生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

03復刻&解説「紀州 民話の旅」

竹原八郎入道 ~北山村竹原~

元弘元年(1331)、討幕派の一人だった大塔宮護良親王は、難を逃れて吉野、熊野方面に落ちのびて来た。当時、竹原に住んで、一帯に勢力を張っていた十津川(奈良県)の豪族、竹原八郎入道宗規、甥の戸野兵衛良忠らは、親王を館へかくまった。

久保の小女郎 ~北山村大沼~

北山は、文字通り山の中の村だ。北山川の流れに沿って散在する集落は、いつも、ひっそりと静まり返っている。

和泉式部の供養塔 ~本宮町(現田辺市本宮町)伏拝~

なだらかな茶畑がひろがる丘陵地。その一段高いところに、伏拝(ふしおがみ)王子の祠。そして、かたわらには、笠塔婆の上に宝篋印塔の塔身とフタを積み上げた、一風変わった石碑もある。平安中期、熊野へ詣でた和泉式部の供養塔という。

猪笹王(いざさおう) ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

昔、このあたりの山野を、身の丈一丈(三メートル)もある怪物が、たたらを踏むようにしてかけ回ったという。一つ目で、口は耳まで裂けた、見るからに恐ろしい顔。しかも一本足。人々は、その足音を聞くと「一本だたらや」「猪笹王の亡霊だ」といって、ふる…

鼻そげ地蔵 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

いわゆる「身代り地蔵」話のひとつ。温泉谷の尾根を登った峠に、自然石に刻んだ二体の地蔵があり、左甚五郎にからんだ話が、いまなお語りつがれている。

一遍上人名号岩 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」 湯峰温泉の道路わきにある「上人爪書きの遣跡」ともいわれる大岩には、こう刻まれていたというが、もうすっかり風化してしまい、いまは中央の「南無阿弥陀仏」の文字だけが、かすかに判読…

湯峰と小粟判官 ~本宮町(現田辺市本宮町)湯峰~

すっかり整備された国道311号線が、渡瀬のトンネルを過ぎると、とたんに九十九析れとなる。それを下りきったあたり、四村川の流れが、つかず離れずといった形で流れ下る。心なしか、湯の香が漂ってくる。そんな思いで握るハンドルは、軽い。

瀞の主 ~熊野川町(現新宮市熊野川町)玉置ロ~

瀞は三重、奈良、和歌山の三県境を流れる。あるいは深くよどみ、あるいは急流が岩をかむ。この話は、そんな神秘さをただよわせる瀞にはいかにもふさわしい。

円座石 ~熊野川町(現新宮市熊野川町)西~

「大雲取越え」をすると、中根のあたりで道のわきに、大きな石が目にとまる。「円座石」(わろうざいし)といい、別名「御茶具」「御沓形」とも。

大雲取小雲取 ~熊野川町(現新宮市熊野川町)上長井~

「伊勢へ七度、熊野へ三度」。かつて「蟻の熊野詣で」と形容された熊野三山詣では、まさに「神のこもれる国」への、素朴な信仰心がもたらしたものに他ならない。

かいもんさんと変り者 ~熊野川町(現:新宮市熊野川町)日足~

神丸の山手に、小さな祠がある。土地の人たちは、これを「かいもんさん」と呼ぶ。17世紀初頭、赤木からこのあたりまで、4キロにわたって赤木川の水を引き入れ、多くの新田をつくった太地嘉右衛門をまつるといい、毎年2月10日の例祭では、溝掃除をするのがな…

いくさ地蔵 ~古座川町添野川~

添野川の村はずれ、小川のほとりに、お地蔵さんをまつった小さな祠がある。太平洋戦争中は全国各地からお参りが続き、近くの人が「弾よけの護符」を出し、祭煙の絶えることがなかったが、平和ないまは、合格析願の学生や地元のわずかな信者がお参りするだけ。

子育てイチョウ ~古座川町三尾川~

三尾川の光泉寺に樹齢400年、樹高27メートル、幹回り6メートルという、県内最大のイチョウの巨木がある。そばに「気根(乳)に手をふれて、一心不乱に祈念するとき、日下俊斉翁の古事にのっとり、樹勢の力を得て霊験あらたか」との説明板。名づけて「子育て…

一枚岩 ~古座川町相瀬~

清らかな流れを誇る古座川。その両岸に迫る奇岩、景峰のうちでも最高の圧観は、高さ100メートル、幅が500メートルの大岩山。流れにそって、屏風のようにそそり立つ「一枚岩」に、こんな話がある。

うるしが渕 ~古座川町月野瀬~

古座川の清流が巨岩にぶつかり、深渕をなしているところがある。これを「うるしが渕」という。

大師の湯 ~古座川町月野瀬~

古座川ぞいの山峡は、神経痛や傷などに効く鉱泉が豊富。これをパイプでひいて沸かし、風呂に利用している旅館や民家が多い。別名「才の谷温泉」といい、この地方に多い弘法大師の徳をたたえる伝説がある。

少女峰 ~古座川町月野瀬~

古座川岸にあるこの山は、その優し気な名前とはうらはらに、高さ150メートルの、厳しくそそり立つ岩山。愛する人のために短かい生涯を終えた少女の、悲しい物語を秘めている。

勘九郎(かぐろ)磯 ~古座町(現:串本町)津荷~

津荷漁港から古座寄りの「津荷の鼻」を回った広い荒磯に、悲恋に散った兄妹の話が残る。

まかずの稲田 ~古座町(現串本町)古田~

弘仁元年(810)2月、この地方を訪れた弘法大師が、古田の白石新兵衛友綱方へ現われた。佛道に篤い心をもち、また大師の説法に感じた友綱は、重畳山神王寺の開基に物心両面の協力をした。

重畳山(かさねやま)の牛鬼退治 ~古座町(現串本町)神野川~

昔むかし。重畳山の奥山に「牛鬼」という怪物がいた。「われこそは」と、退治に出かける人は多かったが、だれ一人として帰って来た者はなかった。

鯛島 ~古座町目津(現串本町古座)~

目津海岸から約一キロ。海賊「藤四郎」で知られる九龍島(くろしま)の後に続くようにして鯛島が浮かんでいる。

背美の子持ち ~太地町太地~

太地の捕鯨は慶長11年(1606)に始まったといわれ、荒海での鯨との戦いは、いかにも勇壮。しかし、そのかげには多くの悲劇も生んだ。

鯨えびす ~太地町太地~

七福神で知られる恵比須さんは、海上、漁業、商業などの神として広く信仰を集めているが、この地に伝わる「えびす」は、鯨で名を売った男の話。

おこない棒 ~那智勝浦町那智山~

昔、那智山に鬼がいた。この鬼、里へ出てきては田畑を荒らし、村人たちを困らせる。 そこで村人たち、一計を案じて鬼にいった。 「もっとヒマな時に出てくればいいのに。ヒマなのは正月の元日から七日までや」

海中の井戸 ~那智勝浦町~

紀の松島で知られる勝浦湾に「モグラ水道」と呼ばれる水脈が走り、海底から真水がわきでている。全国でも珍しい海中井戸だ。 これは、文覚上人(1120~?)にまつわる、動物報恩の話。

徐福の話~新宮市徐福町~

国鉄新宮駅前から、東へ約100メートル。大きな樟が生い茂る小公園の中に、自然石の碑が建つ。碑面の字は「秦徐福之墓」。入り口には、やはり「史蹟 秦徐福墓」と刻んだ、高さ1メートルばかりの石柱。 いつも香華の絶えることのないこの墓には、はるかな昔の…

酒が足らんさけ ~新官市~

酒にまつわる話は多い。しかも、その多くは酒が故の失敗談であったり、そのしくじりが喧嘩口論に発展したというものだが、いまも新宮で語られるこの話は、いわば「酒飲みのへ埋屈」であり、そのために身近な笑い話として残ったものだろう。

美少女おいの ~新宮市新宮~

「好いた同志のうれしい首尾で 心浮島ひとめぐり」。 新宮節にもうたわれている天然記念物「浮島の森」は、いまなお神秘的な雰囲気をただよわせる。そして、その神秘さをそのまま語るような話が伝わる。

橋杭の立岩 ~串本町鬮野川(くじの川)~

古座町姫の国道わきから、約2キロを距てた大島に向かって、大小30余の岩礁が立ち並ぶ。高さ20メートルの、切りたった大岩も含めたそれは、文字通り一直線。ちょうど橋ゲタのように連なる。

お雪の墓 ~串本町大島~

大島は、太平洋戦争の頃まではむしろ、串本の町より賑わった。とくに徳川三百年の間。江戸へ通う船乗りたちのオアシスとして重宝された。