「南紀熊野体験博の記録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博(1999.4月~9月)」に関するものを再掲していきます。
平成11年(1999)4月28日に開会式が行われていよいよ144日間の会期がスタートしましたので、その直後の5月3日に実際に会場を訪れた際の様子を紹介していきます。今回は田辺新庄シンボルパークと中辺路いやしの広場の様子です。
さあ、いよいよ「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博 リゾートピアわかやま'99」が開幕しました。
4月28日には田辺新庄シンボルパークに秋篠宮殿下、紀子妃殿下をお迎えして開会式が開催され、翌29日には那智勝浦シンボルパークで開幕式を開催して、9月19日までの144日間の会期が始まったのです。
先日、開幕間もない体験博会場に行って来ましたので、そのレポートをお届けします。
田辺新庄シンボルパークの最大のイベント会場となる野外音楽堂「ミューズパークたなべ」。常設イベント「森のフェアリア」をはじめ、オープニング記念の「くまのの森音楽祭」などさまざまなイベントがここで開催されます。
パビリオンゾーンの入り口付近。奥に見えるのが「NTTふる里ふれ愛コミュニケー村」「Panasonicプログレッシブ3Dシアター」などがある企業パビリオンです。
こちらはテーマ館。ハイビジョン300インチの巨大映像で熊野の森をバーチャル飛行する「森の飛行船体感シアター」や、「バーチャルサウンドシアター 森とエネルギーの館」、和歌山県内の風景を映像で綴った立体歳時記・観光イベント紹介コーナーなどがある「情報ステーション」の3つのゾーンで構成されています。
地面から霧が吹き出てくる不思議な広場。子供達にとっては何よりの遊び場になったらしく、一日中子供の歓声が途切れることなく続いていました。
こうしたイベントでは、食べ物も大きな楽しみの一つ。今回も、インド、トルコ、韓国など海外の食べ物のほか、特産の海産物をふんだんに使った丼や串焼きなど美味しそうな食べ物が用意されています。
個人的には、韓国料理の屋台にあった牛カルビの串焼きが大変気に入りました。
会場内にある田辺市立美術館。ここでは、特別展として南方熊楠と親交のあった画家達の作品展が行われていました。川島草堂、原勝四郎、保田龍門、野長瀬晩花など、和歌山出身の高名な画家達は皆熊楠となんらかの形で親交があったということを、私はこの展示を見て初めて知りました。
ちなみに、会場内には保田龍門が製作した熊楠のデスマスクも展示されています。
(田辺新庄シンボルパークの入場は無料ですが、田辺市立美術館は有料となっています。)
熊野古道ウォークの中継点として重要な役割を果たす中辺路町近露には、「中辺路いやしの広場」が設けられています。ここには熊野古道に関する様々な情報を提供する案内所が設けられているほか、簡単な飲食、物販コーナーや田辺・白浜と本宮・新宮・那智勝浦各地を結ぶ特急バスの停留所などが設けられており、「平成の熊野王子社」としての役割を果たしています。
逆光になっていて写真ではよく見えないかもしれませんが、中辺路いやしの広場の隣接地には「熊野古道なかへち美術館」があります。中辺路町は、野長瀬晩花、渡瀬綾雲という2人の高名な日本画家の出身地であるため、この美術館は主としてこの両者の作品を収蔵し、展示することを目的として設立されました。
現在は、南紀熊野体験博に連動して、同博のテーマストーリーであるジョン・バーニンガム作「地球というすてきな星(原題はWhaddayamean?)」の原画展が開催されていました。
※上記の記事は1999年5月に個人のWebサイトに掲載したものを再掲しました。
南紀熊野体験博は、旧・通商産業省が定めた「特定地方博覧会制度(通称:ジャパンエキスポ)」に基づく博覧会で、このイベントは下記のとおり通算12回開催されました。
JAPAN EXPO - Wikipedia
名称 | 期間 | 会場 | 入場者数 | |
第1回 | ジャパンエキスポ富山 | 1992年 7月10日 - 9月27日 |
太閤山ランド (富山県小杉町) |
237万人 |
第2回 | 三陸・海の博覧会 | 1992年 7月4日 - 9月15日 |
岩手県釜石市 ・宮古市・山田町 |
201万人 |
第3回 | 信州博覧会 | 1993年 7月17日 - 9月26日 |
松本平広域公園 (長野県松本市) |
240万人 |
第4回 | JAPAN EXPO 世界リゾート博 |
1994年 7月16日 - 9月25日 |
和歌山マリーナシティ (和歌山県和歌山市) |
294万人 |
第5回 | 世界祝祭博覧会 | 1994年 7月22日 - 11月6日 |
三重県伊勢市 | 351万人 |
第6回 | 世界・焱の博覧会 | 1996年 7月19日 - 10月13日 |
佐賀県有田町 | 255万人 |
第7回 | 山陰・夢みなと博覧会 | 1997年 7月12日 - 9月28日 |
夢みなとタワー公園 (鳥取県境港市) |
193万人 |
第8回 | 国際ゆめ交流博覧会 | 1997年 7月19日 - 9月29日 |
宮城県仙台市 | 106万人 |
第9回 | JAPAN EXPO 南紀熊野体験博 |
1999年 4月29日 - 9月19日 |
田辺新庄 シンボルパーク (和歌山県田辺市) 那智勝浦 シンボルパーク (同 那智勝浦町) |
310万人 |
第10回 | 北九州博覧祭2001 | 2001年 7月4日 - 11月4日 |
スペースワールド駅前 (福岡県北九州市) |
216万人 |
第11回 | うつくしま未来博 |
2001年 |
須賀川テクニカル リサーチガーデン (福島県須賀川市) |
166万人 |
第12回 | 21世紀未来博覧会 |
2001年 |
きらら浜 (山口県阿知須町) |
251万人 |
ジャパンエキスポの開会式には皇族のご臨席を賜るのが通例となっており、南紀熊野体験博では世界リゾート博と同様に秋篠宮殿下、紀子妃殿下がおいで下さいました。これには、紀子妃殿下(旧名は川嶋紀子さま)の曽祖父である川嶋庄一郎(旧名は松浦力松)氏が和歌山県出身(生まれは有田郡山保田組板尾村(現在の有田川町)で、後に和歌山市の川嶋家の婿養子となった)であったということが少なからず影響しているのではないかと私は考えます。
川嶋庄一郎 - Wikipedia
なお、この開会式の様子については、博覧会終了後に発行された「南紀熊野体験博 公式記録」に次のように紹介されています。
また、那智勝浦シンボルパークで開催された開幕式の模様についても次のように紹介されています。
田辺新庄シンボルパークの会場となった新庄総合公園は、田辺市では最大となる面積約23ヘクタールの都市公園で、現在は野外音楽堂(ミューズパークたなべ)や田辺市立美術館のほか、大型遊具なども整備されており、休日ともなれば多数の家族連れで賑わいます。この会場は、南紀熊野体験博のシンボルパークとなった後、平成23年(2011)には全国植樹祭の主会場となり、天皇皇后両陛下(現在の上皇・上皇后両陛下)がここで苗木の「お手植え」と樹木の種子の「お手播き」をされたということでも知られています。
中辺路いやしの広場は、熊野古道中辺路(現在の田辺市から熊野三山へと至るルート)の重要な拠点となる近露地区に設けられました。この周辺には、中辺路ルートのシンボルともいうべき牛馬童子像や、藤原秀衡の故事が伝えられる乳岩・秀衡桜※、野中の一方杉※、野中の清水、高原熊野神社など、様々な伝承にまつわる事物が多数点在していることから、ここに大規模な駐車場やバスターミナルを設けて簡単な飲食・物販施設を整備することで、熊野古道を歩こうとする人々の利便を図ったのです。
※これらについては別項において紹介していますのでこちらもご参照ください。
狼の乳岩 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)滝尻~
秀衡桜 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~
野中の一方杉 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~
なお、「南紀熊野体験博 公式記録」にはこの中辺路いやしの広場についても次のような写真が掲載されていました。
中辺路いやしの広場に隣接する「熊野古道なかへち美術館」は、上記でも書かれているように、地元出身の高名な日本画家、野長瀬晩花、渡瀬綾雲両氏の作品を収蔵することを主目的として南紀熊野体験博の前年である平成10年(1998)に開館しました。
両氏の功績については下記リンク先にある同美術館のWebサイトで詳述されていますので、ここでは野長瀬晩花氏が、室町時代の戦記物語「太平記」において窮地に陥った大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子)を救出したと伝えられている「紀伊国の住人 野長瀬六郎、七郎」の後裔である、と伝えられていることを強調しておきたいと思います。これについては、別項「野長瀬一族」において詳述していますので、興味があればこちらもご覧ください。
熊野古道なかへち美術館|和歌山県田辺市
野長瀬一族 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)近露~
また、熊野古道なかへち美術館の設計を手掛けた建築家ユニット「妹島和世+西沢立衛/SANAA」は、後に金沢21世紀美術館やニューヨークの新現代美術館、フランスのルーヴル美術館ランス別館などを手掛け、「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞を受賞するなど世界的に高く評価されることになりますが、このユニットによる最初の作品が熊野古道なかへち美術館であったということはもっと広く知られるべきであると思います。
SANAA - Wikipedia