紀州藩主に佛の道を説いた富山第二世良遂宗真和尚は、海蔵寺第四世住職を経て、上富田の興禅寺に隠住したが、田舎の不便な暮らしを案じた藩から「興禅寺号」という馬を贈られたという。
その名の通り、豊かな水田がひろがる上富田の里。だが、かつてこのあたりは、富田川のはんらんで多くの沼ができ、芦が生い茂って、たくさんの鶴が飛来したという。
江戸時代、朝来村の農民は、厳しい年貢の取り立てに苦しめられていた。その上、その年の稲の出来具合いを調べる「毛見」(けみ)の回数が多く、そのたびに村人たちは、役人に白い飯を炊いてもてなした。
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