生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

タイワンザル問題(和歌山市、海南市)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 前回のこのカテゴリーでは1980年代に埋立事業が始まった「西防波堤沖埋立地」の話を紹介しましたが、今回はこれよりもう少し新しく、1990年代半ばから顕在化するようになった「ニホンザルとタイワンザルとの交雑」という問題について紹介しようと思います。

タイワンザル

 平成30年(2018)1月18日付けの地元紙「わかやま新報」に、「特定外来生物「タイワンザル」県が根絶宣言」という題名で次のような記事が掲載されました。

 国の特定外来生物※1に指定されているタイワンザルの駆除に取り組んできた和歌山県はこのほど、発生源と見られていた和歌山市南東部と海南市北東部にまたがる大池地域約27平方キロで「群れを根絶した」と発表した。この5年間、新たなサルが確認されなかったことから判断した。
 長い尻尾が特徴のタイワンザルは、台湾原産の外来種。県ではニホンザルが有田川以南に生息するのみと考えられていたが、平成10年に日高川町でタイワンザルと、ニホンザルとの交雑種各1匹が見つかったことから県が調査。11年度に大池地域で約200匹を確認した。
 野生化したタイワンザルと在来種のニホンザルの交雑が紀伊半島全域に広がるのを防ごうと、県は「県サル保護管理計画」を策定。14年度から同地域で駆除に乗り出した。住民の協力も得て囲いわなを7基設置し、24年度までに366匹の捕獲に成功。24年4月にメス1匹を捕獲したのが最後となった。
 県によると、捕獲が始まった当初は動物愛護の観点から反対意見もあったという。だが17年にはタイワンザル、26年には交雑種も特定外来生物に指定され、15年の間に外来生物に対する認識は大きく変わった。県環境生活総務課自然環境室の横濵蔵人主査は「ニホンザルを守る生態系保護の観点で取り組んできた。生き物相手の駆除は根絶に至るまで長期に及ぶが、途中でやめたら失敗。ようやく一区切りついた」と話した。

※1 筆者注:「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律外来生物法)」に基づき、日本在来の生物の生態系を損ねたり、農林水産業等に被害を与えたりする外来生物として指定された動植物を指す。これらの動植物は法律により飼養や栽培等が規制されるとともに、必要に応じて国や自治体が防除を行うこととされた。タイワンザルは第一次指定種(2005年1月31日指定)に含まれており、第九次指定種(2014年5月27日追加指定)には タイワンザルとニホンザルとの交雑種も含まれることとなった。特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律 - Wikipedia

わかやま新報 » Blog Archive » 特定外来生物「タイワンザル」県が根絶宣言

 

 日本に昔から住んでいるサルは「ニホンザル」と呼ばれ、日本固有の霊長類です。特に青森県下北半島に住むニホンザルは「人類を除けば世界で最も北に住む霊長類」とされており、「北限のサル」として国の天然記念物に指定されています。

ja.wikipedia.org

 これに対してタイワンザルは、ニホンザルと同じく霊長目オナガザル科マカク属に分類される近縁種ですが、タイワンザルは尾が約40センチと長いのに対してニホンザルの尾は10センチ以下と短く、両者を区別することは非常に簡単です。

2014年度特別展「どうする?どうなる!外来生物」関連連載記事 | 神奈川県立生命の星・地球博物館

 かつて、タイワンザルは全国各地の動物園で飼育されていましたが、その中で動物園から逃げ出したり、動物園の閉鎖に伴って意図的に放獣されたりして日本国内で野生化していったものが出てきました。和歌山県で初めてこの事実を学術的に明らかにしたのが高校教師で在野のサル研究家として知られていた前川慎吾氏でした。
 前川氏は県内で野生化したタイワンザルを発見するに至った経緯と、このタイワンザルと在来のニホンザルとの間に生まれたいわば「雑種(交雑種)」のサルが確認されたことについて、平成13年(2001)の「日本霊長類学会 霊長類保護委員会 ニューズレター」で次のように報告しています。

1.3 和歌山市東南部から海南市北東部にかけて生息する野生化したタイワンザルについて
      学校法人開智中学校・高等学校 非常勤講師 前川慎吾
 現在、和歌山市大河内、黒岩地区ならびに海南市高津、孟子、坂井、小野田地区において、モモ、ミカン、タケノコ等に大きな被害をもたらしている「タイワンザル」は、和歌山市山東地区大池遊園に設置されていた動物園が1954年に閉園する際、タイワンザルだけを周辺の丘に放した(数は15~16頭)。その後大池周辺で野性化し繁殖するようになったといわれている。
 野性化したタイワンザルが生息していることを知ったのは、1976~77年に環境庁が実施した「第2回環境保全基礎調査」の際であった。その時、得られた情報の中に「タイワンザル」についての情報が含まれていた。念のため、和歌山市海南市の鳥獣保護員の方々に確認するとともに、有害駆除に直接あたった和歌山市の猟友会の人々に面接したところ、和歌山市黒岩地区で駆除した複数のサルについて、全員が一致してタイワンザルの外見的な特徴である「尾の長いサルであった」事を挙げられたことから、「タイワンザル」であると判断し「第2回環境保全基礎調査報告書(哺乳類)」(1978.和歌山県)に記載した。
(中略)
 1998年12月に開催された「ニホンザル西日本フォーラム」において、WMO※2白井氏により、1998年4月、日高郡中津村において捕獲されたサルがニホンザル」と「タイワンザル」の「混血」個体である(霊長研川本氏による遺伝子検査による)ことが発表された。1998年12月、日高郡美山村において有害駆除されたサルが「タイワンザル」であることを前川が確認(霊長研川本氏により遺伝子検査)。この2件に衝撃を受け、その後「タイワンザル」の分散状況を把握することに調査の方針を転換、本拠地周辺の諸町村、前述の日高郡中津村、美山村、等の周辺町村での聞き取り調査を行なってきた。その結果、1999年2月には日高郡竜神村安井、宮の2地域で猟期中に「尾の長いサル」をしばしば見たという情報が得られた。また、白井氏からは、東牟婁郡本宮町でのニホンザルの調査中「混血」らしき個体が目撃されたという情報が得られた。その後、奈良教育大鳥居氏からも奈良県宇陀郡大宇陀町において「タイワンザル」らしき個体が目撃されているという情報も寄せられている。
 このように見てくると、「タイワンザル」が予想をこえて、紀伊半島全域に分散拡大し、そのうえ「ニホンザル」との間に混血が進んでいることに驚くばかりである。
 1999年7月と11月の2回にわたって、日本霊長類学会日本哺乳類学会、ならびに、京都大学霊長類研究所和歌山県から調査を委託されたWMOが協力して、初めて、「タイワンザル」棲息地での調査が実施された。その結果、和歌山市海南市にまたがって2群が確認され、生息頭数は200頭(確認された数)(周辺地域で小グループで行動)であった。7月の調査で、本拠地において「ニホンザル」がかなり入りこんでいることや、雑種化が進行していることも確認できた。
 両学会の「移入種による攪乱の防除」という観点からの取り組みや、実際に猿害を被っている和歌山市海南市の地元の人々の行政への働き掛けもあり、2000年度において、本拠地での「タイワンザル」の本格的な除去が進められることになった。
(以下略)
※2 筆者注:株式会社野生動物保護管理事務所の略称。野生動物の生息調査や、野生動物の保護・管理に関するコンサルティングなどを幅広く手掛ける。野生動物保護管理事務所(WMO) – シカ・クマ・サル・外来種の調査

 

 当時は、いわゆる「種の保存法※3絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律 1993年4月1日施行)」が制定されてからまだ日も浅く、「北限のサルとして世界的に貴重なニホンザルという『種(しゅ)』を交雑から守る」という考え方は、研究者ではない一般市民の間ではなかなか理解されないことでした。
※3 種の保存法の概要 | 自然環境・生物多様性 | 環境省

 にもかかわらず、かなり速いペースで行政を巻き込んだタイワンザル対策が始められることになった背景には、この野生化したタイワンザル(及びタイワンザルとニホンザルとの交雑種)がミカンやタケノコなど、この地域の特産とされる農産物に大きな食害被害を与えていたことが挙げられます。そう、我が国の「種の保存」対策の嚆矢とも呼ばれる和歌山県のタイワンザル対策は、実はむしろ「農作物を荒らす害獣対策」として始められたものであったと言うことができるのです。
 こうした経緯について、上述の前川氏の報告にも登場し、以後、和歌山県におけるタイワンザル対策の最前線で長年活躍してこられたWMO白井啓氏は同事務所の機関誌で次のように語っています。

 1950年代、和歌山県北部でタイワンザルが野生化した。1964年生まれの私がそれを知ったのは、故前川慎吾先生の配布資料を研究会の会場で読んだ1995年。1996~1998年に予備調査。大池地域から約25km南の旧中津村において県事業で捕獲したサルの尾長が29cmだったことで(川本ら1999)、体に電気ショックが走ったのが1998年。この個体はその後さらに約50km南下(白井・荒木未発表)。結成間近の和歌山タイワンザルワーキンググループの面々およそ10人が現地に行き、野生化しているサルはタイワンザルであることを関係者ではじめて目視確認し、しかも顔にニホンザルの面影のあるオトナメスや尾があまり長くない個体を複数目撃したことから、大池地域では交雑がすでにかなり進んでいることを確認したのは1999年1月(白井・川本2011)
 そして、奇しくも同じ1999年1月、一部の地元住民はミカンやタケノコ等への食害に業を煮やして捕獲したサルを和歌山市役所和歌山県に持ち込み対策の必要性を訴えるという大胆な行動を起こした。大池地域の連合自治から和歌山市和歌山県に対策実施の陳情をすると共に、協議会を設置して自ら捕獲を開始した自治会もあった。この地元の積極性が、この後に長く続く対策の原動力であったと私は考えている。
 さらに和歌山県も同じ頃、タイワンザル対策の必要性を検討し始めていて、外来種問題の講習会を鳥獣保護員に向けて開催する等していた。※4
 これらNGO地元行政がうまく連動し、そこに日本霊長類学会日本哺乳類学会日本生態学会WWFJ※5ジャーナリスト等が絶妙に絡んだ。連動した、絡んだと書いたが、せっかくの機会なので自分で書いてしまうと、連動させ絡ませる策を練り講じることに私は随時、随分時間を使った。いくつもの主体がバラバラに動いてしまうとチームとして機能しないわけで、全体がいつのまにか統率された意図で連動するようにコーディネートした。そのため、活動開始当初は組織間や仲間内でも強い口調で議論することもあったが、共に調査し日夜、議論を繰り返し情報共有、意見交換に努めた。地元の方々に怒られることもあったが、そのたびに説明し協働を呼び掛け一緒に汗を流した。

※4 筆者注:このときたまたまた和歌山県庁の自然環境担当部署に環境庁(2001年1月から環境省)の職員が出向しており、「種の保存法」の定着を目指す環境庁の意向が和歌山県の意思決定に大きな影響を与えた可能性は否定できない。
※5 筆者注:世界最大規模の自然環境保護団体である国際NGOの日本における支部組織。現在の名称は「世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)ジャパン」であるが、略称のWWFは、1986年までの組織名称である「World Wildlife Fund」に由来する。世界自然保護基金 - Wikipedia

和歌山タイワンザルの群れ根絶の報告|野生動物保護管理事務所(WMO)

 

 このように、和歌山県のタイワンザル問題は、さまざまな主体のさまざまな思惑を巻き込みながら思わぬスピードで対策が始まり、とりあえず全てのタイワンザルとその交雑種を全頭捕獲するという方針がいち早く決定されました。しかし、捕獲したサルをどうするのか、閉鎖した檻の中で自然に一生を終えるまで飼育し続けるのか、あるいは捕獲した後に全頭を殺処分するのか、という点についてはなかなか決着に至ることができませんでした。
 これについて、和歌山県の平成13年(2001)2月定例県議会において次のような質疑が行われています。

町田亘議員:従来、ニホンザルの群れが生息していなかった和歌山市南東部、海南市に移入種であるタイワンザルが野生化して、既に在来種のニホンザルとの交雑が進んでおり、また農作物被害を引き起こしているのであります。和歌山県のタイワンザルは、聞くところによると、四十四、五年前に私設動物園から逃げ出したのが野生化したもので、約二百頭の群れをなしているそうであります。条約※6には「生態系、生息地若しくは種を脅かす外来種の導入を防止し、又はそのような外来種を制御し、若しくは撲滅すること」とあります。
 そこで知事は、和歌山県サル保護管理計画の樹立について県自然環境保全審議会に諮問され、公聴会鳥獣部会等、今日まで検討を重ねてこられました。公述人の主な意見は、移入種であるタイワンザルが野生化して繁殖し、在来種のニホンザルとの交雑が進み、このまま繁殖が続くとニホンザルの遺伝子が攪乱され、紀伊半島やがて本州全域に拡大していく心配があると、この計画に賛成されています。しかし、条件として、捕獲した個体の処分について配慮してほしいとあります。
 仄聞するところによると、県は捕獲した個体を無人島に移すべく検討していたが、島の生態系が壊される等でこの案を断念したと聞いています。残るは、二つの選択肢であります。その一つは、施設をつくり、そこに捕獲したサルを避妊や去勢手術をして隔離管理する方法であります。しかし、えづけされたサルは二十年以上生きると言われています。施設費、えさ代、人件費等、単純計算しても十億円ほどかかるそうであります。サルのために税金十億円は県民の理解を得られるでありましょうか。最終判断は知事でありますが、今日まで取り組んでこられた環境生活部長の意見を伺いたいと思います。
(中略)
環境生活部長(道浦 渥君)和歌山県サル保護管理計画策定の考え方についてお答えいたします。
 和歌山市南東部及び海南市北東部に、移入種であるタイワンザルが野生化、繁殖し、ニホンザルとの交雑を引き起こしている問題についてでございますが、このまま放置すると交雑が進行し、県内に純粋なニホンザルがいなくなり、将来、本州全域に広がるおそれがあります。日本も批准している生物多様性条約に基づき、タイワンザル等の捕獲を実施する和歌山県サル保護管理計画を策定するために検討会を設置し、議論を重ね、その後、公聴会の開催、自然環境保全審議会での審議等を行ってまいりましたが、捕獲個体の措置については慎重に検討するべきとの意見が出されているところです。
 捕獲した個体の措置につきましては、安楽死とあわせ、無人島放逐施設収容、あるいは避妊・去勢してもとに戻すなどの生存維持の方法について、具体的実施場所や方法、技術的可能性、繁殖制限の方法、費用算出等を土地所有者、関連業者、関係行政機関、学識経験者等と精力的に調整し、検討してまいりました。しかし、無人島案については従来の生態系への悪影響が懸念されるとする反対があり、その他の案も技術的な問題等があり、またどの案についても賛否両論があることから、結論には至っておりません。今後は、さらに広く県民の皆さんのご意見を伺うためアンケート等を実施するとともに、自然環境保全審議会の意見を賜り、慎重に対応してまいりたいと考えております。

※6 日本が1992年6月13日に署名し、1993年12月29日に発効した「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」のこと。従来は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約ワシントン条約)」のように、取引などの行為を規制する条約であったのに対し、生物多様性条約では「種」「遺伝子」「生態系」の3つのレベルで生物多様性保全するという、包括的な規定を設けたことが特徴とされる。生物の多様性に関する条約 - Wikipedia

平成13年2月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(町田 亘議員の質疑及び一般質問) | 和歌山県議会

 

 捕獲したタイワンザルをどのように取り扱うのかについては、県の内外において大きな議論が巻き起こりました。「外来種を排除するという考え方は、外国人排斥につながる人種差別的考え方だ」「交雑種だからといって殺処分するということは、日本人と外国人の混血に死ねということと同じだ」「動物も生きるために必死なのだから、農作物被害があっても農業者は我慢すべきだ」というような意見から、「ニホンザルを守るためにはタイワンザルの処分はやむを得ない」「殺処分は仕方ないが、あくまでも苦しみを与えないよう安楽死の方法を検討すべきだ」というような意見まで、連日さまざまな団体からさまざまな意見が県庁に寄せられ、中には毎日のように担当者の席に意見を述べに来る団体の方もいたと伝えられます。
 中には、和歌山県内の温泉旅館に多数の予約電話を入れた後、無料キャンセルが認められるギリギリの時期になってから一斉に電話をかけて「サルを皆殺しにするような和歌山県には旅行できません!」と言って大量キャンセルをかけるというような一種の「嫌がらせ」行為を行うような過激な団体があった、と報道されたこともありました。
 これに対して、日本霊長類学会では下記のような内容の要望書木村知事(当時)あてに提出して、あくまでも「全頭捕獲、安楽死」に取り組むべきであると主張しました。

             平成 13 年 4 月 18 日
和歌山県知事 木村良樹 殿
             日本霊長類学会 会長 杉山幸丸
     タイワンザル集団の除去に関する要望書
 日本霊長類学会は霊長類に関する研究活動の傍ら、霊長類の保護とくに日本固有の種であるニホンザルの保護に関して、これまでさまざま提言や活動をして参りました。和歌山県下のタイワンザル集団の存在に関しても、ニホンザルの保護の観点から強い関心を寄せ、実際学会員のあるものは、このタイワンザル集団の実状調査等に参加してきました。日本霊長類学会は、このタイワンザル集団に関して、和歌山県サル保護管理計画対策検討会および自然保護保全審議会鳥獣部会全頭捕獲という結論を迅速に下されたことは、きわめて適切な決断であったと考えております。しかしながら、その後県に寄せられた意見や、審議会での議論の中で、避妊処置のうえ無人島に放獣するという案が浮上し、その後撤回される等、捕獲後の処置についていまだ明確な結論が打ち出されていないように見うけられます。また捕獲の実施時期についても具体的にまだ確定していないように思われます。日本霊長類学会理事会は、和歌山のタイワンザル集団に対する基本的な考え方を以下に表明するとともに、その早期除去を要望いたします。
(中略)
 日本霊長類学会和歌山県ニホンザルの保護管理計画のために、タイワンザルの除去計画を進めていることを高く評価しています。今後、長期的な視野で県下全域のニホンザル保護管理計画の策定を進めていただけるものと期待しております。
 その後の審議会で出されたという、捕獲したサルは避妊処置のうえ無人島などに放獣するという案はすでに撤回されたとは聞いておりますが、これについても霊長類学会の見解を述べたいと思います。この処置は本来の目的である生態系からの移入種の排除という趣旨からは大きく逸脱するものです。
(中略)
 また島の放獣の代わりに、巨大な檻の中で飼育するという案もあったと聞きましたが、飼育衛生あるいは動物福祉上の管理、逃亡防止など実施に多くの問題があり、島への放獣以上に慎重な対応が必要かと思われます。
 現在、霊長類学会が最も危惧していることは、捕獲後の措置を模索することにより捕獲計画そのものが遅延することです。捕獲個体への対応の方法を様々ご検討されたとは存じますが、このまま放置すれば、毎年数十頭のタイワンザルとその雑種の子どもが和歌山県で産まれ続けるだけでなく、タイワンザルや雑種の雄たちがニホンザルの生息域に侵入して次々と雑種の子孫を残してゆくことになります。日本霊長類学会は、以上の理由と見解に基づき、以下のように要望いたします。

要望:和歌山県サル保護管理計画対策検討会の結論である、全頭を捕獲し、原則として安楽死させる方針のもと和歌山県が捕獲に速やかに着手されることを要望いたします。

 なお、日本霊長類学会は、この要望の実現のための協力を惜しみません。

日本霊長類学会 Primate Society of Japan

 

 このような様々な意見が寄せられた和歌山県では、前述の道浦部長の答弁どおり和歌山県民に対してアンケートを実施して、捕獲後のタイワンザルの処遇に関する考えを問うこととしました。このアンケートの結果について、平成13年(2001)6月15日付けの読売新聞は次のように伝えています。

タイワンザル捕獲、安楽死処分へ 交雑種含む200匹 和歌山県鳥獣部会が方針
              2001.06.15付け 読売新聞 大阪朝刊
 和歌山市南東部などの山中でタイワンザルと在来種のニホンザルとの交雑種が繁殖、生態系がかく乱する恐れがあるとして、和歌山県自然環境保全審議会鳥獣部会は14日、この地域のタイワンザルと交雑種計約200匹を捕獲し、原則として安楽死させる方針を決めた。7月中に最終的な結論を出し、木村良樹知事に答申する。
 県環境生活総務課によると、同市内の民間遊園地で飼われていたタイワンザルが1954年ごろに逃げ出し野生化した。99年度の調査で約200匹の生息が確認され、大半がタイワンザルか交雑種だった。
 この日の会議で県側は▽無人島で放し飼いにする避妊、去勢手術の後、山林に戻す-の案について、生態系への悪影響に配慮して断念した経緯を報告。捕獲後について、県民1,000人に「約11億円の費用で20年間動物園で飼育管理する」「約100万円で安楽死させる※7」のどちらを選ぶかアンケートしたところ、63.9%が安楽死案に賛成したことを明らかにした。
 欠席した1人を除く7人の委員は、原則的に安楽死案に賛成したが、一部の委員からは「移入種問題の啓発のためにも、一部の若いサルだけでも生かす方法はないか」との意見も出され、県側が検討することになった。今後、え付けして6か月以上かけて捕獲する。
※7 筆者注:麻酔薬を注射することにより苦痛を与えず安楽死させることとした。

 このアンケートについては、「設問の構成が誘導的である」とか、「それぞれの案に費用を明記するのはおかしい」などと批判も寄せられましたが、それでも「直接県民の声を聞いた」ことの意味は大きかったと思います安楽死案に反対する活動団体の多くが和歌山県外を主要な活動拠点としており、これらの団体の主張は多くの県民の意見とは乖離していると指摘する意見があったのも事実です)
 前述の白井啓氏は、こうした県の意思決定のプロセスについて当時は批判的に考えていたものの、結果的にはこれで良かったと次のように述懐されています。

 当時大変なことは確かにたくさんあったが、ふりかえってみると、和歌山県事業としてタイワンザルの野生化を確認した後は、取り得る可能な範囲でかなり迅速に計画策定、対策開始へと進んだと思う。いろいろ言われたが、必要最小限の時間はかかるということ。「焦らず急ぐ」と話していたのを思い出す。早期の対策開始は外来種対策では本当に重要なことなのに、現実は本当に難しいこと。それを、上記の厳しい状況下にも関わらず結構できていたのは、ぶつかりながらも関係者の保全への意欲の賜物である。
 県の安楽殺処分案に約500件の反対が殺到し、それらの意見等から整理した4つの生存案(離島放逐案、飼育施設で管理する案、繁殖制限し地元に放逐案、柵で囲った県有林放逐案)との比較検討を県がしたが(岡田準備中)、それも合意形成に不可欠なことだったし、3ヶ月くらいしかかからなかった。正直に書くと、当時私はこの比較検討は早期対策開始のための時間短縮のために省略した方が良いと意見していたのだが、県がして下さって本当に良かったとその後、感謝している。

» 和歌山タイワンザルの群れ根絶の報告|野生動物保護管理事務所(WMO)

 その後のタイワンザルの捕獲については、下記の産経新聞の記事が参考になると思います。

ニホンザル生息地に増殖した外来のタイワンザル 根絶に15年、行政とサルの壮絶な知恵比べ
        2018/1/19 06:30
 生態系に重大な影響を及ぼす恐れがあるとして、駆除の対象となっていた特定外来生物「タイワンザル」について、和歌山県は昨年末に根絶の完了を宣言した。同県を含む紀伊半島ニホンザルの生息地として知られており、タイワンザルとの交雑が進むとニホンザルの種を保てなくなるため、県は平成14年に「捕獲作戦」をスタートした。ところが、敵もさる者で、巧みに逃げ回るサルの前に作戦は難航。両者の根比べは15年もの時を要することになった。
(中略)
 このタイワンザルをめぐる問題が表面化したのは平成10年。県内でサルによる農産物の被害が相次ぎ、県がニホンザルの分布調査を実施したところ、タイワンザルの生息が確認され、さらにニホンザルとの交雑が進んでいることが判明。大池地域に定着している数は、170~200頭と推計された。

 「このままでは紀伊半島ニホンザルがいなくなってしまう」。危機感を抱いた県は捕獲して安楽死させる方針を決定した。ところが、動物保護の面で県内外から反対意見が寄せられるなどして物議を醸し、県は最終的に県民約千人にアンケートを実施。安楽死に6割強が賛成したことから、14年に捕獲作戦をスタートさせた。
 作戦は、ミカンなどの餌が入った巨大なオリにサルを誘い込んで一網打尽にするという内容で、当初は3年での根絶完了を予定していたという。
 だが、作戦の初期には捕獲されていたサルたちも次第に警戒するようになり、おびき出すためオリ周辺にまいていたエサだけを食べられてしまうケースも出てきた。「まさにサルとの根比べ、知恵比べだった」。県自然環境室の担当者はこう振り返る。
 サルは雌を中心に群れを形成することから、雌に電波発信機を装着して群れの動きを探るなど、あの手この手で捕獲を続けた。

生態系を残すために
 こうした取り組みの結果、県は24年4月までに366頭を駆除。その後は新たなサルの出現は確認できず、5年のモニタリング期間を経て、昨年12月下旬にようやく、タイワンザルの根絶完了を宣言した。駆除のために約5千万円の費用もかかったという。
(以下略)

【関西の議論】ニホンザル生息地に増殖した外来のタイワンザル 根絶に15年、行政とサルの壮絶な知恵比べ(1/2ページ) - 産経ニュース

 

 タイワンザルの根絶完了の確認については、前述の白井啓氏の報告で次のように述べられています。

根絶の公表
 最後と考えるサルを捕獲した2012年4月30日から開始した県事業の根絶確認調査が、予定通り2017年4月30日に終了した。40台の自動撮影カメラを中心に、足跡トラップ、聞き取り、通報、探知犬、回覧板による残存個体有無の情報収集を5年間継続したが、タイワンザルあるいは交雑ザルの残存を示すデータが得られることはなかった。
 和歌山県は検討会を開催し、学識経験者から意見を聴取し、群れが野生化して来た大池地域和歌山市東部から海南市東部にまたがる地域に私がつけた通称)に群れは残存していない可能性が極めて高いと判断し、2017年12月22日、和歌山県知事が根絶を公表した。

» 和歌山タイワンザルの群れ根絶の報告|野生動物保護管理事務所(WMO) 

 

 和歌山県が行う施策には数えきれないほど多種多様なものがありますが、このときのタイワンザルの処遇を巡る問題のように明確に意見が二分されるような課題について、アンケートを実施して県民の意見を直接聞き、その結果を判断の重要な資料としたというケースは極めて稀なものであろうと思われます。
 今から20年以上も前の出来事ですが、かつてこうして方針が決定された重要施策があったということは、関係者の記憶にしっかりと留めておいていただきたいものです。