生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

03復刻&解説「紀州 民話の旅」-16有田川町

井戸杉 ~清水町(現有田川町)清水~

江戸時代、幹まわりが10メートルもある大杉があり、そのそばに「井戸の唐石」という、大きな石があった。ある夜、その石が掘り返されていたので調べると、石の下から大日如来の石像が出てきた。早速、安置したが、その跡が大きな井戸になり、どんどん水がわ…

蚕の神さま ~清水町(現有田川町)沼~

ひと昔前まで、紀州でも有数の養蚕地だったらしく「蚕神の碑」が残っている。いまでは養蚕農家も減って、碑のことを知る人も少なくなった。

生石高原の山焼き

前項「生石山の弘法水」において生石高原のことを紹介したが、生石ヶ峰の山頂付近に広がるこの高原は近畿地方有数のススキ草原として知られており、この草原を保全するために、地元自治体(紀美野町、有田川町)と生石高原観光協会の主催により毎年3月に「山…

生石山の弘法水 ~金屋町(現有田川町)生石~

弘法大師が、聖地を求めてあちこちを訪ね歩いていたときのこと。やがて生石山(おいしやま)にたどり着いたが、山頂からの景色は素晴らしく極楽浄土の姿だった。そこで、腰の矢立をとって一筆したためようと、足元の土を指先で掘り、清水を求めたとか。

姥ケ滝 ~金屋町(現有田川町)修理川~

有田川の支流、修理川を上っていったところに、ひとつの滝がある。それほど大きな滝ではないが、道路からも見渡せる。かつて、ここで行をする人も多かったが、いまではもう、そんな風景は見られなくなってしまった。

守が滝 ~金屋町(現有田川町)歓喜寺~

町全体が山という感じの金屋には、滝が多く、それだけに滝にまつわる話も多い。

ゆかんどの森 ~吉備町(有田川町)吉見~

「立ち入り禁止の森」の意味。里人が聖地としてあがめたところから、こんな名前がついたものだ。

姥が滝と隠し田~吉備町(現有田川町)田角~

田角の集落のすぐ上。高さは、ざっと15メートル、幅は6メートルもあろうか。周囲には木々が生い茂り、奇岩に水しぶきがぶつかるさまは雄大。だがこの滝は、重い年貢に苦しんだ農民の悲劇を語りかける。

賢の童堂 ~吉備町(現有田川町)賢~

賢(かしこ)から田角(たずみ)への上り口に、童子の地蔵さんをまつる小さなお堂がある。人を疑うことの罪の大きさを諭すお堂だ。

宗祗法師 ~吉備町(現有田川町)下津野~

和歌で有名な宗祗法師は、室町時代の応永28年(1421)、藤並荘(現在の吉備町)下津野一ツ松で生まれた。父親は伎楽の師匠で、宗祗にも継がせようとしたが、宗祗はこれを嫌い、剃髪して僧となり仏道を修業、のち和歌や連歌に心を寄せた。