生石高原の麓から

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南紀熊野体験博記念植樹 苗木採取ボランティア募集(1998.5)

 「南紀熊野体験博の記録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博(1999.4月~9月)」に関するものを再掲していきます。

 

 今回の記事では、平成10年(1998)5月に行われたプレイベントとしての記念植樹のための「苗木採取ボランティア」の告知を紹介します。

 

 下記の告知文の中でも触れられていますが、南紀熊野体験博では、その中核イベントの一つである「10万人の熊野詣」の参加者に対して、道中で古道の周辺に広葉樹の苗木を植えてもらうこととしました。これは、後に詳しく解説しますが、熊野古道周辺の植生を過去の姿に戻し、森林の多様性を確保するための取り組みとして計画されたものです。その背景には国際的な取り組みである「生物多様性条約」も関係してくるのですが、このあたりは説明を始めると長くなるので、後段で詳述することにします。

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10万人の熊野詣(イメージ)
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 南紀熊野体験博の開会まであと1年を切り、和歌山県ではさまざまなプレイベントが開催されています。今回は、記念植樹のために用いられる苗木の掘り取り作業を手伝っていただくボランティア募集のお知らせです。

 

南紀熊野体験博 10万人の熊野詣記念植樹
苗木採取ボランティア募集


 和歌山県では、平成11年に開催する南紀熊野体験博の中で、テーマイベントの一つ「10万人の熊野詣」参加者に、熊野古道沿いに広葉樹などの苗木を植栽してもらい、森林の多様性を回復させようとの取り組みを進めています。
 植栽に使う苗木は、熊野地域に自生している種類の木々で、和歌山県林木育種場で育てられていますが、種類、本数ともに若干不足しています。
 そのため、県民の皆様の力を借りて苗木を山から採取したいと考えています。
 なお、採取するのは、林道敷きや人工林内の苗木など、やがて刈り取られたり、枯れてしまう苗木達で、今回の計画は、これら消えてしまう苗木に新しい生育場所を確保していくことにもなります。
 ご協力いただける方は、下の連絡先まで御連絡ください。
 一人でも多くの皆さんのご参加をお願いいたします。


1 主 催
和歌山県

 

2 協 力
南紀熊野体験博実行委員会、いちいがしの会

 

3 第1回目
日 時
 平成10年5月31日(日)9時30分~16時
集 合
 和歌山県西牟婁郡日置川町役場(0739-52-2300)
 9時30分
内 容
 森林内に入り、事前に印を付けられた高さ20~30Cm程度の苗木を掘り取り、袋に詰める作業です。小学校高学年程度から作業可能です。
日 程
  9:30        日置川町役場集合、その後現地へ移動
 10:00~15:00  苗木掘り取り作業
 16:00        作業終了

 

4 第2回目
日 時
 平成10年6月14日(日)9時30分~16時
集 合
 和歌山県西牟婁郡大塔村「乙女の湯」(0739-63-0126)
 9時30分
内 容
 第1回と同様
日 程
  9:30        大塔村「乙女の湯」集合、その後現地へ移動
 10:00~15:00  苗木掘り取り作業
 16:00        作業終了

 

5 持ってくるもの
弁当、水筒、軍手、長袖、長ズボン、雨合羽、掘り取り道具(なければ結構です)

 

6 その他
小雨決行です
保険は、あらかじめかけておきます

 

7 問い合わせ先
和歌山県庁森林整備課(担当:岡田)

 

※上記の記事は1998年5月に個人のWebサイトに掲載したものを再掲しました。

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 1970年代以降、自然環境の悪化や人の活動による生態系の破壊などによる野生生物の絶滅が世界中で懸念されるようになってきました。このため、国連等において生物の多様性を保全していくための国際的な枠組みが議論されるようになり、1993年には世界168の国・機関が署名して「生物多様性条約(正式名称は「生物の多様性に関する条約」)」が発効しました。生物の多様性に関する条約 - Wikipedia

 我が国では、この条約に基づいて「生物多様性国家戦略」を平成7年(1995)に策定し、条約の趣旨に沿った国内施策を推進していくことを决定しています。この戦略では、例えば「森林における二次的自然環境の保全」の項において次のように記述するなど、二次林(いわゆる雑木林)の重要性と、これを人の力によって整備・維持していく必要性をうたっています。

森林における二次的自然環境の保全
 森林は、土壌層、草本層、低木層、高木層といった立体的な階層を有し、このような多様な空間に応じた様々な動物の生息の場となっている。特に、伐採後等に自然の復元力により形成された二次林は、森林を構成する植物種自体が豊富で複雑な生態系を有している。
 このため、①人工更新により造成した森林において複数の樹冠層を有する森林を造成す複層林施業、②天然力を活用しつつ保育作業等森林に積極的に人手を加えることによって森林を造成する育成天然林施業、③広葉樹林の造成・整備、④野生生物の生育場所に適した水辺環境の整備、餌木の植栽等、森林の状況に応じ、野生動植物の生息・生育環境の保全・形成等にも配慮した多様な森林の造成・整備を推進する。
 また、人工林について健全な森林を育成するため、保育、間伐等の適切な施業を推進する。

過去の生物多様性国家戦略 生物多様性国家戦略 平成7年10月31日決定 | 生物多様性 -Biodiversity-

 

 この記事が書かれたのは平成10年(1998)のことであり、当時は生物多様性にかかる取組がちょうど大きく動き始めた時代にあたります。このため、南紀熊野体験博のプレイベントにおいても、生物多様性を維持するという観点から、熊野古道沿いの広葉樹林(=「雑木林」化)をすすめる取り組みを行っていたのです。

 現在では「杉の巨木が立ち並ぶ中を進む熊野古道」というイメージが定着してしまっていますが、こうした杉の木は中世以降(多くは明治以降)に植林されたものが大半で、かつて「蟻の熊野詣」と称されるほど多くの人々がこの道を歩いたとされる平安時代には、ここにはほとんど杉の木はありませんでした。

 現在「那智原始林」として保全されている熊野那智大社の社叢は、シイ、カシ類などの常緑広葉樹林となっていますが、本来はこうした植生が紀伊半島南部を代表する森林の姿であり、平安貴族が歩いた時代の熊野古道はこうした常緑広葉樹に囲まれた道だったはずなのです。つまり、今回取り上げた記念植樹の取り組みは、熊野古道周辺の景観を少しでもかつての姿に戻していこうとする活動の一環であったのです。
那智原始林 文化遺産オンライン

 

 今回の苗木採取活動において協力団体として参加している「いちいがしの会」は、紀南地域を拠点として熊野の森を守り、再生するための取り組みを進めている団体です。在野の昆虫学者であった後藤伸氏を初代会長とするこの団体は、今回のイベントのわずか半年前の1997年12月に設立されました。その際に、いわゆる「設立趣意書」にあたるものとして発表された「取り戻そう 熊野の森を」という文章がWebサイトに掲載されていますのでここに引用しておきます。

とり戻そう 豊かな熊野の森を
 その昔、熊野の山々は深い森林につつまれていました。鹿が跳び、リスが走り、蝶が舞い、多くの蛍が輝き、季節を問わずにカビやキノコが生える・・・・。豊かな自然でした。森はまた、大気からの恵みをたくわえ、谷や川の尽きることのない流れをつくり、そこに魚たちがひしめいていたのです。そして、森から流れ出る水は、限りない海の幸をはぐくんできました。人々は森の樹を伐って、家を建て、まきを貯えて燃料とし、鋤や鍬などの農具をつくり、舟と漁具をそろえて生計をたてました。清流は日々の暮らしに汲まれ、田畑を潤したのです。森の中には物語が息づき、夏の山道をたどる人々は緑陰に憩い、年中葉をつけた森の深い緑から、自然の大きさを感じとっていたに違いありません。

 悠久の時の流れの中で、人と森とは、見事なハーモニーを奏でていたのです。そこには音・色・形・香などの織りなす高次元の芸術があり、自然を畏れ敬う宗教が生まれ、生きる根源を思索する哲学が芽生えました。これが熊野信仰の根源でもあったと考えられます。

 生きることの源であったこの森が、時代を重ねて大きく変ぼうしてしまいました。ここ熊野の山々を覆っていた、イチイガシやタブノキで代表される照葉樹林常緑広葉樹林〕の森は、昭和30年代を境にして、スギ・ヒノキの植林に主役の座を奪われたのです。かつて紀伊半島の全域に溢れていた照葉樹林は、もはや点の存在となり、その面影さえ消滅寸前です。複雑で多様を誇った豊富な植生は、わずか20年ほどの間に単純な人工林に変わったのですから、山々に生活していた大きい獣や野鳥から小さな昆虫やくも類まで、すべての動植物は激減しました。それと同時に、「豊富・清冽」そのものだった河川は、旱天が続けば涸れ、大雨があれば洪水をもたらす「荒れ川」に変化しました。今後、急傾斜地や尾根部の植林地では、表土の崩壊が発生すると推察されます。スギ・ヒノキの根が地表近くだけを這うからです。植林木の放任も、これを助長するでしょう。それは土石流となって、下流住民の生命を奪う惨事に直結します。

 わたしたちは、人だけでなく、すべての生き物が関わりあえる本来の自然を取り戻すべき道を模索してきました。その道程の中で、「いちいがしの会」を発足させて、照葉樹林の復活を目的に《木の実を集めて苗を育て樹を植えていく》ことを実行に移しながら、その運動の輪を広げていくことが、もっとも重要かつ唯一の方法であるとの結論に達しました。

 今日の森林破壊が、過去50年の結果であるとすれば、もとの自然を取り戻すためには、その5倍も10倍もの年月がかかるかもしれません。しかし、今、取り組まねば、自然の回復は、もはや夢に終わるでしょう。私たちと手を取り合って、多種多様な多くの樹々を育て、西南日本の自然の原点といわれる《熊野の森》を復権させる人の輪を、少しずつでも広げていきませんか。21世紀以降に続く私たち子々孫々へのメッセージとして・・・・。

                           1997年12月1日

熊野の森ネットワーク・いちいがしの会

とり戻そう 豊かな熊野の森を : いちいがしの会

 

 後藤伸氏は平成15年(2003)に逝去されましたが、「いちいがしの会」はその後も精力的に活動を続けており、その状況は随時ブログで告知されていますので、興味のある方はこちらをご参照ください。
いちいがしの会のブログ