生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

南紀熊野体験博ニュース Vol.3(1999.2)

 「南紀熊野体験博の記録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博(1999.4月~9月)」に関するものを再掲していきます。

 

 今回の記事は、南紀熊野体験博の準備状況をお知らせする「南紀熊野体験博ニュース」の第3号を紹介します。

 この時点では既に南紀熊野体験博の開幕が目前に迫っており、準備段階での発行としてはこれが最終号となりますが、例によって当時はインターネット環境が貧弱であったため、画像の掲載は表紙のみで、目次をテキストで紹介するものとなっていますのでご容赦ください。

 また、後段では、このニュースでも紹介されている「サンティアゴへの道」との姉妹提携に関する解説を記載しています。

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南紀熊野体験博ニュース Vol.3 発行

南紀熊野体験博の情報を随時お知らせする「南紀熊野体験博ニュース」の第3号が発行されました。
ここでは、その概要をご紹介します。

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テーマ&イメージソング
テーマソング 「すべての命が愛しくなる」
  作詞・作曲・歌 小椋 佳
イメージソング「あなたへの帰り道 ~大地へ~」
  原詩 北条晶子(滋賀県立国際情報高校3年生)
  補作詞・作曲 小椋 佳、歌 福井多香子

マグナム・フォト写真展 「熊野古道サンティアゴへの道」
    「世界最高の写真家」たちが撮った南紀熊野の自然・人・風物
  2月25日から名古屋、4月2日から大阪で写真展開催。
  体験博では、中辺路町立美術館での展示を予定!

開幕間近! 体験博の全体概要
 海も山も川も、すべてが会場
 開幕間近、144日間の体験博
  歴史の道 熊野古道
  400を越す市町村イベント
  2か所のシンボルパーク
    田辺新庄
    那智勝浦
  3つのテーマイベント
    10万人の熊野詣
    黒潮マリンスポーツ・フェスティバル
    黒潮自然ふれあい王国

田辺新庄シンボルパーク
熊野の森を自在に飛行「森の飛行船 体感シアター
森の妖精が乱舞 華やかに光のイベント「森のフェアリア
有名ミュージシャン続々登場 野外音楽堂は熊野の森のステージ
 5月 1日    小椋 佳
 7月29日    上々颱風
 8月 6日    東京スカパラダイスオーケストラ
 8月11日    グッチ裕三
NTT ふる里ふれ愛コミュニケー村
 ふる里で体験する、次世代コミュニケーション
パナソニックプログレッシブ3Dシアター
 海を守る調査隊「シースクワッド」の冒険物語
 次世代3D映像を駆使した<新感覚>シアター!

那智勝浦シンボルパーク
巨大鯨が水しぶき「生命と海のシンフォニー
南紀熊野くろしおエキスプレス1999
 松本零士さんがキャラクターを担当
  ~ゲームの世界で南紀熊野を体験~
ゴールデンウィークはイベントの連続
 4月29日    オープニングコンサート(BEGIN
 4月30日、5月1日    ダンスミュージカル(ミクル劇団
 5月 2日    坂田明清水興
 5月 3日    大上留利子&ジェニファーWITHレ・モンペ合唱団
 5月 4日    ネーネーズ
 5月 5日    「忍たま乱太郎」キャラクターショー

「御幸記」から始まる10万人の熊野詣
平成版「蟻の熊野詣」を実現
清姫淵」「大斎原」2か所のステージイベント

  清姫
   5月15日    清姫たまゆらの恋~炎と太鼓と舞の饗宴
         (伊瑳谷門取、和太鼓集団「天鼓」ほか)
   5月29日    熊野いやしの音楽祭
         (ボニージャックスほか)
  大斎原
   5月 2日    小栗判官中西和久
   5月 8日    熊野和太鼓フェスティバル
         (みやらび太鼓奥熊野太鼓
   7月31日、8月 1日
           スサノオ異聞(監督・美術 勅使河原宏
   8月 5日、8月 6日
         萬斎イン熊野野村萬斎

気軽に歩こう 熊野古道 
 5つのゾーンでおすすめ13コース
   口熊野ゾーン
   中辺路ゾーン
   本宮ゾーン
   新宮ゾーン
   那智勝浦ゾーン

熊野古道」と「サンティアゴへの道(スペイン)」が姉妹道提携 
  1999年は「体験博」&「ヤコブの年

はじめてでも楽しめる黒潮マリンスポーツフェスティバル    
黒潮大物釣り大会
 4月29日~8月31日、海・川全域
熊野灘シーカヤックラソン
 5月8・9日、串本町古座町
ビーチスポーツフェスティバル
 6月13・27日、白浜町:8月22日、那智勝浦町
スーパーライフセービングイン白浜
 7月10~11日、白浜町
パンパシフィック マヒマヒフェスティパル
 8月1日、串本町
A.S.P.WQSワールドチャレンジシリーズ
 9月14~15日、那智勝浦町

リゾート体験イベント
   <体験>しないと始まらない!
 多種多様な約150の体験プランから思い思いにセレクトしよう。

16市町村地域イベント 
   多彩なお祭り その数約260

 

※上記の記事は1999年2月に個人のWebサイトに掲載したものを再掲しました。

※注:サーフィンの国際的なプロ組織「Association of Surfing Professional(現在のWorld surf League(WSL))」が主催する「World Qualifying Series」に属する大会

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 この目次に掲載されている多くの事項は、これまでの記事で何回か取り上げているものがほとんどですので、ここでは「熊野古道」と「サンティアゴへの道」との姉妹提携について少し補足をしておきます。
 和歌山県の広報紙「県民の友 平成10年(1998)12月号」の一面ではこの姉妹「道」提携について次のように紹介しています。

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 「サンティアゴへの道El Camino de Santiag)」は、主にフランス各地からピレネー山脈を経由してスペイン北部を通り、キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラという地に至る巡礼路を指します。この地が聖地とされている背景には、次のような伝承があるとされています。

 聖ヤコブガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従った。ヒスパニアにおいて布教活動を行い、エルサレムに帰還後、ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され十二使徒のうち最初の殉教者となった。その遺体を弟子2人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末に本市付近に辿り着き、埋葬したのが紀元1世紀半のことであった。これが聖地の起源であるといわれている。そうしてこの墓が再発見されたのは、伝説では、9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地でヤコブの墓を発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこに教会が作られた。これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源とされ、町の名はラテン語の「Campus stellae」(星の野)あるいは「Compositum」(墓場)にちなんで名付けられたと言われるが、これらは民間語源の域を出ないものである。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ - Wikipedia

 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラをめざす巡礼の道は、1993年に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としてユネスコ世界遺産に登録されました。「熊野古道」も「サンティアゴへの道」も、ともに1,000年以上にわたって続く世界的にも稀有な巡礼の道であるため、和歌山県では南紀熊野体験博の開催を契機として「道」の姉妹提携を行うこととなったものです。

 「サンティアゴへの道」はまた、同時期に大きな動きとなってきた熊野古道世界遺産登録にむけての取り組みにも影響を与えました。和歌山社会経済研究所が平成14年(2002)に公表した「世界遺産登録による県勢活性化調査  -中間報告-」では、「紀伊山地の霊場と参詣道』と類似した世界遺産の現況」として「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に関する現地調査を行っており、「熊野古道」と「サンティアゴへの道」との相違点や類似点を比較したうえで、現地ガイドの養成やサブルートの開発、宿泊施設の魅力向上などを提言してます。また、この時点では両者の相違点として、サンティアゴでは自転車による移動が一般的であることや標識・サインが統一されていることなどが延べられていますが、これらについては近年になってかなり取り組みが進んできたと思われるのも興味深いところです。
 この報告書の内容は下記リンク先で現在も読むことができますが、ここではその導入部分にあたる「サンティアゴへの道」の現況解説を引用しておきます。

1)「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは
 「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは、キリスト教12使徒の一人であるヤコブスペイン語サンティアゴの墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマエルサレムと並び、このサンティアゴヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となった。発見当時、イベリア半島の大半はイスラム勢力に占拠されていたため、この発見はキリスト教勢力のレコンキスタ(国土回復運動)の広がりを促す契機ともなり、巡礼路は目覚しい発展を遂げた。中世にはヨーロッパ各地から年間50万人もの人が徒歩や馬車でピレネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したと言われている。巡礼者は、通行手形や巡礼証明書を持ち、巡礼のシンボルともなっている帆立貝の貝殻を提げ、水筒や杖を携えて、さまざまな思いを胸に、辛く苦しく長い巡礼の道をまさに命がけで旅したのである。サンティアゴ・デ・コンポステーラを日本語に訳せば「星の野原の聖ヤコブ」ということになる。日本の熊野古道では、列をなして連なるその参詣の様子を「蟻の熊野詣で」と称したが、スペインやフランスでは、天の川のことを「ヤコブの道」と呼んでおり、星の数ほどの巡礼者達が、この巡礼路をサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう様子を現在に伝えている。

和歌山社会経済研究所 | 自主調査実績(平成14年度)

 

 上記の「南紀熊野体験博ニュース」によると、1999年は南紀熊野体験博が開催される年であると同時に「ヤコブの年」でもあると書かれています。毎年7月25日は「ヤコブの日」としてキリスト教の休日の一つになっていますが、これはヤコブの遺体がコンポステーラに移送された日であるとされています。そして、この「ヤコブの日」が日曜日にあたる年を「ヤコブの年」と呼び、その年に巡礼を行った巡礼者は贖罪されると伝えられていることから、多くのキリスト教徒がこの年に巡礼するのだそうです。「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」のブログによると、1999年には1000万人以上がサンティアゴの地を訪れたと言われます。

ヤコブの日
2008.07.25 Friday
 今日は聖ヤコブの日。聖ヤコブの遺骸がサンティアゴに移葬された日です。(聖ヤコブの殉教日と指定されています)
 この日が日曜日に当たる年は聖年となり、「ヤコブの年」と呼ばれ、その年に巡礼すれば贖罪されると言われています。またその年だけ、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の「聖なる門(Porta Santa:ポルタ・サンタ)」が開かれます。次の「ヤコブの年」は2010年。巡礼路沿いの町や村も、その年には巡礼者が倍増するので、それに向けて今巡礼宿を増やしたり設備を整えたりして準備をしています。旅行者の数も含めると1999年の聖年には1000万人以上がサンティアゴの地を訪れています。

聖年は2010年の次は2021年、2027年、2032年・・・と続きます。
:: 聖ヤコブの日 | 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 ブログ ::

 

 平成30年(2018)、熊野古道サンティアゴへの道の姉妹道提携20周年を記念して、 スペイン・ガリシア州ロマン・ロドリゲス・ゴンザレス文化観光大臣和歌山県を訪問し、今後も共同でプロモーションしていくことを確認しました。
 わかやま新報 » Blog Archive » 姉妹道20周年 ガリシア州文化観光相が来県

 また翌平成31年(2019)1月には仁坂和歌山県知事がスペインを訪れ、現地で和歌山県のプロモーションを行いました。和歌山県のWebサイトにある「知事からのメッセージ 平成31年2月6日」の項にはこの際のプロモーションの内容が次のようなプレゼンテーション資料とともに掲載されています。
 知事からのメッセージ 平成31年2月6日 | 和歌山県

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 この「知事からのメッセージ」の項にはこの姉妹道提携に関する各種のエピソードなどが多数掲載されているのですが、特に興味深いのは、提携10周年を記念して仁坂知事がサンティアゴ・デ・コンポステラを訪問した際に、ガリシア州での政権交代で姉妹道提携のことが忘れられてしまっていたことが判明した、という話です。これについて知事は次のように書いています。

 私はもう12年も知事をしていますので、この20年間の後半には色々と思い出深いこともありました。一番の思い出は、協定10周年を記念してという県職員の説明で、サンティアゴ・デ・コンポステラに最初に乗り込んだところ、何と西口知事が交わした協定が、ガリシア州側の政権交代ですっかり忘れられていることを発見し、咄嗟に一人で現地で大立ち回りを演じて、元の鞘にうまく収めたことでした。でも、この時は、たまたま私が日西両政府間の日西委員会の講演者兼メンバーとして招待を受けていてサンティアゴにわりと長く滞在できたという特殊事情があったことにも助けられました。現在の、行って用事をしてすぐ帰るという弾丸ツアーでは、到底あの離れ業は不可能であったと思います。ただし、その後10年で和歌山県の外交能力は格段に高まりました。職員の能力とカウンターパートのグリップが向上し、今ではあんなことは全く考えられません。