎之介(左端、白いマシン)星野一義(その右、青いマシン)の鬼気迫る追撃。
 最後尾から前を行くマシンをかき分けかき分け進む星野の走りは49歳という年齢を全く感じさせない激しいものでしたが、まもなくシフトレバーが折れる(!)というトラブルが発生し、リタイヤを余儀なくされてしまいました
 星野のリタイヤ後は虎之介のまさに独壇場。他車との接触でフロントのカバーが取れてしまったにも関わらず時にはトップのマシンより2秒近くも速いタイムを記録しながらあっと言う間に順位を上げていきました。
 すわ、予選19位から表彰台か、と観客席はいやが上にも盛り上がったのですが・・・

 

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 あまりにも焦りすぎたのか、影山正美(手前、黒のマシン)と同時に1コーナーへ突っ込んでいったところでプレーキングに失敗。アウト側の砂地に突っ込んでリタイヤとなってしまいました。
 いずれにしても、このポジションからでは普通の走りをしていてはポイント獲得は不可能であったろうと思われるところから、虎之介の焦る気持ちも判らなくはないのですが、ちょっと肝心なところでスピンをしてしまうような傾向にあるのが気になるところです。
 最近はPOKKAコーヒーのCMにも登場しており、もしかすると来期はF1に出場するかもしれないと噂されている虎之介ですが、今回のリタイヤでフォーミュラ・ニッポンの初代チャンピオンの座を手にするのは非常に困難な状況となってしまいました。

 

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 レース終盤を盛り上げたのは、トップのラルフ・シューマッハ(前、赤い車)を猛追した中野信治(後、紺色の車)のパフォーマンスでした。
 前半はタイヤを温存する作戦に出た中野ですが、後半になってラルフのタイヤがグリップを失いはじめたのを見計らって一気にタイム差を縮め、テール・トゥ・ノーズの激しいバトルを展開しましたた。
 1コーナーから3コーナーにかけては中野のペースが上回り、写真の第1ヘアピンでは何度かラルフに仕掛けるのですが、前に出るまでは至らず。結局最終コーナーからホームストレートにかけてのスピードで勝るラルフ・シューマッハが最後までトップの座を守りきりました。
 「どうしても優勝したかった」と悔しさを見せる中野信治ですが、中野もまた童夢チームとともにF1へのステップアップを目指しています。F1のライセンスを手に入れるためにも、シーズン中には優を手にしたいところ。果たして残り2戦で中野信治の初優勝は叶うのでしょうか。

 

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 優勝したラルフ・シューマッハ、猛追及ばず2位に甘んじた中野信治に続いたのは、ラルフと同じチーム・ルマン服部尚貴でした。
 同じチームの2人にはさまれて監督賞のカップを掲げているのは本間勝久監督。今回のレースの結果、チーム得点ではル・マンが65ポイントとなり、2位のPIAA NAKAJIMA(34ポイント)、3位のカルソニック/かもめサービスIMPUL(28ポイント)を大きく引き離してダントツの首位を守っています。

 

Today's Specials
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 もちろんMINEサーキットにも立派な観客席があるのですが、どうもここの正しい観戦法はこうしたアウトドアスタイルのようです。
 富士スピードウェイと同様にコースサイドまで自家用車の乗り入れが可能なため、パラソルやデッキチェア、テーブルなどを持ち出して、バーベキューをしながら観戦するといったグループも見られました。
 鈴鹿サーキットとは随分雰囲気が異なりますが、これはこれでまた別のサーキットの楽しみ方です。

 

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 新しくセブン・イレブンのスポンサーカラーに彩られた純国産F1マシン・童夢F105のデモンストレーション走行が行われました。
 この日のドライバーは中野信治選手。デモンストレーションということで限界ギリギリの走りではありませんが、毎周きっちりと1秒ずつラップタイムを短縮するというパフォーマンスを見せてくれました。MINEサーキットをホームコースとしてテストを続けている童夢チームですが、ここで一般の観客にその晴れ姿を見せるのは今回が初めてということで、4万5,000人を超えるの観客はその走りと無限F1エンジンの排気音(これがいいんだな・・・実に)に魅了されていました。
 1997年から純国産チームによるF1挑戦を目指している同チームですが、昨今の経済情勢厳しい中、なかなかスポンサーとの契約交渉がうまくいかず、財政的な問題から進出が1年延びるのではないかとも噂されています。

 

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 今年のフォーミュラ・ニッポンのテーマソング「大和撫子スーパースター」を歌うグループ B’dash(ビーダッシュ。たしか、すごく若い子たちのグループなんですが、ちょっと詳しい資料が手元にありませんので、また判ればお知らせします(^^;。
 今年、フォーミュラ・ニッポンが開催される全てのサーキットで彼女たちの姿が見られます。バレーボールのテーマソングを歌って一躍スターダムにのし上がったV6と比べれば若干小粒ですが、ビッグになる可能性はありますよ。
 著作権の問題で歌詞の引用は控えておきますが、サビの部分のメロディは結構耳につくもので、一度聞いたら、自分でも知らないうちに口ずさんでいた・・・というような歌ですから、レコード店の店頭で見かけたら一度ジャケットをしげしげと眺めて、できれば視聴してみてくださいね。

 

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 今回のレースの舞台となった美祢サーキットは、山口県美祢市の西部にあったサーキットで、かつては「厚保(あつ)サーキット」、後に「西日本サーキット」とも呼ばれていました。開設当初は全長1,300m程のごく小規模なものでしたが、1976年に全長2,815mへと拡大され、バブル景気華やかなりし1991年に大規模改修工事が行われて全長3,330mとなって名称も「MINEサーキット」と改められました(CP、セントラルパークは運営会社の名称)
 当時は全日本クラスのレースも数多く行われており、鈴鹿富士とはまた異なったテクニックが要求される難コースということで観客からの人気も高かったのですが、景気低迷の影響もあり、2006年に閉鎖されてしまいました。
 現在は自動車メーカー・マツダのテストコースとして使用されているそうですが、駅伝大会などで一般に利用が開放されることもあるようです。

 

 今回も、第1戦に続いて「F1GP NIPPONの挑戦」と出して純国産マシンによるF1への参戦を目論んでいた童夢によるデモンストレーション走行が行われましたが、これについては第1戦の記事でも書いたように結果的にF1挑戦の夢は叶うことなく終わりました。
 これについて、当時童夢を率いていた林みのる氏は、1999年付けの同社のWebサイトに掲載された「「F1GP-NIPPONの挑戦」 STATUS REPORT」という記事の中で次のように書いています。

F1GPへの参戦は童夢の最終目標ですから、決して諦めたわけではありませんが、しかし「F1GP NIPPONの挑戦」のコンセプトによるF1GPへの参戦計画自体は既に蹉跌しており、また、その後をうけて努力を続けていた日本製のハードウェアをF1GPに投入する方法についても主要な問題が解決されないまま難航を続けていましたが、このたび霧が晴れた途端に暗礁に乗り上げたという感じで当面の進捗が難しくなりました
DOME || DOME NEWS

 レーシングカーの開発を通じて日本の自動車産業をより高いレベルへ引き上げていこうと考えていた氏は、その後も自ら発起人となりNPO法人日本自動車レース工業会(JMIA)を設立して会長に就任するとともに、童夢によるスーパースポーツカーの開発・市販を志しますが、残念ながらいずれも氏が望むような成功には至らなかったようで、現在はJMIA童夢ともに役職から退かれています。
林みのる - Wikipedia

 

 

 今回のレースで、コース上においてパフォーマンスを見せてくれたアイドルグループB'dash(ビーダッシュ。上記の記事にもあるとおり、この年の8月に発売された「大和撫子スーパースター」という曲でデビューし、これがフォーミュラ・ニッポンのイメージソングとして採用されました。
 Wikipediaによればメンバーは下記の5人で、生年月日を見ると当時は清水さんが21歳で、後のメンバーは15歳・16歳という年齢だったようです。

  • 天野江梨(1980年6月5日生) 東京都出身
  • 有沢麻衣子(1981年7月21日生) 東京都出身
  • 清水かりん(1975年10月14日生) 東京都出身
  • 志村光代(1980年10月16日生) 千葉県出身
  • 渡辺真理(1981年8月10日生) アメリカ出身

 NHK BSで放送されいた「アイドルオンステージ」という番組にレギュラー出演していたそうで一定の活躍は見られたのでしょうが、その後のシングル発売はなく、残念ながら一曲のみで解散に至ってしまったようです。
B'dash - Wikipedia

 ちなみに、同じくWikipediaの「アイドルオンステージ」の項を見ると、ゲスト出演者の項に雛形あきこ奥菜恵仲間由紀恵などの名前があり、歌唱楽曲から考えるとちょうど B'dash がレギュラー出演している頃に彼女らも出演して歌を披露していたようです。これはまたこれで今から考えると実に貴重な番組だったと言えるのではないでしょうか。
アイドルオンステージ - Wikipedia