生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

「10万人の熊野詣 熊野御幸記の旅」ウォークイベント(1999.2)

 「南紀熊野体験博の記録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博(1999.4月~9月)」に関するものを再掲していきます。

 

 今回の記事は、南紀熊野体験博のテーマイベント「10万人の熊野詣」の中核となる「熊野御幸記の旅」に関する話題です。

 「10万人の熊野詣」は、かつて「(あり)の熊野詣」と称されたほど多くの人々が列をなして集まったとされる熊野参詣の賑わいを現代に再現しようとする試みで、標記の「熊野御幸記の旅」に加え、地元出身の歌手坂本冬美天童よしみ(公式プロフィールでは大阪府八尾市出身となっているが、出生から4歳までは田辺市で過ごした)らを迎えたイベントや清姫(きよひめぶち)、大斎原(おおゆのはら)などの歴史の舞台となった場所でのイベントなども開催されました。後段ではこうしたイベントの記録などについても紹介します。

※「蟻の熊野詣熊野参り)」という言葉が記録として残るのは1603年(慶長8年)にイエズス会が刊行した「日葡辞書」で、「Ari(蟻)」の項に「Arino cumano mairi fodo tcuzzuitayo(蟻の熊野参りほど続いたよ)」との例文があるとのこと。蟻の熊野詣、蟻の熊野参り:熊野を知るためのキーワード

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南紀熊野体験博テーマイベント「10万人の熊野詣 熊野御幸記の旅」ウォークイベントが開催されます

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熊野御幸記の旅
 「熊野御幸記(くまの ごこうき)」は、鎌倉時代歌人藤原定家が京都から熊野三山に向かう熊野詣を記した日記です。南紀熊野体験博では、これを素材とした「熊野御幸記の旅」ウォークイベントを実施します。

第1期    熊野古道出立ウォーク
時期    平成11年3月21日(祝日)~22日(休日)
場所    京都・大阪
内容    出立の儀・時代行列ウォーク

第2期    熊野古道紀伊路リレーウォーク
時期    平成11年4月3日(土)~25日(日)
場所    和歌山市~南部町
内容    熊野古道ウォーク

第3期    熊野古道中辺路ウォーク
時期    平成11年4月28日(水)~6月13日(日)
場所    田辺市熊野三山
内容    熊野古道ウォーク

第1期 熊野古道出立ウォーク
(京都・大阪)---出立の儀・時代行列ウォーク

第2期 熊野古道紀伊路リレーウォーク
和歌山市から南部町)----熊野古道ウォ一ク

1 4月 3日(土)    和歌山市
[7Km・3時間]
【JR布施屋駅~伊太祁曽神社

2 4月 4日(日)    海南市・下津町
[6.5Km・3時間][14.1Km・5時間]
【JR海南駅~JR冷水浦駅・JR海南駅~長保寺~(バス)~JR下津駅】

3 4月17日(土)    有田市湯浅町
[7.5Km・3時間]
【JR紀伊宮原駅~宮原小学校~JR湯浅駅】

4 4月18日(日)    広川町・日高町
[7.2Km・4時間]
【JR広川ビーチ駅(バス)~河瀬王子~内原保育所~(バス)~JR紀伊内原駅

5 4月24日(土)    御坊市
[7.6Km・3時間][13.9Km・5時間]
御坊駅御坊駅周遊コース・御坊駅~名田花きセンター~(バス)~御坊駅

6 4月25日(日)    印南町・南部町
[13Km・5時間]
【JR印南駅~印南町役場~千里親昔~(バス)~JR南部駅

第3期 熊野古道中辺路ウォ一ク
田辺市から熊野三山)----熊野古道ウォーク

1 4月28日(水)    田辺市新庄シンボルパーク    開幕式参加
2 5月15日(土)    田辺市    3時間コース
3 5月16日(日)    上富田町大塔村    4時間コース
4 5月22日(土)    中辺路町    3時間コース
5 5月23日(日)    中辺路町    3時間コース
6 5月30日(日)    本宮町    3時間コース
7 6月 5日(土)    新宮市    4時間コース
8 6月 6日(日)    那智勝浦町    3時間コース
9 6月12日(土)    那智勝浦町熊野川    6時間コース
10 6月13日(日)    熊野川町・本宮町    7時間コース
   ◇コース時間は、休憩を含んでいます。

 

参加者募集
第1期「出立ウォーク」参加者を募集します

○京都

 開催日時
  平成11年3月21日(祝日)13:30~15:30
 開催内容
  京都市伏見区城南宮での出立の儀、2時間程度の市中ウォーク
○大阪
 開催日時
  平成11年3月22日(休日)13:30~15:30
 開催内容
  大阪窪津王子から2時間程度の古道ウォーク

1 募集人員
 各日とも100名。
 内訳は、男性大人15名、小人6名。女性大人70名、小人9名。
(大人衣装はフリーサイズ、小人は4歳から8歳までの方で(身長125cmまで)保護者と一緒に参加して下さい。)

2 申込先
 往復はがきに、郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号・希望日(番号)を記入し(はがき1枚につき3名まで)〒646-0027 田辺市朝日ケ丘23-1 南紀熊野体験博実行委員会事務局「熊野御幸記の旅」係まで。
 応募者多数の場合は抽選とします。

3 締め切り
 平成11年2月22日(月)

4 問い合わせ
 南紀熊野体験博実行委員会 テーマイベント課

 

※上記の記事は1999年2月に個人のWebサイトに掲載したものを再掲しました。

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 上記の文中でも述べられていますが、「熊野御幸記」は歌人として名高い藤原定家新古今集選者の一人)が、建仁元年(1201)に行われた後鳥羽上皇の熊野参詣に随行したときの様子を詳細に記録した旅行記です。平安時代の熊野参詣に関する代表的な史料とされ、その原本は国定に指定されています。
熊野御幸記〈藤原定家筆/建仁元年十月〉 文化遺産オンライン

 なお、熊野御幸記の内容については、ゆーちゃん氏の個人サイトに読み下し文が掲載されていいるのでこちらで全文を読むことができます。ゆーちゃん様のご労苦に感謝します。
御幸記

 

 「熊野御幸記」の旅を追体験するイベントとして企画された「熊野御幸記の旅」について、博覧会終了後に制作された「南紀熊野体験博 公式記録」では次のように総括しています。

「熊野御幸記」古道ウォーク
 テーマイベント「10万人の熊野詣」の柱が「熊野御幸記」古道ウォーク。3月21日に京都・城南宮をスタートした時代行列「熊野御幸記隊」が、一般参加者とともに紀伊路・中辺路を通って熊野三山を目指して歩く熊野古道ウォークに、延べ1万3711人が参加した。
 鎌倉時代歌人藤原定家が記した熊野詣の日記「熊野御幸記」をもとにしたイベントで、3期に分けて実施した。
 第1期の「熊野古道出立(しゅったつ)ウォーク」は、体験博の開幕を全国に告知するPRイベント。城南宮で行った出立式は、平安時代の形式を再現した。
 実行委員会会長である西口知事上皇に、タレントの吉野公佳さんが女院に扮して、白装束で本殿に登場。道中の安全を願った儀式など、い にしえの御幸絵巻を披露した。
 「熊野御幸記」古道ウォークのスタートに当たって西口知事は「各地をリレーする古道ウォークを通じて、和歌山の歴史の素晴らしさを感じ取って下さい」とあいさつ。来賓として出席した荒巻禎一京都府知事は「体験博の開催を契機に、平安時代以来の和歌山県とのきずなをさらに強めていきたい」と述べられた。
 翌22日には、熊野九十九王子の一番目の王子である大阪・窪津(くぼつ)王子を時代衣装の一行が出発し、約2時間大阪市内を歩いた。
 第2期は「熊野古道紀伊路リレーウォーク」と題して、4月3日から25日までの土・日曜日に、和歌山市から南部町までの古道を6回に分けて歩いた。
 第3期は「熊野古道中辺路ウォーク」で、期間は5月15日から6月13日まで。田辺市から熊野三山までの中辺路ルートを歩く計9回のウォークを実施。各地で伝統芸能の披露や地域特産物でのおもてなしがあるなど、温かい歓迎があった。17回実施したウォークイベントの合計距離は約150キロ。全行程を歩いた熱心な参加者が5人いた。また、窪津王子から熊野本宮大社までを延べ18日間かけて踏破した3人もいた。
 ウォークの最終ゴールとなった熊野本宮大社では6月13日、到着セレモニーがあり、3カ月間にわたって行われたイベントの成功を祝った。

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南紀熊野体験博 公式記録

 南紀熊野体験博において「10万人の熊野詣」と銘打たれたテーマイベントでは、上記の「熊野御幸記 古道ウォーク」のほかにも、「清姫淵イベント」、「大斎原イベント」、「よみがえる『熊野の森』植樹イベント」、「熊野古道サンティアゴへの道写真展(別項「南紀熊野体験博ニュース第2号(1998.10) 」後段参照)」などが行われました。

 「清姫(きよひめぶち)イベント」は、安珍清姫伝説(別項「清姫狂乱」参照)で知られる中辺路町真砂(現在の田辺市中辺路町日高川河川敷に設けた特設ステージで行われたもので、「清姫たまゆらの恋~炎と太鼓と舞の響宴」、「熊野いやしの音楽祭」という2つのイベントが開催されました。

 「大斎原(おおゆのはら)イベント」は、かつて熊野本宮大社の社殿があった場所(大斎原)を舞台として行われたもので、「すさのお異伝」、「麦藁少年~むぎわらのひさしのかげの白昼夢~」、「狂言『万作/萬斎 熊野舞台』」、「ひとり芝居『をぐり考』」、「熊野和太鼓フェスティバル」という5つのイベントが延べ8日間にわたって開催されました。

 また、「よみがえる『熊野の森』植樹イベント」は、紀伊半島の森林を現在の人工林主体のものから、かつての姿であるシイ、カシ類を主体とした照葉樹林に戻していこうとする取り組みです。この時に植えられた苗木は、一年前から多くのボランティアの手によって採取され、育成されてきたものです。(別項「南紀熊野体験博記念植樹 苗木採取ボランティア募集」参照)

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 公式記録によれば、「10万人の熊野詣」と銘打ったイベント全体の参加者は下記一覧表のとおり約36,000人となりました。これに、これらのイベントとは別に「熊野古道『おすすめ13コース』」を歩いた人の数は159,000人(公式記録)とされていますので、今回の博覧会の目的のひとつであった「10万人の熊野詣」は十分に達成できたものと考えてよいでしょう。

10万人の熊野詣
   「熊野御幸記」古道ウォーク(18回)  16,011人 
   植樹イベント(6回)  1,928人 
   清姫淵イベント(2回)  2,500人 
   大斎原イベント(5回)  7,900人 
   熊野古道サンティアゴへの道写真展    3,468人 
   その他(7回)  4,600人 
   合計  36,407人 

 

 当時はまだそれほど重要な地域資源であるとは考えられていなかった「熊野古道」について、南紀熊野体験博を通じて多くの人々が魅力を感じ、それが貴重なものであるということに地域の人々が気付いたということが、南紀熊野体験博の大きな成果であったと思います。

 南紀熊野体験博が企画されていた当時、既に民間レベルでは「熊野古道世界遺産に登録してはどうか」という声が上がっていたものの、まだまだ一般には「世界遺産に登録するためだけに景観を規制し、開発を抑制することなどもってのほか」という意識が強かったと思います。ところが、南紀熊野体験博への取り組みを通じて「熊野古道や歴史文化を保全することこそが地域活性化の鍵になるかも」という考えが、地域住民や行政関係者の中に芽生えてきたのです。
 やがてこの運動は熊野地域のみならず、紀伊半島全域を対象とする3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山高野山)全体を網羅する運動へと広がり、平成16年(2004)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されることになったのですが、その大きなきっかけとして南紀熊野体験博が果たした役割を見逃すことはできないでしょう。

紀伊山地の霊場と参詣道 - Wikipedia