「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。
今回は2005年にオープンした「和歌山県立情報交流センター Big・U」にまつわる話を紹介します。田辺市の新庄総合公園の隣に建設されたこの施設は、県立図書館や多目的ホール、各種研修施設などを備えた複合施設で、オープンから20年以上を経た現在でも多くの人々に利用されている人気施設ですが、ここに至るまでは実に様々な紆余曲折がありました。今回はそんなBig・Uの歴史の一端をご紹介します。
Big・U(ビッグ ユー)は、1990年代前期から2000年代初期にかけてのインターネット黎明期に世界的に景気拡大の波が起こった(のちに「インターネットバブル」「ITバブル」等と呼ばれることになった※1)ことを受けて、「情報技術(IT)を利活用する県民の能力向上を図り、産業の発展・県民生活の充実に資する」ため、田辺市新庄町に開設された県立施設です。
※1 インターネット・バブル - Wikipedia
しかし、この土地には元々こうした施設を建設することが計画されていたわけではありません。今回の話は今から40年近く前のバブル景気※2絶頂期に遡ります。
※2 昭和末期(1980年代後半)から平成初期(1990年代初頭)にかけて日本国内で起きた急激な景気拡大を通称「バブル景気」という。土地価格が急騰し、土地売却益を原資とした投機的取引や高級・高価格品の買いあさりなどが発生し、「地上げ」「土地ころがし」などが大きな社会問題となった。これに関連して、各地でホテルやゴルフ場などを核とするリゾート開発が活発になったが、平成2年(1990)に大蔵省(現在の財務省)が実施した「総量規制」と呼ばれる行政指導により土地取引に対する過剰な融資が規制されたことで多くの事業が頓挫し、やがて「バブル崩壊」と呼ばれる急速な景気後退を迎えることになった。バブル時代 - Wikipedia
バブル景気の初期にあたる昭和62年(1987)に制定された「総合保養地域整備法(通称「リゾート法」)」は、国の承認を受けた計画に基づいて整備されるリゾート施設に対して税制上の支援や政府系金融機関からの融資などの優遇措置を与えるほか、開発許可等の手続きについても弾力的な運用を認めるなど、国を挙げて全国各地で大規模リゾート開発を促進しようとするものでした。
和歌山県でもこれに後れを取るまいと「"燦"黒潮リゾート構想」を提唱するのですが、その中でもひときわ大規模な計画と位置付けられていたのが「田辺湾総合リゾート開発計画」です。これは、我が国を代表する総合商社のひとつである丸紅が中心となって立案したもので、現在のBig・Uの敷地を含む田辺湾周辺地域に2,000億円をかけて東洋一の規模を持つマリーナを備えた大規模リゾート施設を建設しようという意欲的な計画でした。
この構想については、「和歌山地理(10)(和歌山地理学会 1990)」に大野謙一氏が当時の開発計画の詳細を投稿していますので、これを引用します。
論説 田辺市におけるリゾート開発計画と田辺湾の環境/大野謙一
(略)
ここでは、そのうち現在特に具体的な計画案が表面化している丸紅株式会社の「田辺湾総合リゾート開発計画」(仮称)の概要を中心にすすめていくことにする。
田辺市と丸紅の接触が始まったとみられるのは87年10月頃であり、「田辺湾総合リゾート開発計画」は88年8月に発表された。それによると田辺市新庄町内之浦・鳥ノ巣地区に東洋第1の規模をもつマリーナの建設が計画されており、総事業費は1,000億円であった。しかし、89年には、基本計画としてのマスタープラン決定に向けてフランスの建設会社デュメズ社の計画案が採用されたことに伴って、総事業費が2,000億円と倍増された。そのうち丸紅が負担するのは約半分である。開発面積については88年発表時と変わりはなかったが、施設の内容については当初計画のものより質的に高くなっている。丸紅株式会社は伊豆などにおいてリゾート開発事業を進めているが、この田辺市における計画はそれらのうちの3番目の規模に位置するものであるらしい。また、現在東洋第1規模のマリーナがあるのは神奈川県江の島であるが、本計画によるとそれを上回る規模のマリーナが建設されることになる。
この大規模なマリーナが建設されようとしている地域は、第1章でも取り上げた神島・鳥ノ巣半島を含む一帯であり(図4)開発用地は陸地約130ha、海域約30haの計約160haとされている。
当面の間は、図中第1期エリアと示した範囲を中心に第1期事業が進められ、その後第2期事業以降には計画エリアとされている田辺湾周辺全域が開発される運びとなる。丸紅が当地域を開発すれば採算が取れると見込んだ理由としては、この地域にマリーナ建設にとっては最適の波静かな入り江とリゾートには不可欠の豊かな自然があること、また将来的に交通基盤が整備されようとしていることなどが挙げられる。
続いて、設置が予定されている施設であるが、その主なものは表3に示す通りで、現在の田辺市を見る限りでは想像し難いほど大規模な計画である。これらのほか、デュメズ社案の基本姿勢の1つである歩行者優先思想に基づき大半が地下に建設される約5,000台収容の駐車場・ヘリポート・海浜施設と山林施設を結ぶロープウェーの計画案も含まれており、総合的にみて快適環境づくりに重点をおいた設計となっている。表3 丸紅株式会社第1期事業の施設概要
居住施設 ホテル 4~20階建て 3棟(750室)
マンション4~24階建て 88棟(1380室)
コンドミニアム(ホテル形式の高級分譲マンション) 6棟(1400室)
別荘 2~4階建て 7箇所(555戸)スポーツ施設 マリーナ基地 2箇所(ヨット・クルーザー等 600隻収容、クラブハウス、修理 施設、艇庫)
テニスコート 20面
スイミングプール 7箇所
フィットネスクラブ 3箇所
人工ビーチ 3箇所
マリンスポーツクラブ
乗馬クラブ商業・
文化施設ショッピングモール
レストランホール
コマーシャルセンター(商業を集約した総合施設)
フェスティバルセンター(催し物を行う総合施設)
海洋博物館「紀伊現報※3」(1989・9・22)記事より作成
※3 筆者注:原文のまま。「紀伊民報」の誤りと思われる
本計画の今後の運びは、マスタープランの決定・環境アセスメントの提出・用地買収交渉と続き、事業着工は91年春と予定されている。第1期事業の第1次オープンは93年末、第1期事業全体の完成は2001年となっている。
和歌山地理 (10) - 国立国会図書館デジタルコレクション
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しかしながら、上記※2で触れた平成2年(1990)の「総量規制」をきっかけにした不動産価格の下落とそれに伴う景気後退の影響か、平成4年(1992)の春には開発計画が3分の1に縮小され、やがて事業自体が中止となってしまいます。
田辺市は丸紅と共同で進めてきた「田辺湾総合リゾート開発計画」を大幅に縮小すると、4月21日発表した。総事業費は当初計画の3分の1の700億円。主要パートナーだった飛島建設、フランスのリゾート開発会社デュメス社、住友信託銀行が撤退し、丸紅と大阪ガスで事業を進める。開発面積は4分の1の32haで目玉だったリアス式海岸を生かしたマリーナ基地建設は、事実上断念することになった。
(2)事業推進の停滞が報じられたプロジェクトの増加
≪リゾート関連プロジェクトの停滞≫
(中略)
・田辺湾総合リゾート計画(和歌山県)
”燦”黒潮リゾート構想の中心エリアと位置付けられている田辺湾周辺のリゾート開
発計画から民間企業の撤退が相次ぎ、計画を断念(1992.10)
もちろん地元には大企業による大規模開発に反対する声もあったため、丸紅の撤退を歓迎する人々がいたことは間違いないのですが、開発によって日本トップクラスのリゾート地になるという夢が潰えたことにより多くの人々は落胆したようです。中には開発を当て込んで新たな事業用地の取得や設備投資などに乗り出した者もいたようで、計画中止により経済的なダメージを受けた人もいると伝えられていました。
この地域で新たなプロジェクトが動き出したのは、丸紅撤退から7年後の平成11年(1999)のことでした。和歌山県教育委員会が、老朽化した教育研修センターに代わる新たな施設として「総合教育センター」を田辺市に建設すると発表したのです。そして、その場所こそが現在Big・Uのある田辺市新庄町であり、そこは頓挫した丸紅リゾート計画の第一期事業予定地の一角だったのです。
この「総合教育センター」という施設も、建設地がここに決まるまでは長年にわたる苦難の歴史がありました。「総合教育センター基本構想」の検討が開始されたのは昭和51年(1976)のことでしたが、「同実施構想」が策定されたのはそれから20年後となる平成8年(1996)。そして、和歌山市(コスモパーク加太)・海南市(インテリジェントパーク隣接地)・御坊市(御坊工業団地)・田辺市(新庄町)という4か所の候補地を比較検討の上、最終的に田辺市が選ばれたのはそこからさらに3年後の平成11年(1999)のことだったのです。
こうした経緯について、和歌山県教育委員会が発行した「和歌山県教育史」という書籍では次のように解説されています。
教育センター学びの丘の設置と教育研究団体等
昭和42(1967)年に県教育研修所と県科学教育センターを統合して設けられた和歌山県教育研修センターには、同50年度に第一~第四の班が設置された。 その後、同61年度には新たに教育相談室が設けられるとともに、班名は調査研究・研修・理科研修・情報処理教育に変更された。同30・40年代の教育センターは、研究・研修と情報提供を業務としてきたが、同50年代に入ると、非行や不登校等の増加に対応した教育相談やコンピュータ教育の実施に伴う情報リテラシーに関する業務も行うようになった。
本県でも、こうした機能の多様化に対応するため、県教育委員会では同51年に「和歌山県総合教育センター (仮称)建設基本構想(案)」の審議を開始し、同52年10月の「和歌山県長期総合福祉構想(第三次長期総合計画)」に総合教育センター構想が記載され、同61年12月の「和歌山県長期総合計画 新世紀の国21(第四次長期総合計画)」では総合教育センター構想として組み入れられた。平成元(1989)年には県教育庁内に建設検討委員会が設置され、同6~8年度を想定した「新世紀の国21 第三次中期実施計画」では主要プロジェクトの一つとして位置付けられた。同8年3月には「和歌山県総合教育センター実施構想(案)」が作成され、和歌山市(コスモパーク加太)・海南市(インテリジェントパーク隣接地)・御坊市(御坊工業団地)・田辺市(新庄町)を建設候補地として検討が行われ、同9年10月に県教育委員会として田辺市を最適地とする建設調査報告書がまとめられた。
同11年8月に西口勇知事の定例記者会見で総合教育センターの建設推進が発表され、基本計画等の策定が行われた。
和歌山県教育史 第二巻 通史編Ⅱ 平成22年3月31日 和歌山県教育委員
こうしてようやく動き始めた「総合教育センター」でしたが、この事業もまたスムーズには進みませんでした。
上記引用文の最後で西口勇和歌山県知事(当時)が総合教育センターの建設推進を発表したと書かれていますが、西口氏は西牟婁郡上芳養村(現在の田辺市芳養町)の出身であり、総合教育センターが田辺市に建設されることについては強い思い入れがあったと伝えられていました。ところが、西口氏は発表の翌年である平成12年(2000)に、健康上の理由により2期目の任期途中であったにも関わらず無念の辞職を余儀なくされてしまったのです。
西口氏の後を受けて新たに和歌山県知事となったのが、前大阪府副知事の木村良樹氏でした。このとき48歳で当時の都道府県知事の中では最年少であった木村氏は、就任早々に「白浜空港跡地への航空工科系大学の開設」「雑賀崎沖の埋立による港湾機能の充実」という進行中の大型事業を凍結する※4という大ナタをふるい、当時マスコミで持て囃されていた「公共事業改革」の流れにのる「改革派知事」として知られるようになりました。
※4 平成12年9月 和歌山県議会定例会会議録 木村良樹知事発言(和歌山工科大学の事業凍結)平成12年9月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(全文) | 和歌山県議会
こうした「改革」の一環として、木村知事は当時進行しつつあった「IT革命」に対応するための施設整備を新たなプロジェクトとして掲げるようになりました。そして、その施設の建設場所として白羽の矢がたったのが、既に事業着手されていた「総合教育センター」の敷地でした。上記「凍結」宣言が行われてから3か月後に開催された平成12年(2000)12月の和歌山県議会で、木村知事は次のように発言しています。
次に、IT総合センター(仮称)整備の検討についてであります。
21世紀における本県産業の発展、県民生活の充実のためには、インターネットに代表されるIT(情報技術)革命に対応し、いわゆるディジタルデバイド(情報格差)の解消に努めることが重要であります。そのため、県民が気軽にインターネットを活用できるようにするための普及啓発機能や行政サービス向上のため、教員の研修を行う教育センター機能にあわせ、市町村職員や県職員のIT研修機能を有する施設が必要であると考えております。そこで現在、これらの機能を有するITの活用に関する総合的なセンターについて担当部局に指示をし、検討をさせているところであります。今後、県として政府のIT国家戦略とも十分連携を図りながら、新しい時代潮流を的確にとらえ、21世紀に若者や高齢者を初めすべての県民がIT社会に対応できるよう全力で取り組んでまいりたいと考えております。
平成12年12月 和歌山県議会定例会会議録 第1号(全文) | 和歌山県議会
既に進行中の事業を大きく方向転換するということには様々な軋轢が生じます。また、情報産業の支援という意味では和歌山市や海南市に類似の施設が既に開設されていたということもあり、この「IT総合センター」構想には多くの疑念の声が挙がりました。海南市選出の神出政巳県議会議員(当時)は、上記発言のあった12月県議会で木村知事に対して次のような質疑を行っています。
○神出政巳君
(略)
次に、IT総合センター整備の検討についてであります。
県民が気軽にインターネットを活用できるようにするための普及啓発機能や行政サービス向上のため、教員の研修を行う教育研修センター機能にあわせ、市町村職員や県職員のIT研修機能を有する施設が必要であると考えており、これらの機能を有する、ITの活用に関する総合的なセンターについて担当部局に指示し、検討させているところであるとのことでありました。
そこでまず、教育委員会が取り組んでまいりました総合教育センターとの併設ということについてお尋ねします。
総合教育センターについては既に基本構想が作成され、そして今また基本・実施設計の指名競争入札も済み、具体的な作業が進んでいますが、どのように対処するおつもりなのか、お尋ねします。
また、総合教育センターの立地が田辺市新庄ということについては、研修を受ける人の交通費、宿泊費等の経費が大きくなるとの議論があったこともご指摘しておきます。
そして、木村知事が着任早々社長に就任された株式会社和歌山リサーチラボとの関係についてもお尋ねします。
21世紀の頭脳集積を目指す情報・デザインのメッカづくりの中核産業高度化支援施設として平成八年五月に本社社屋が竣工し、和歌山県の情報機能の一元化ということで、財団法人和歌山県中小企業振興公社・産業情報センターが経済センターから転入し、その後、デザインセンターも併設され、今日に至っているところであります。
かつての仮谷知事時代のテクノ&リゾートのかけ声に基づき、和歌山県挙げて大きな投資をしてきたこのリサーチラボは、人材育成事業、研究開発事業、情報提供・交流促進事業、調査事業、そしてレンタルラボ事業等を行っていますが、まだまだこれから大きく広く活用していただかなければならないのではないかと思います。いかがお考えでしょうか。
本年度はインキュベーター事業にも取り組んでいただいておりますが、あきテナントも残っています。そして背後のインテリジェントパークについても、県や地域振興整備公団に大変なお力添えをいただいておりますが、半分くらいの区画が売れ残っています。IT関連施設等の誘致にも、今後とも大いにご尽力いただかなければならないと思いますが、いかがお考えでしょうか。
このような状況の中、IT総合センターを田辺市に設置し、県の情報化推進の拠点を二分するということはいかがなものか、お尋ねします。
○知事(木村良樹君)
(略)
次に、IT総合センター整備の検討についてお答えを申し上げます。
まず、総合教育センターの計画の進捗につきましては、教員の研修を行う教育センター機能以外に、県民がインターネットを活用できるような普及啓発機能や県職員等のIT研修機能を追加し、ITの活用に関する総合的なセンターにするために現在その基本構想を検討しておりますので、総合教育センターに係る基本・実施設計の契約は解除することで事務処理を進めております。
次に株式会社和歌山リサーチラボの活用につきましては、本県における頭脳立地構想の中核的施設としてその果たすべき役割は極めて重要であり、より高度な情報関連人材育成事業を実施するため、新事業支援機関の認定の取得を目指すなど、その機能を一層充実させてまいりたいと考えております。
インテリジェントパークへの企業誘致につきましても、地域振興整備公団を初め関係機関を構成員とする企業誘致推進連絡協議会を設立し、鋭意企業誘致活動に取り組んできたところでありますが、今後とも関係機関と協力しながら、より一層努力をしてまいりたいと考えております。
また、県の情報化推進の拠点を二分化するのかという点につきましては、海南市の株式会社和歌山リサーチラボの重要性はもちろん認識しておりますが、本県の地理的条件から県内すべての地域の速やかな情報化のため、また紀南地域の産業活性化のため、さらには和歌山大学経済学部の紀南地域活性化支援センター構想との連携ということを考慮し、ITの研修機能等を田辺市に配置するということも必要であると考えております。
いずれにいたしましても、現在検討中のIT総合センターの研修機能や普及啓発機能、産業支援機能につきましては、そうしたノウハウを持つ株式会社和歌山リサーチラボとの機能分担や相互連携を含めて検討してまいりたいと考えております。
上記の知事答弁にあるように、「IT総合センター」計画は既に契約済であった「総合教育センター」の基本設計・実施設計を反故にするといういささか強引な方法で進められることになりました。
こうして動き始めたのが後に「Big・U」と名付けられることとなる「IT総合センター」だったのですが、この事業もまた一筋縄ではいきませんでした。ようやく設計が完了していよいよ建設工事に取り掛かった矢先の平成15年(2003)2月、工事現場で大規模な地盤沈下が発生していることが発見され、長期間にわたって工事が中断することになってしまったのです。
後に判明したところによると、この地盤沈下の原因は土地の造成工事に用いられた土砂の中に含まれていた泥岩などの岩石に「スレーキング※5」という現象が発生したことにより、初期の地質調査段階では十分な地耐力(地盤沈下に耐える能力)があると確認されていたにも関わらず、工事が進むに従って徐々に岩石がもろく崩れ始めて急激に地耐力が低下し、地盤沈下を起こしたことが判明しました。
※5 スレーキング | 中国地質調査業協会
スレーキングとは、上記※5にあるように岩石などが吸水と乾燥を繰り返すことで崩壊してしまう現象であり、今回の敷地のように造成後に長期間放置されていた土地では既に崩壊しきって安定化していてもおかしくはないのですが、この土地は平成11年(1999)に開催された「南紀熊野体験博※6」の際に駐車場として使用するために表面に薄くセメントが撒かれており、これが土中への水分の浸透を妨げていたことからスレーキングの進行が阻害されていたものと考えられます。「IT総合センター」の工事が始まり、基礎工事のために地面の掘削が行われて地面に雨水等が浸透するようになった結果、急激にスレーキングが進行して地盤沈下が始まったのです。
※6 南紀熊野体験博 開幕!(1999.5) - 生石高原の麓から
前述のように、強引に「総合教育センター」の計画を変更して進められた「IT総合センター」計画であっただけに、この工事中断には厳しい意見が相次ぎました。平成15年(2003)2月の和歌山県議会では森正樹県議会議員が次のような質問を行い、県土整備部長が計画どおり平成16年(2004)春に完成させることは難しいと答弁しています。
〇森正樹君
(略)
第二にIT総合センターの建設工事についてでありますが、本年二月から地盤沈下が発生し、工事がストップしておりますけれども、その状況と原因等について、また明年春に予定しておりましたオープンにこの現状で間に合うのか、県土整備部長の答弁を求めます。
〇県土整備部長(大山耕二君)
IT総合センター建設工事における地盤沈下の状況とその原因についてのご質問でございますが、昨年8月に着工し、鉄骨工事が4分の1程度進捗した本年2月中旬、基礎のアンカーボルトの位置が一部で低いことが判明いたしましたので、工事を中断して調査を実施し、原因の分析などを行っております。
213カ所の沈下量調査では、ばらつきがありますが、最大17センチの沈下箇所もあり、現在も沈下が進行しております。原因につきましては分析検討中であり、結論に至っておりませんが、少なくとも傾斜観測からは盛り土地盤の地すべりの現象は見られません。
一方、土質調査では、かたい岩塊が乾燥と湿潤を繰り返すことにより、ぼろぼろと細粒化するスレーキング現象が見受けられるところもあります。引き続き、鋭意調査分析を行うとともに対策工法を検討してまいります。
次に、来春オープンの予定に間に合うかとのご質問ですが、速やかに対策工法を決定し、できるだけ早く工事を再開したいと考えておりますが、上屋にかかる工期から判断して、現時点では来年春のオープンには厳しいものがあると考えております。
その後の調査により、県では同年9月県議会に4億3,000万円にものぼる追加対策工事費にかかる議案を提出しました。これに対しては様々な質疑が行われたのですが、その代表的なものとして地元である田辺市選出の大沢広太郎県議会議員(当時)の質問に答えた県土整備部長の答弁を引用します。
○県土整備部長(酒井利夫君)
まず、IT総合センターの地盤沈下の予測についてのご質問です。
地盤沈下の原因についてでございますが、本年2月から原因究明のためボーリング調査8カ所、コア採取による土質の判別、地下水位の変動を把握する水位調査、傾斜計設置などによる水平変位調査、土の物理的特性を把握する土質試験、岩の崩壊の程度や脆弱性を判別する岩石試験等を実施し、あわせて沈下量についても213カ所で計測いたしました。
その結果、盛り土中に含まれる岩塊が乾燥、湿潤を繰り返すことによりぼろぼろと細粒化するいわゆるスレーキング現象による水浸沈下を起こしたことが原因であると判明いたしました。当初の地質調査では、高盛り土であることから、土質やそのかたさを調査するため、通常より多い10カ所のボーリング調査を実施し、地盤の支持力を調べるため平板載荷試験等を実施しておりました。これらの地質調査についても、コアサンプルを含め調査結果資料をすべて今回調査した結果、盛り土材料は岩質のかたい砂岩を主体としたもので、その時点でスレーキング現象を予測することは極めて困難であると思慮されます。
なお、当初の地質調査においては盛り土のスレーキング現象による沈下は予測しなかったものの、建設直後に一般的に生じる沈下として3.4センチメートルを予測しており、建物の基礎構造について、くい基礎構造とするか連続布基礎構造にするかの二案が提案されておりました。建物の設計においては、これらの地質調査結果をもと
に検討し、基礎の剛性を高め、不同沈下に対応した連続布基礎構造を選定しております。このような地質調査結果を踏まえれば適切な設計であったと判断されます。
次に、請負業者には地盤沈下に対する責任がないとした中、1.2億円の負担を求める措置が適正であるのかというお尋ねでございます。
請負業者は今回のスレーキング現象による地盤沈下の原因には直接関係がないため、沈下に対する責任はないと判断いたしました。しかしながら、基礎工事に当たり長期間にわたって沈下に気づかず工事を進めていたことは事実であり、施工管理上に問題があったことは否定できないと思われます。このことから、今回、くい基礎を施工するために支障となる基礎部分の対策工事費用については施工業者等がみずから負担することといたしております。
次に、屋外施設に対する対策工法についてのお尋ねでございます。
ご指摘のように、建物については沈下を起こさないように対策を講ずることとしておりますが、建物以外の部分については、ある程度の沈下を前提に、出入り口部分についてはスロープ等の設置により段差の解消を図るとともに、沈下に対応する配管材料を使用することとしております。また、沈下をできる限り少なくするため、雨水が浸透しないようアスファルト舗装を行い、スムーズに雨水が処理できるよう排水路を適切に設置する等の対策をあわせて実施することとしております。
この議案については通常の本会議での質疑だけでは議論が尽くせないとして、他議案とは切り離して建設委員会で集中審議するという異例の措置がとられました。その結果、本会議において県が二度と今回のような事態を起こさないとする決意を表明することで議案が可決されることとなり、約7か月間の中断を経て工事が再開されました。こうした経緯については、和歌山県広報紙「県民の友 平成15年11月号」の「県議会だより」で次のように記載されています。
なお、IT総合センター関連の議案は、他議案とは切りはなし建設委員会で2日にわたり集中審議した結果、可決されましたが、県民への誠意ある対応と、今後このような事態を繰り返さない決意を、県当局は表明すべきであるとの委員会の意見を受けて、中山副知事が、本会議において「誠に遺憾である。このことを謙虚に受け止め、技術力向上、意識改革に努める。」と陳謝しました。
県民の友 平成15年11月号
7か月間もの長期中断を経てようやく工事が再開されたIT総合センターでしたが、この中断期間の存在は必ずしも悪いことばかりではありませんでした。工事再開と同じ平成15年9月に、いわゆる「小泉構造改革※7」の一環として地方自治法の改正が行われ、IT総合センターのような「公の施設」の管理運営をほぼ全面的に民間企業等に委ねることのできる「指定管理者制度※8」が認められるようになったのです。
※7 聖域なき構造改革 - Wikipedia
※8 指定管理者 - Wikipedia
指定管理者制度を導入するためには、まず条例を制定したうえで民間団体等を対象とする公募の手続きを踏む必要があります。ところが、この時はまだ制度が始まったばかりで参考となる条例や公募要項等がほとんどない状態であったため、IT総合センターに指定管理者制度を導入するには課題が山積していました。もしこの施設が当初計画どおり平成16年(2004)春にオープンしていたとしたら、ここに指定管理者制度を導入する時間的余裕はほぼ無かったと言い切ってよいでしょう。
結果的に、運営を指定管理者(公募の結果「NPO法人和歌山IT教育機構」が指定管理者に選定)に委ねたことによってこの施設の利用の利便性は非常に高くなったと考えられます。現在もなおBig・Uが人気施設であり続けられるのは、この指定管理者制度が大きな役割を果たしているものと言えるでしょう。
今月の人/団体紹介(和歌山IT教育機構)
また、この中断期間中にそれまで「IT総合センター」と仮称されてきたこの施設の名称について、一般公募により「和歌山県立情報交流センターBig・U(ビッグ ユー)」を正式名称とすることが決定※9しました。
※9 全国から3,341件の応募があり、野上町(現在の紀美野町)の小学生の作品が採用された。平成16年6月 和歌山県議会定例会会議録 第1号(全文) | 和歌山県議会
「Big・U」の名称は、この施設が上空から見るとアルファベットの「U」の字に似ていること、及び、これに先立ってオープンした県の施設が「和歌山ビッグホエール(多目的アリーナ 1997年オープン)」、「県民交流プラザ 和歌山ビッグ愛(福祉・保健などの複合施設 1998年オープン)」といずれも「ビッグ」を冠した名称だったことに由来※10するものです。ちなみに、県立施設の正式名称にアルファベットが用いられたのはこの施設が初めてということでした。
※10 2012年にオープンした県立体育館・武道館は「武道・体育センター 和歌山ビッグウエーブ」と名付けられた。
様々な紆余曲折はありましたが、ついに平成16年(2004)10月にBig・Uは竣工しました。当初の開館予定が同年春であったことからBig・Uの供用開始は段階的に行われることとなり、まずはこけら落としとして同年11月19・20・21の3日間にわたり「全国マルチメディア祭2004 in わかやま」が開催されました。
これは、当時総務省が地方自治体と協力して全国持ち回りで開催していた地域情報化イベントで、当時最先端だった高速インターネットやハイビジョン放送のデモンストレーションなどが盛大に実施されました※11。
※11 プレスリリース配信サービスの共同通信PRワイヤーのサイトに当時の企画書のpdfファイルが残されている。全国マルチメディア祭2004 in わかやま企画書(pdf)
「全国マルチメディア祭」終了後、Big・Uはいったん閉館し、什器・設備等を整えたうえで翌平成17年(2005)1月に正式開館を迎えました。そして、4月には「総合教育センター」あらため「和歌山県教育センター 学びの丘」が開所して、これをもってようやくBig・Uのすべての機能が供用開始されたことになります。
思えば、Big・Uに含まれる機能の中で最も早く計画された施設が「総合教育センター」であったにも関わらず、その志を引き継いだ「学びの丘」の供用開始が最も後になってしまったというのはいかにも皮肉なことでした。
こうして、バブル狂騒の時代に動き始めたこの土地の変転はようやくBig・Uのオープンにより落ち着いたと思われたのですが、その翌年の平成18年11月に木村良樹知事が談合事件に関与したとして在職中に逮捕されたことで再び注目を集めるようになりました。知事逮捕の直接の容疑はトンネル工事と下水道工事に関わる贈収賄でしたが、後に行われた民事裁判ではIT総合センター工事に関しても談合が認定されており、ここでも不正が行われていたことが明らかになりました。
和歌山県談合事件 - Wikipedia
何かに祟られているのではないか思われるほど様々なトラブルに見舞われたこの土地と施設ですが、幸いにもBig・Uの運営自体は順調に行われているようです。情報セキュリティに関する民間団体や和歌山県警察本部などの主催によりBig・Uを主会場として毎年開催されている「サイバー犯罪に関する白浜シンポジウム」は、全国の警察や官公庁、セキュリティ関係企業等が参加する国内トップレベルのサイバー犯罪対策会議としてすっかり定着しています。
サイバー犯罪に関する白浜シンポジウム
近年、白浜町周辺では「ワーケーション("Work" と "Vacation" を組み合わせた造語)」を合言葉にIT企業のサテライトオフィスの立地が進んでいますが、中にはこの「白浜シンポジウム」の開催地であることが立地の決め手になったと公言している企業もあり、Big・Uの果たしてきた役割が改めて評価されるきっかけとなっているようです。
ウフル、和歌山県との協定を土台に、白浜町で新事業・研究開発を開始 | 株式会社ウフルのプレスリリース
「人に歴史あり」とはよく語られる言葉ですが、Big・Uはまさに「施設に歴史あり」を体現する施設ではないかと思います。オープンから既に20年近くが経過してそれなりに年期も入ってきてはいますが、それでもなお紀南地域においてこの施設が果たす役割は大きいものであり続けるのでしょう。