生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

旧南紀白浜空港跡地と航空工学系大学(白浜町)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 今回は、白浜町南紀白浜空港の隣接地にある旧空港の跡地に、もしかすると航空工学系の大学が開設されていたかもしれない、という話を紹介します。このプロジェクトは県から正式に発表されていたもので、本当に実現の一歩手前まで進んでいたのですが、残念ながら突然雲散霧消することになってしまいました。それと入れ替わるように浮上してきたプロジェクトが前回紹介した「和歌山県立情報交流センター Big・U」ということで、ある意味、この地域全体が県の施策と知事の交代に翻弄されたと言うべきなのかもしれません。


 上記の画像は goolemap による現在の南紀白浜空港の航空写真ですが、「南紀白浜空港」という表示がある長い滑走路の左側(西側)にもうひとつ滑走路らしい施設があるのがわかると思います。これが現在の空港が開港するまで使用されていた南紀白浜空港の滑走路です。冒頭で紹介した航空工学系大学は、この旧滑走路跡地の有効活用を図る事業として着々と準備が進められてきました。


 わが国では、戦後の復興が軌道に乗った1950年代から新婚旅行が一般庶民の間で定着するようになり、やがて「新婚旅行ブーム」が訪れました。初期には1~2泊の短期旅行が中心だったようですが、1960年代になると3泊以上の旅行が一般的になり、旅行先も多様化していきます。神田孝治氏は「南紀白浜温泉の形成過程と他所イメージの関係性 近代期における観光空間の生産についての省察(人文地理学会「人文地理」53巻 (2001) 5号)」において次のように記載しており、この当時、南紀白浜が全国トップクラスの人気旅行先であったことを示しています。

(前略)
昭和45(1970)年の白浜案内記事では「近年はすっかり健全ムードを打ち出し新婚旅行のメッカと言われるようになった」と,白浜が新婚旅行の巡礼地へと変貌したことが指摘されている。
 この新婚旅行客増加の要因として,昭和34(1959)年に紀伊半島の鉄道一周を可能とする紀勢本線全通が成し遂げられ,東京や名古屋からの旅客が大幅に増加する「南紀ブーム」が到来したことを挙げることができる。「新婚旅行の新しい傾向と人気プラン」と題された昭和38(1963)年の雑誌『』掲載の記事では,「ここ数年新婚旅行地として人気のあるところといえば,南紀・九州・伊豆の順・・なかでも南紀は圧倒的な人気」と記述され,関東圏を中心に南紀が日本における新婚旅行巡礼地の中心的存在となったことが指摘されている。そのため南紀白浜温泉という「南紀」を冠した呼び名も,この南紀ブームを背景に千葉の白浜との差別化を図ることも含めて,この頃定着したものと考えられる。
 またこの「南紀ブーム」においても,「『行った』人からみた南紀訪問地ベスト5」を論じた昭和37(1962)年の記事では,渋谷,東京の交通公社営業所,大阪の3ケ所すべてで,南紀白浜が1番人気であったことが発表されている。

南紀白浜温泉の形成過程と他所イメージの関係性

 

 このように首都圏においても絶大な人気を誇った南紀白浜ですが、なんといってもその一番の泣き所は交通の不便さでした。上記引用文では紀伊半島を一周する紀勢本線の全通がブームのきっかけであったと記されていますが、それでも首都圏からの道のりは遥かに遠かったのです。
 こうした交通の利便性を一気に引き上げるために建設されたのが(旧)南紀白浜空港でした。昭和43年(1968)3月に開港したこの空港によって南紀白浜は東京羽田からわずか1時間40分で結ばれることとなり、南紀白浜の人気と首都圏における知名度をさらに高めることとなったのです。

(旧)南紀白浜空港の開港(「県民の友」昭和43年4月号)
広報紙 | 和歌山

 この空港を発着していた飛行機の主力は昭和40年(1965)に量産機の納入が始まったばかりの国産旅客機YS-11※1でした。我が国の実情に合わせて開発されたこの機体は1200mという短い滑走路でも離発着が可能で、信頼性も高かった※2ことから、長きにわたって各地の国内航空路線の主役となっていました。
※1 YS-11 - Wikipedia
※2 上記Wikipediaによれば、就航初期にはトラブルが多発したものの、昭和43年時点では定時出発率99%という高い信頼性を示したとされる。
 

 しかしながら、南紀白浜空港に就航していたYS-11は座席数がわずか64席と少なく、高台にあった(旧)南紀白浜空港ではプロペラ機が苦手とする強風の吹く日が多いことなど、やがて様々な課題が浮かび上がってくることとなりました。そこで和歌山県では昭和50年代にはいるとジェット機が就航可能な新たな空港の整備について検討を始めることとしました。こうした経緯について、和歌山県土木部港湾課長の中村豊(当時)は「南紀白浜空港拡張計画と地元条件の整備(国際航空ニュース社「AIRPORT REVIEW」1987年60号)」において次のように記しています。

(前略)
(3)ジェット化の必要性
 YS-11型機は昭和37年から製造が中止されている(筆者注:YS-11型機の生産終了は正しくは昭和47年度末(昭和48年3月)である。現在約70機が使用されているが,プロペラ機であるため高速性や輸送力に限界があり、また機材の老朽化も進んでいるため, 昭和60年代後半にも退役することが予想される。
 このような状況等を踏まえて和歌山県では昭和52年10月に策定された「和歌山県長期総合福祉構想」において「YS-11型機以後のジェット化対策について今後航空機の開発や需要等の動向に対応した空港整備を検討していく・・・・・・。」ことを打出した。
(略)
3.ジェット空港計画について
(1)位置の決定
 ジェット空港の位置は昭和54年から調査を開始し,和歌山県の内部において23候補地を決め,自然条件,運航条件,建設条件等について比較検討した。その結果,最終候補地を4カ所※3にしぼった段階で専門家からなる南紀新空港建設審議会に諮問した。その後昭和60年11月に審議会から現在の空港附近が概ね妥当であるとの答申を得て地元の協力条件等の検討を行った結果, 昭和61年1月に「現空港附近」に決定した。
※3 4か所の候補地は「南部(みなべ)西」「芳養湾」「白浜南」「現空港付近」であった。
南紀白浜空港拡張計画と地元条件の整備-AirportReview

 

 こうして平成8年(1996)3月に1800mの滑走路(後に2000mへ延長)を備えてジェット機の離着陸に対応できるようになった(新)南紀白浜空港が開港し、(旧)南紀白浜空港はその役割を終えました。

(新)南紀白浜空港の開港(「県民の友」 平成8年3月号)
広報紙 | 和歌山県

 旧空港の跡地については、紀南地方の活性化につながるような活用ができるよう、和歌山県や地元の白浜町などが様々な検討を行っていました※4が、非常に細長いという特殊な土地の形状や、空港に隣接するために高い建築物や構築物を建てることができないという利用方法の制約などがあり、なかなか決定的なプランを策定することができずにいました。
※4 かなり真剣に検討されたプランのひとつに、ドラッグレース(自動車やオートバイが、静止状態からスタートして1/4マイル(400m)を走りきるまでのタイムを競う競技。日本ではゼロヨン(0-400m)とも呼ばれる)を行うイベント会場とする構想があった。フジテレビが参画するという情報もあり、地元住民らが富士スピードウェイで実際のレースを見学したこともあったが、騒音問題などの懸念が拭い去れずやがて立ち消えになった。

 

 そんな中、西口勇知事(当時)から、「(旧)南紀白浜空港跡地に航空工学系大学を設置する」という構想が突然発表されました。新空港開港から約2年半後の平成10年(1998)9月議会の冒頭で、知事から次のような発言がなされたのです。

○知事(西口 勇君)
 平成10年9月定例会にご参集をいただき、厚くお礼を申し上げます。
 ただいま上程されました諸議案について提案理由をご説明するに先立ち、県政の最近の動きについてご報告申し上げます。
(略)
 次に、南紀白浜空港の跡地利用についてであります。
 この問題につきましては、これまで新南紀白浜空港の活用と県全体の活性化を図るという視点で種々検討を進めてまいりましたが、その検討対象の一つとして高等教育機関の立地の可能性についても調査研究を行ってきたところであります。
 そうした中、先般、学校法人日本航空学園から、我が国の航空宇宙産業界における指導的、中核的役割を果たし得る人材の育成を目指した航空工学系大学の設置構想についての申し入れがあり、現在、白浜町及び関係機関との協議を進めているところであります。今後、この構想の具体化に向けさらに詳細な調査研究を行うとともに、関係者との協議をより一層進めてまいりたいと考えております。

平成10年9月 和歌山県議会定例会会議録 第1号(全文) | 和歌山県議会

 さらに、同議会の一般質問において、知事小川武県議会議員(当時)の質問に答える形で大学設置構想について次のように語っています。

 南紀白浜空港跡地への航空工学系大学の立地構想については、本議会の冒頭に申し上げたところでありますけれども、県、白浜町、そして日本航空学園三者が協力して新たな学校法人を設立し、航空機の設計・開発、航空運輸システムの計画・運用に係る最先端の技術、知識を集約した国際的にも誇り得る大学を開設しようとするものでございます。
 この構想の実現による本県にとっての効果といたしましては、まず県内の大学の収容力の向上、とりわけ理工系大学への進学機会をふやすことになるわけであります。また、地域産業界への高度な技術や知識の還元によりまして地域産業の発展につながるものと期待をしてございます。
 次に、施設建設に伴う経済波及効果はもちろんでありますけれども、多くの教職員や学生が居住すること、また大学の運営管理に伴う雇用機会や消費需要が生まれることなどによる継続的な経済波及効果があるものと考えてございます。また、研究者や民間企業関係者、学生や学生の保護者、航空博物館への来訪者など、県外や海外との交流人口の増加、それに伴う新南紀白浜空港の利用増進、地域の知名度の向上、こういったことが期待できるものと考えております。こうした継続的な地域の活性化につながる本構想の実現のためには多くの課題が残されてございまして、これらを克服していく必要がございますけれども、関係諸機関との協議を進めながら積極的に取り組んでまいりたいと考えてございます。
平成10年9月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(小川 武議員の質疑及び一般質問) | 和歌山県議会

 

 この時点では、新たな大学の開設手法は「県、白浜町、そして日本航空学園三者が協力して新たな学校法人を設立」するものであると説明されています。
 ここに登場してきた「学校法人 日本航空学園」は山梨県北巨摩郡双葉町(現在の甲斐市に本部を置く学校法人で、この時点では山梨県日本航空大学校専修学校専門課程)日本航空専門学校各種学校日本航空高等学校を、北海道千歳市日本航空学園千歳校専修学校専門課程)をそれぞれ開設していました(航空会社の日本航空JAL)とは無関係)。これらの学校の更に上位にあたる存在として高等教育機関(大学)の開設をめざす日本航空学園と、敷地内に滑走路を有するという(旧)白浜空港跡地の有効活用を模索していた和歌山県白浜町の思惑がちょうど一致したのがこの「航空工学系大学」の開設構想であったわけです。
 また、この年(平成10年)は上述の日本航空高等学校高校野球で春・夏連続の甲子園出場(ともに初出場)を果たしたことでも話題になりました。この年は松坂大輔を擁する横浜高校が春・夏連覇を遂げて高校野球が大きな注目を集めていたことから、「JALではない日本航空学園」が一躍知名度を高めた年であったと言えるでしょう。
松坂大輔が甲子園を席巻して、横浜が春夏連覇を果たした世紀末の1998年 | 高校野球ドットコム

 

 このように、当初この計画は「日本航空学園」が中核的な役割を果たすことを前提として進められたようなのですが、その翌年に和歌山県が発表した事業計画から同学園の名称はきれいに外されており、大学の開校に要する経費は県が負担し、運営は県等が出資して新設する学校法人が担うという「公設民営方式」が採用されることとなりました。この背景にはその前年(1997)に開学した高知工科大学が「公設民営方式」を採用して大きな注目を集めていたことが少なからず影響していたことは明白でしょう高知工科大学は2009年4月に通常の公立大学公立大学法人)へ移行した。)
 こうした経緯について、玉置公良県議(当時)は翌平成11年(1999)6月の定例県議会本会議で次のような質疑を行っています。

玉置公良
(略)
 続きまして、南紀白浜空港跡地への航空工学系大学の立地構想について質問いたします。
 本構想については、昨年の9月定例議会において初めて西口知事から明らかにされまして、「学校法人日本航空学園から、我が国の航空宇宙産業界における指導的、中核的役割を果たし得る人材の育成を目指した航空工学系大学の設置構想についての申し入れがあり、現在、白浜町及び関係機関との協議を進めているところであります」、また、「南紀白浜空港跡地への航空工学系大学の立地構想については、県、白浜町、そして日本航空学園三者が協力して新たな学校法人を設立し、航空機の設計・開発、航空運輸システムの計画・運用に係る最先端の技術、知識を集約した国際的にも誇り得る大学を開設しようとするものでございます」との議会答弁があり、マスコミにも大きく取り上げられたところでありました。地元出身の議員として、空港跡地利用について平成7年6月定例議会及び平成10年9月定例議会と積極的に政策提案をし、取り組んできた者として、この構想については突然発表され、中身もほとんど知らされていなかったことに怒りを持ったのも事実であります。しかし、ここまで発表するということは、当局としては十分な内部での協議や詰めをしてきたものであろう、西口知事の姿勢を理解し、これからはこの構想について前向きな姿勢で是々非々の立場で意見を言っていこうと自分自身に言い聞かせ、今日に至りました。しかし、その後も何ら進展や状況などの説明も、残念ながらありませんでした。そして、去る6月7日に学識経験者による航空工学系大学基本計画検討委員会が設置され、記者発表がされた中で、昨年の9月定例議会で発言をされた日本航空学園は参画しないことを初めて知りました。地元の議員として、なぜなのか、なぜ経過を伝えなかったのか、新聞紙上でその理由を初めて知るということであり、当局のこの構想にかける熱意や二回にわたる不誠実な対応に疑問を感じ、あえて今回議場に立ったものであります。
(略)
○企画部長(安居 要君)
 南紀白浜空港跡地への航空工学系大学の立地に関するご質問にお答えいたします。
 まず最初に、県議会への対応についてでございます。
 議員ご指摘のように、県民に開かれた形で行政を進めていくことが極めて重要であります。従前の対応について、そうした面で不十分であったとのご指摘を謙虚に受けとめまして、今後の対応については基本計画検討委員会を原則公開とし、提出資料や検討内容等についても情報提供を積極的に行っていくこととしてございます。
 次に、学校法人日本航空学園との協力関係の解消の理由についてお答えいたします。
 同学園とは、昨年9月に白浜町を含めた三者の実務担当者レベルでのワーキンググループを設置し、共同で調査研究を行ったところです。これとは別に、同学園が本構想の事業化に際して運営主体として参画したいとの意向を持っていたため、その点についても検討協議を行ってきたところです。その協議の結果、事業化の手法や資金等の面において同学園が運営主体として参加・協力することは困難との判断に至りました。このため、検討委員会への参画、その後の事業化等について協力関係を継続しないということで両者が合意したところでございます。
 次に、基本計画検討委員会の人選理由及び委員会の役割についてお答えいたします。
 基本計画検討委員会は、基本構想についてさらに精緻な客観的検討を行い、その検討結果を基本計画案として取りまとめ、知事に報告することを目的として設置したものです。
 基本計画検討委員会の委員の人選につきましては、ただいま申し上げました委員会の目的を実質的に果たしていただくために、大学、学会、航空宇宙産業界、関係省庁、地域産業界、地元自治体等の専門家の方々にお願いしたところです。
 次に、大学の設立方式についてでございます。
 現段階では公設私学法人方式が最も有望であると考えておりますが、さらに検討を進めていきたいと考えてございます。
 次に、新たな私学などの支援が得られるかとのご質問でございますが、既に近畿大学和歌山大学日本航空宇宙学会、航空宇宙工業界、航空運輸業界、関係省庁等のご支援、ご協力をいただいており、大学設置審査基準に基づく専任教員の確保、カリキュラムの編成、大学の開設・運営、就職先の確保、共同計画の実施等については十分可能であると考えてございます。
 次に、民間の支援は得られるのかとのご質問でございます。
 民間企業等からの財政的支援につきまして、本来、優秀な人材の確保や共同研究、受託研究等による研究成果の産業化など、何らかの形で民間企業に利益還元が行われるべきものだと考えております。このため、事業化が決まった場合には、教育研究支援や奨学制度の整備、共同研究の実施等について協力を求めていきたいと考えてございます。
 次に事業採算性の確保に関する見通しにつきましては、これまでの調査研究において事業収支に関する厳しい試算を行っておりますが、今後さらに、カリキュラム案に基づく人員の具体的配置、施設建設費及び設備経費の積み上げ等、精緻な検討を行う必要があると考えております。
 次に、赤字となった場合の県の持ち出しについてのご質問でございますが、公設私学法人方式や誘致方式の場合には、原則として学校法人が自立的に対処すべきものであると考えてございます。
平成11年6月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(玉置公良議員の質疑及び一般質問) | 和歌山県議会

 

 年が明けて平成12年2月になるとかなり詳細な計画がまとまってきたようで、江上柳助県議(当時)が次のような質疑を行っています。

 昨年の12月、旧南紀白浜空港跡地を利用した大学の設置を検討してきた航空工学系大学基本計画検討委員会は、西口知事に報告書を提出しました。これを受けまして知事は、本年2月4日、和歌山工科大学-仮称でございますが-計画について事業化を進めることを決断されました。
 計画案では、名称は和歌山工科大学とし、航空機の開発・研究技術などを学ぶ航空機工学コースと運航管理などを学ぶ日本初の航空運用システムコースを設ける、大学設立方式は公設私学法人方式で、県が準備財団を設立して開設経費146億円を寄附、財団が学校法人を設立して大学を運営する、また、地域経済波及効果は大学建設時に約220億円、開設後も29億円の経済波及効果が見込まれるとしています。
(略)
 次に、大学運営と工科大学の学生の確保についてであります。
 航空工学系学科志願状況を見ますと、入学定員は名古屋大学で180人、東京科学技術大学で45人、大阪府立大学で30人、東海大学で80人、日本大学で120人、日本文理大学で60人、合計で515人で、競争倍率も平均で14.6倍と高いわけでありますが、これは入学定員が少ない関係で競争倍率が高くなっていると思われます。果たして、和歌山工科大学で230人の定員を設定して、少子化の傾向で学生数が減る中、一方で若者の都会志向という状況の中で学生が集まるのかどうか、甚だ疑問であります。航空工学系大学基本計画検討委員会の会議録を見ましても、「要するに、航空工学を学べるような能力の学生はそんなにいないんですよ。それで、新たにここへ230人の定員を設定して本当に集まるのかしらと実は心配しながら聞いていたんですが、それはどんな感じなんでしょうか」との厳しい指摘、質問が検討委員会のメンバーからも出されております。
 以上のことから、企画部長にお尋ねいたします。
 第一点は、当初の計画の段階では200人であった定員をなぜ230人と増員されたのか。また学生の確保は本当に大丈夫なのか。
 第二点は、県内の入学者をどのくらい見込み、県内及び県外指定校推薦入学の割合をどのようにされるのか。
 第三点は、入学金、授業料は幾らで、どのような就学支援があるのか。
 第四点は、大学開設後の大学運営についてであります。少子化の影響で経営が傾いたら補助するのか、大学経営が赤字になったら公費で補てんするのかという問題であります。赤字補てんのための財政支援は、いかなる名目を問わず避けるべきだと考えます。独立採算で運営する体制をどのように考えているのか。
 以上、四点についてお答えください。
 次に、工科大学卒業者の就職についてであります。就職の問題は入学志願者との関係で重要であります。
 平成11年3月、航空関係学科卒業・修了者の就職状況調査によりますと、大学卒業者の38%、約4割が大学院に進んでおります。この数字は国公立、私立も含むものでありますが、私立だけを見ましても11%、しかも27.7%が就職未定となっています。合計しますと38.7%、すなわち約4割の卒業者が大学院に進学するか就職が決まらない、こういう状況であります。
 また、本県で実施された和歌山県外企業アンケートの新大学の設置に対する意見要望によりますと、採用については、企業として実績のない大学から採用は難しいとの極めて厳しい回答が出されております。航空工学系大学基本計画検討委員会の議事録を見ましても、「和歌山大学システム工学部は、ことしの最初の就職で県内からの求人は非常に少なかった。学生さんも余り行きたがらないし、県内で見つけるのは非常に厳しかった。工科大学の学生さんが就職戦線で戦うときは、一般の機械のエンジニアと競争するという形になると思う。航空のスペシャリティーというものは県内企業ではほとんど役に立たない。県外でもかなり厳しいだろうという感じがいたします」との指摘が検討委員会のメンバーから出されております。
 工科大学卒業者の就職について県当局はどのように考えておられるのか、お答えください。
 次に、工科大学新設について最後の質問を、教育委員会との関係でお尋ねいたします。
 工科大学の設置について、私は教育委員会の対応が少し遅過ぎるのではないかと思っております。昨年3月、旧南紀白浜空港跡地への高等教育機関等の整備に関する基本的な考え方もまとめられております。本県には、高等教育機関である4年制の大学は国立和歌山大学と県立医科大学高野山大学の三校と近畿大学生物理工学部の一学部と、極めて少ない状況にあり、そのためか、高校卒業生の県外流出を招く結果となり、県外大学への進学者は全国ワースト一位であります。航空工学系大学基本計画の検討が県企画部でなされているならば、和歌山県内から一人でも多くの優秀な学生を県が設置する工科大学に送り込むという意気込みがあってしかるべきだと私は思います。しかも、工科大学は平成15年春の開学となっておりますので、最初の入学者は平成12年度、本年4月からの3か年の高等学校教育で対応しなければなりません。特に、和歌山工業紀北工業御坊商工田辺工業などの工業系高等学校で、総合学科への対応を初め、工科系大学で絶対必要とされる英語や物理、数学などに比重を置いたカリキュラムを組んだ教育を考えなければなりません。普通科高等学校においても同じであります。そうしなければ、工業系高等学校からの工科大学への進学の機会を閉ざすことにもなりかねず、また、せっかくの県内指定校推薦枠によって工科大学のレベル低下につながるおそれがあります。
 県教育委員会は、工科大学の設置構想に対して今までどのような準備をし、平成12年度からの取り組みとして新年度予算に反映されたのか、また今後どのように取り組むお考えか、お聞かせください。

○企画部長(安居 要君)
 和歌山工科大学についてのご質問にお答えいたします。
 まず入学定員につきましては、独立採算が可能かどうかの検討を行い、入学定員数が160名以上であれば自立的経営が可能であるとの結論を得ました。さらに、入学定員数に伴って段階的に増収する収支についての試算を行い、学生数ができるだけ少なく、同時に最も採算性の高い入学定員数を検討した結果、入学定員を230名としたものでございます。
 次に、学生の確保につきましては、競合する大学が少なく、進学を希望する者が極めて多いなど、他の学部学科に比べて優位でありますが、今後、さまざまな工夫、努力を行い、学生の確保に努めていく必要があると考えています。また、県内外の高校からの推薦入学枠につきましては、最大で入学定員の4割程度としたいと考えております。
 なお、一般、推薦を合わせての県内からの入学者の割合につきましては、県内の高等学校など教育関係機関と十分な協議、協力を行いまして、今後、具体的な目標数値を定めるなど、できる限り多くの方が入学できるよう取り組んでまいりたいと考えております。
 次に、計画上、学生納付金につきましては、全国の類似規模の工学系私立大学の平成11年度の平均値を参考にしまして、入学金は28万円、授業料は92万円と設定しております。今後、国立大学の独立法人化により国公立大学と私立大学との教育費の格差はかなり縮小するものと見込まれますが、学生の就学を支援するため、大学独自の奨学金制度の創設を行う予定です。
 次に、大学の経常的収支が赤字になった場合の県の対応につきましては、法制度上県に助成義務はなく、また大学の自立的経営を確立するためにも、運営収支の赤字補てんを目的とする財政的支援は行うべきではないと考えております。
 次に、卒業者の就職の見通しについてでございます。
 ご質問にございましたように、航空工学系学科の学部卒業者の就職、進学の状況を見ますと、大学院への進学率が極めて高くなっております。特に国公立大学では大学院修士課程を修了後、就職する学生が大半です。このため、大学院の開設は今回の計画におきましても必要不可欠であろうと考えております。このため、学校法人設立後、当該法人において早急に大学院の開設に向けての取り組みを進めることが重要だと考えております。
 また、航空宇宙産業、自動車工業などの機械産業、電気機器産業、情報産業等への厳しい就職戦線に本大学が新たに参入していくことになるわけですから、企業との緊密な信頼関係を築くため、企業からの教職員や役員の確保、共同研究などの産学交流事業の具体化などの企業との関係づくり、ネットワークづくりに今後準備財団の段階から大学が全力で取り組んでいかなければならないと考えてございます。
 また、県内の企業への就職につきましては、機械金属や材料加工などの分野への就職が期待できるものと考えておりますが、やはり企業との有機的な信頼関係づくりがその前提となります。今後、長期的な視点から、県内企業との交流連携事業の具体化やその推進に大学が努力していくことが必要であると考えてございます。
(略)
○教育長(小関洋治君)
 和歌山工科大学の新設と教育委員会の対応についてお答えいたします。
 本県高校生が県外の大学へ進学する割合が高い中、県内での大学の設立、とりわけ工学系の大学の新設は本県教育にとって大いに歓迎すべきものであると受けとめております。
 もとより理数教育の振興は極めて大切であることから、本県ではこれまで理数系の専門学科を8校に設置してまいりました。また、大きな成果を上げている総合学科については、今後、紀南地方を視野に入れて設置を検討してまいりたいと考えております。
 次に、工業高校からの進学につきましては、大学受験に対応できるカリキュラムを工夫するとともに、放課後の補習や個別指導等を行っております。このたびの工科大学設置により工業高校からの進学希望者の増加傾向が一層強くなることが予想されることから、専門学科としての特色を生かしながら、数学、理科、英語等の学習を一層充実させる必要があります。
 こうしたことを踏まえ、今後、理数系及び工業系の学科はもとより、総合学科普通科等においても教育課程の一層の工夫、改善を進めるとともに、学科の改編についても取り組みを進めてまいります。また、県立学校長会議や進路指導部長会議等において、目的意識の高い生徒が和歌山工科大学への入学を目指すよう、進学指導の一層の充実に努めてまいる所存であります。
平成12年2月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(江上柳助議員の質疑及び一般質問) | 和歌山県議会

 

 こうした議論を経て、平成12年(2000)夏には開設計画の大要が決定したようです。

 和歌山県が発行する広報紙「県民の友」の平成12年6月号には次のような記事が掲載されています。

広報紙「県民の友」

 また、同年7月25日には和歌山県の工科系大学整備室長(当時)金井甲氏が関西空港調査会関西空港部会で次のような内容の講演を行い、これまでの経緯と今後の事業計画を詳細に解説しています。

講演録
第261回 関西空港部会
和歌山工科大学整備計画について
金井甲和歌山県企画部企画総務課工科系大学整備室室長)
とき 平成12年7月25日(火)
ところ ホテル日航大阪 7階 フォンタナ

 

はじめに
 きょうは、和歌山工科大学の整備計画の概要について、宣伝を兼ねましてお話しさせていただきたいと考えております。
 「和歌山工科大学とは何か?」と感じておられる方も多いのではないかと思います。私ども、和歌山県の人間にとってみれば、この工科大学は非常に大きなプロジェクトでもありますが、きょう、ここにご参加いただいている方にはあまり馴染みのない部分もあるかと思いますので、具体的な経緯からお話しさせていただきます。
 今、南紀白浜空港があることは、皆さまもご存じだと思います。この空港は平成8年に、旧滑走路の隣に新滑走路をつくり替えたという経緯があります。旧滑走路は非常に短くてジェット機が飛べなかったのですが、平成8年に新しい南紀白浜空港を開港してジェット化され、旧空港の跡地が残りました。この跡地をどうするかということで、新しい空港の計画が決まってから県の中でもいろいろ検討してまいりました。
 どういう使い方をするかということですが、空港という細長い用地であることと、白浜というリゾート地に位置していることを勘案し、さらに新しい空港が隣にあるという立地特性も生かしつつ、有識者の方々にいろいろお話をお伺いしたりして検討を続けてまいりました。そして最終的には、恒久的な利用をということとなりました。
 では、恒久的な利用方法は何かということをいろいろ検討し、最後まで残ったのは、滑走路を撤去し、その土地を使って何かをするということです。たとえば公園的なものを考えていくことが、1つの案として出ました。もう1つは、新しい空港の隣にできるので、航空関連のものができないか、とくに、大学等の高等教育機関や研究施設などができないか。大まかに分けて、こういう2つの内容で検討されてきました。
 具体的な話になった時に、とくに私ども和歌山県の行政課題として、大学収容率が平成11年度で15%ぐらいで、全国最下位という事情がありました。大学が少なく、要は県内の若者が流出していくという事情がありましたので、和歌山の21世紀を担う人づくりというのが大きな課題としてあったわけです。そういう観点からも、集客施設的な公園よりは、人が残るような形とか人材を育成できる、さらに言えば産業の振興ができるような内容、すなわち航空関連の学校を立地させるほうがいいだろうということで、具体的な検討に入ったわけです。
 昨年度、基本計画を検討する委員会を県として設置し、具体的な中身を検討してきました。そして最終的に、本年2月に事業化を決定し、「和歌山工科大学」という大学をつくることに決定したわけです。
 以上のような経緯がございまして、この和歌山工科大学の整備計画ができているのですが、では具体的にどういうものかという点をご説明したいと思います。

(以下略)

1.事業スケジュール(予定)
  平成12年度 大学設立準備財団の設立
        用地造成事業
        教職員の確保
  平成13年度 施設整備事業開始
  平成14年度 大学開設認可申請
        学校法人設立
  平成15年度 大学開学(研究所含む)
        ・・・大学院は19年度開設予定

2.総事業費(予定)
  概算額 (開設準備経費含む):144億円(うち一般財源62億円)
  平成12年度当初予算額 15億円(うち一般財源15億円)
  債務負担行為(13~16) 129億円(うち一般財源47億円)

3.大学の概要(予定)
  大学の名称:和歌山工科大学
  開設学部・学科:工学部航空宇宙システム工学科
  開設コース:航空工学コース、航空運用システムコース(仮称)
  入学定員:230名(総定員:920名)
  教員数:専任教員31名、助手2名、非常勤講師74名
  職員数:29名
  校地面積:約15ha、施設延床面積:約22,000㎡
  開設手法:公設私学法人方式(県 → 準備財団 → 学校法人)

(以下略)

新空港レビュー : 関西空港部会報 (262) - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


 このようにして着々と準備を積み重ねてきた和歌山工科大学ですが、上記の講演が行われる直前の7月13日、この事業を先頭に立って率いていた西口勇知事(当時)が突然健康上の理由により辞任してしまいました。
 その後に行われた知事選挙の結果、新しく和歌山県知事に就任したのは前大阪府副知事(元和歌山県総務部長)木村良樹氏でした。48歳で当時の全国の知事の中では最年少であった木村氏は後に「改革派知事」の旗頭と呼ばれるようになるのですが、その手始めとして就任直後の県議会(平成12年9月議会)において突然和歌山工科大学開設事業を凍結するという発表を行い、県内に大激震を走らせました。

 

○知事(木村良樹君)

 議長のお許しをいただきましたので、ここで発言をさせていただきたいと存じます。
 私は、本県の財政状況が大変厳しいこと、また喫緊に解決しなければならない懸案が山積していることを改めて強く感じているところでございます。これからの県政は、時代潮流をしっかりととらえ、これにマッチした思い切った政策の転換を図る必要があると考えております。このため、既存のすべての事業について聖域を設けることなく見直しをしなければならないと考えております。
 和歌山工科大学整備事業につきましても、その必要性を否定するものではございませんが、この際見直しをすることとし、当面の事業執行を凍結したいと存じます。
 まことにつらい思いではございますが、何とぞ議員各位を初め関係各位のご理解を賜りますよう、心からお願い申し上げる次第でございます。
平成12年9月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(全文) | 和歌山県議会

 

 ここでは「当面の事業執行を凍結」と語られていますが、これは事実上の「事業中止宣言」であると多くの人に受け止められました。そして、この時点で既に進行中であった教員の選考や大学設立準備財団職員の採用は急遽中止されてしまうことになりました。この年の2月に大学の収支見通しや学生確保などについて詳細な質疑を行った江上県議は同年12月の県議会本会議に再び登壇し、準備財団の職員として採用が内定していた13人の処遇について詳しい質問を行っています。

○江上柳助君
 次に、和歌山工科大学の凍結への対応についてお尋ねいたします。
 木村知事は、10月2日、和歌山工科大学の設立事業を凍結したいと、事実上の中止宣言をされました。知事が凍結を決断するに至った理由は、一、少子化で学生確保が困難になる、二、学生が白浜まで来るのか、三、採算がとれず県財政圧迫のリスクがあるというものでありました。
 私は、本年2月定例会の一般質問で、工科大学の新設について質問いたしました。質問の内容は、航空工科大学基本検討委員会の会議録を通して、大学構想の慎重論に対して県民の理解と協力をどのように得ようとされるのか、開設経費約144億円の県財政への影響、大学運営と学生確保の問題、卒業者の就職見通しや教育委員会の対応についてでありました。二回目の質問で私は、教育委員会の対応や少子化での学生確保の問題、大学運営などに多くの課題があるので、できるものなら開学を一年ずらして全庁的に万全の体制で取り組むべきだと提案をいたしました。県当局は、もっと議会での議論に耳を傾けるべきであったと思います。議論を尽くし、大学設立に慎重であったならば、和歌山工科大学設立準備財団職員の採用試験合格者の採用取りやめ問題などの混乱は回避できたのではないかと考えます。私も、工科大学の新設について本議場で質問をした一人として、返す返す残念でなりません。
 本定例会に、和歌山工科大学設立準備財団職員採用予定者13名を相手として解決金額確定にかかわる調停の申し立てを行うため、議会の議決を求めるための議案第176号を提出されています。準備財団職員採用試験の合格者13名は、競争率26倍という難関を突破された優秀な方々であります。準備財団は設立されておりませんので、採用試験合格者の採用取りやめは、法的には問題はないと思います。しかしながら、道義的責任は十分にあると思います。
 県当局は、準備財団職員採用予定者並びに教員採用予定者に誠意を持って話し合い、対応すべきだと考えております。採用予定者十三名から損害賠償の訴えがない中で、本定例会に調停の申し立てについての議案を提出され、問題の解決を第三者機関にゆだねようとされていることについて、採用予定者に対してお金で解決しようとするのかといった批判の声もあります。
 以上のことから、知事並びに関係部長にお尋ねいたします。
 第一点は、和歌山工科大学の事業凍結で得た教訓とは何か。今後、その教訓をどのように県政に反映させるお考えか。
 第二点は、議案第176号は調停の申し立てによって早急に生活費等の解決金を支払うためとのことであります。午前中に、小川武議員の方からも質問がございました。調停の申し立てを行わないで解決金の支払いはできないのか。
 第三点は、議案第176号の調停による解決金を支払う基準と予算措置についてお伺いいたします。また、就職を希望される人に対して、どのように誠意を持って話し合い、就職の問題を解決しようとされるのか。
 第四点は、工科大学の準備経費の内容と凍結に伴う14億円余の予算処理はどのようにされるのか。あわせて、開設経費約144億円の予算処理に伴って、本年5月に策定された財政運営プログラムIIへの影響について答弁をお願いいたします。

○企画部長(安居 要君) 
 次に和歌山工科大学の凍結への対応の中で、解決金を支払う基準と予算措置、就職問題解決についてでございます。
 まず解決金の算定につきましては、精神上の損害、並びに財産上の損害など、採用予定者の皆さんの実情を十分に勘案し、調停委員により適切な判断を下していただけるものと考えており、県としても誠意を持って対応していく所存です。
 また予算措置については、調停に基づき解決金の額、支払い時期が決定された後に財政当局と協議の上、適切な対応を図る所存です。
 次に職を失われる方々の就職先の確保につきましては、就職先の紹介及び就職活動の支援について、現在採用予定者の皆さんと個別、具体的に協議を重ねているところでございます。
 次に、工科大学の準備経費の内容と予算処理でございます。
 関係予算の執行状況でございますが、平成12年度予算の執行状況については、当初予算額14億5,573万7千円のうち、11月末日までの支出負担行為済み額は1億6,295万9千円となっております。このうち、設計や調査などの委託契約経費につきましては、9月議会終了後に契約解除の通知を行い、業務の進捗度合いに応じて精算額を確定の上、契約解除を行いました。その結果、委託契約に係る支出負担行為済み額は1億2,217万円となっております。その主なものとしては、施設の基本実施設計の4,689万8千円、地質調査の2,315万5千円等です。
 なお、12月以降の本年度予算の執行につきましては、事業収束に必要な事務費のみであり、平成12年度末での予算執行見込み額は全体で1億7千万円程度になるものと見込んでおります。このため、来る2月議会には残余額について減額補正予算案を提案する予定でございます。
平成12年12月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(江上柳助議員の質疑及び一般質問) | 和歌山県議会

 

 実は、この時既に和歌山工科大学の学長候補と思しき人物が内定していました。それは、最初に大学開設構想を和歌山県に持ち掛けた日本航空学園の航空研究所所長であった野口常夫氏です。和歌山県では、日本航空学園が大学設置構想から撤退した後も野口氏との関係は維持しており、野口氏が有する日本大学の豊富な人脈を生かして和歌山工科大学の教員体制を整えようと考えていたのです。
 野口氏日本大学で「YS-11の生みの親」とも称される木村秀政※5に師事し、読売テレビが主催する「鳥人間コンテスト」の解説者や審査員を務めていたことで一般の方々にも名前を知られる人物でした。
※5 木村秀政|人物|NHKアーカイブス

 

 大誠テクノ株式会社という企業のWebサイトでは、同社の垂直軸型風力発電装置の発明者として野口氏の経歴が紹介されていますのでこれを引用します。

 1970年、日本大学理工学部機械工学科航空専修コース木村研究室を卒業。卒業後、理工学部木村研究室に勤務。1973年から私学振興財団(当時)の在外研究員としてワシントン大学に客員研究員として派遣され、ボーイングの短距離機の風洞実験や評価、NASAセスナ社ノースロップ等の研究開発中の航空機の風洞実験に参加。
 その後、日大理工学研究所を兼務し、1996年に日大を退職。日本航空学園航空研究所所長日本航空大学副学長などを歴任、航空科学評論家として活動を開始する。
 2001年航空運用システム研究所を設立。
 1985年からは読売テレビ鳥人間コンテスト」の解説者兼審査員を務め、マスコミでもその活動が知られている。著書に『飛ぶ - 人はなぜ空にあこがれるのか』『だから、飛行機は飛ぶ(中高校生のための航空科学シリ-ズ)』ほか。
製品特徴 - 風力発電事業|大誠テクノ株式会社 - taisei techno


 そんな野口氏でしたが、突然の大学設置構想凍結により学長への道は一瞬にして閉ざされてしまいました。上記の経歴によると、野口氏は平成13年(2001)に「航空運用システム研究所」を設立していますが、時期的に考えると、これは和歌山県との関係が途切れ、さりとて日本航空学園とも先に袂を分かっていたため、独自の道を歩み始めた証左であったと言えるのでしょう。
 その後、野口氏平成24年(2012)に急逝されたとのことです。ご冥福をお祈り申し上げます。

「故野口常夫氏を偲ぶ会」のお知らせ: 大利根近況Blog


 結局のところ、これ以降、(旧)南紀白浜空港跡地の恒久的な活用方策は決定されないままで、自動車関連のイベントなどが時折開催されるぐらいの大変寂しい状況になってしまっています。

motorsports.jaf.or.jp

www.nankishirahama.jp



 結果論ではありますが、串本町に日本初の民間ロケット発射場が開設された今(1号機の発射は残念ながら失敗に終わったとはいえ)、もしここに航空工学系大学が開設されていたとしたら、この地域は日本でいちばん空と宇宙に近い場所として新たな産業と文化を生み出す場所になっていたのではないか・・・との妄想も浮かんでくるのです。

「スペースポート紀伊」について|串本町