生石高原の麓から

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一枚岩 ~古座川町相瀬~

 清らかな流れを誇る古座川。その両岸に迫る奇岩、景峰のうちでも最高の圧観は、高さ100メートル、幅が500メートルの大岩山。流れにそって、屏風のようにそそり立つ「一枚岩」に、こんな話がある。

 
 昔、太地東牟婁郡太地町)に、岩が大好物という魔物がいた。その魔物は、やがて岩の多い古座川に目をつけ、下流から次つぎと岩を食い荒らして行った

 

 ところが「さて、これからこの大岩を食おうか」と、一枚岩の前に立ったとき、どこからか一匹のが現われ、魔物に飛びかかった。犬が大嫌いな魔物、おいしそうな岩を目の前にしながら、もう一目散。お蔭で、一枚岩から上流の渓谷美は、そのまま残された・・・。

 

(メモ:国鉄紀勢線古座駅から七川方面行きバスで一枚岩下車。国道42号線から車で古座川ぞいに約20分。)
(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

一枚岩
  • 本文で紹介されている物語は、通称「守り犬」伝説と呼ばれている。平成26年(2014)に古座川「水のまちづくり」推進協議会(連絡先:古座川町役場産業振興課)が制作した「古座川風土記(発行所:有限責任事業組合 古座川街道やどやの会)」では、この物語について次のように紹介するとともに、解説を加えている。

《守り犬伝説と犬の影》
 むかし太地に岩をご馳走とする悪魔が住んでいた。
 手始めに浦神の港入口の岩を喰い荒し、続いて津荷越えの岩をつまみ喰いした。池野山の虫喰岩は食べ尽くされた証である。悪魔は古座川を遡上して月野瀬の牡丹岩を、さらに一雨(いちぶり)のドクロ岩をもなめつくした。
 そして遂に巨大な一枚岩にたどりついた。今迄見たこともないような大盛りのご馳走に我を忘れてかぶりつこうとしたとき、悪魔の最大の泣き所、大嫌いなに見つかり、吠えられて動転し、あわてて逃げ帰った。悪魔が流した悔し涙は一枚岩の表面に流れる滝となり、食べこぼしの岩が滝の下の川に積み重なって、まだ残っている
 犬の一鳴きで難を逃れた一枚岩は今に至るまで表面はなめらかで、一枚の優雅な雄姿を訪ねる人々にあますことなく披露している。


 最近、堂實信(むろ みのぶ)氏が、毎年4月下旬と8月下旬の二回、それぞれ数日間、一枚岩の岩壁に犬に似た巨大な影が映し出されることを発見し、これが伝説の犬の姿ではないかと話題になった。太陽が対岸の獄(だけ)ノ森山に沈む夕方5時直前の数分間に限って、もっとも犬の姿に近いシルエットが見られる。
 一枚岩のやや上流に西犬鳴(いんなき)谷の地名「犬鳴」の屋号を継ぐ一軒屋があった。地名の由来は不明であったが、守り犬伝説および犬の影と何らかの関りがあったのではないだろうか。また、伝説の中で、悪魔が岩を食べながら通った経路は、現在では地質学的に「古座川弧状岩脈」と呼ばれている東西約22kmにわたる火成岩(虫喰状の風化が特徴的)の岩脈と奇妙に一致している。おそらく川舟で一枚岩の前を往来していた昔の人々は、偶然犬に似た影が一枚岩に写るのを目撃して、また、太地方面から同じ地質の岩山が延々と続いていることに気づいていて、それが守り犬の民話と「犬鳴」の地名を生んだのではなかろうかと想像してみたくなる。

  • ちなみに、 「犬鳴」の地名については、田辺市出身の教育者・那須晴次氏がその著作「伝説の熊野(郷土研究会 1930)」の中で上記引用とは異なる伝承を紹介している。

犬鳴き(三尾川)

 昔一ノ谷の戦平家方が負けて屋島へ逃げたが或一部分の者が紀州に廻り、古座川を上って居ると源氏が追っかけて来た。ところがそこに飼って居る百姓の犬が平家方に源氏の来た事を知らせる為に鳴いたと云ふ。それで犬鳴と云ふ。

  • 古座川の一枚岩(こざがわの いちまいいわ)は、古座川町相瀬の古座川左岸にある、高さ約100メートル、幅約500メートルの巨岩。一枚の岩盤としては佐渡島の大野亀(高さ約167メートル)や屋久島の千尋の滝(高さ約200メートル、幅約400メートル)などとともに日本最大級とされる。約1400万年前に起きた巨大噴火によって形成された火成岩の岩脈(古座川弧状岩脈)が、長い年月にわたって古座川の浸食を受け続けた結果、滑らかで巨大な表面が生じたものと考えられている。通常、こうした岩体は断層や節理(規則性のある割れ目)が現われたり、風化、浸食などを受けることが多く、巨大な一体の岩体として残存することは稀であることから、昭和16年(1941)に国の天然記念物として指定された。参考のため、その指定理由を下記に引用する。
    参考
    古座川の一枚岩 | 南紀熊野ジオパーク
    古座川の一枚岩 - Wikipedia

石英粗面岩の大岩壁が古座川に臨みて屹立せるものなり
岩壁は高さ約150メートル、幅約300メートルに及ぶも些の節理なく其の名の如く一枚の屏風を立てたる如き偉大なる景觀を呈す
斯る無節理の巨巖は極めて稀有のものなり
筆者注:読みやすさを考慮して原文のカタカナをひらがなに改めた
古座川の一枚岩 文化遺産オンライン

  • 上述の「古座川風土記」からの引用文中にある「虫喰岩」「牡丹岩」は、いずれも岩盤の表面に蜂の巣のように虫喰い状の小穴が多数生じたもので、独特の景観を示している。これらは、上記の「古座川の一枚岩」と同様に古座川弧状岩脈を形成する岩塊の一部であるが、岩(流紋岩質火砕岩)に含まれていた海水中の塩が結晶となり、これが成長する際に生じる力(結晶圧)が岩の表面を破壊することにより、無数の小穴(「タフォニ」と呼ばれる)が作られたものである。
    高池の虫喰岩 | 南紀熊野ジオパーク

    牡丹岩 | 南紀熊野ジオパーク
    タフォニ - Wikipedia

  • 古座川風土記」からの引用文中にある「ドクロ岩」は、古座川の一枚岩より下流にあたる一雨(いちぶり)地区の古座川に沿った岩山を指す。和歌山県の公式観光サイトの中の「『水の国、わかやま。』厳選素材集」のうち、「牟婁エリア」のPDFファイルに次のような記載がある。

82 水が創る 古座川町 かもしか峡
 国指定天然記念物「古座川の一枚岩」よりやや下流の旧国道沿いに、屏風のような岩山の連なりが目につきます。川から見上げると虫が喰ったような形状の部分もあります。これも古座峡の代表的景観のひとつで、一枚岩と同じ「日本の地質百選」古座川弧状岩脈に属します。
 地元では「かもしか峡」の名で呼ばれており、実際、野生のカモシカが時折この付近に現れます。
 江戸時代末期に古座川を舟で遊覧した伊勢の学者、斉藤拙堂は舟から見上げたこの岩山を「髑髏岩(どくろいわ)」と名付けています。虫喰状の部分が頭骸骨のように見えたのでしょうか。
『水の国、わかやま。』 厳選素材集 | 水の国、わかやま。

熊野カルデラ
 熊野カルデラは、約1400万年前の1回のみ噴火した。この時の噴火の規模は、VEI-8で、流紋岩質の火砕物、溶岩などが噴出した。噴出物の総量は、約2700立方キロメートルDRE(筆者注:全ての噴出物を溶岩と同じ比重にしたときに相当する体積に換算したもの)以上で、大規模な火砕流も発生した。
 噴火時の温度は摂氏750度~850度。神戸大学名誉教授、巽好幸氏らの研究によれば、この時の噴火によって噴出し、堆積した火山灰の厚さは、約2000m以上になったという。(火山灰は風雨によって侵食され尽くしている)
 この噴火のため、地球全体の気温は10度以上低下し、大量絶滅が起きた。実際に、約1500万年前~1400万年前には、地球上で大量絶滅が起こった事が知られている。また、この噴火は、約7万4000年前に起こったトバカルデラ破局的噴火(噴出物の総量は2800立方キロメートルDRE)や、イエローストーン国立公園で起こった約210万年前の破局的噴火(噴出物の総量は939立方キロメートルDRE)と並ぶ、地球史上でも最大規模に近い破局的噴火でもある。
熊野カルデラ - Wikipedia

 

  • 古座川風土記」では、室實信氏が最近になって一枚岩に犬の姿に似た影が現れることを発見したと記載されているが、下記のリンク先の記事によると、それは平成18年(2006)4月19日のことであったという。その時に時撮影した写真が話題になり、今では多くの見物人やアマチュアカメラマンが訪れるようになったとのことである。
    一枚岩に愛犬の影 男性がほら貝で供養、古座川:紀伊民報AGARA
  • メモ欄中、バス路線は現在「古座川町ふるさとバス 本川」となっている。

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。