「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。
これまで、古事記や日本書紀に描かれた故事にまつわる史蹟などを紹介してきましたが、今回はこれらの書物に描かれた故事をモチーフにした和歌山県庁本館のレリーフをご紹介します。これは、和歌山県出身の画家・彫刻家である保田龍門(やすだ りゅうもん)の作品です。
和歌山市小松原通にある和歌山県庁本館は、昭和13年(1938)に竣工したもので、当時としては最先端の技術を用いた鉄筋コンクリート造四階建の建物です。設計者は和歌山県営繕技師の増田八郎という人物ですが、増田はこれより前に富山県技師として富山県庁舎の設計監督にも関わっていたため、同じ人物の設計となる和歌山県庁舎と富山県庁舎とは「双子」と言ってもよいほどよく似た外観をしています。
ちなみに、増田が師事していた大熊喜邦という人物は国会議事堂の設計者として知られており、こうした関係から和歌山・富山の県庁舎はいずれも国会議事堂の影響を受けた建物であるとも言えるようです。
空襲を乗り越え、和歌山県の近代化を支えた文化財建築「和歌山県庁舎本館」 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
なお、この建物は、県を代表する近代洋風建築の一つであり、第二次世界大戦中に大空襲の被害を被ったにもかかわらず完成時の姿をよく残しており、歴史的建造物として価値が高いと評価されて平成25年(2013)に国の登録有形文化財となっています。
その和歌山県庁本館の中央階段には保田龍門という和歌山県紀の川市出身の画家・彫刻家が作成した2枚のレリーフがあります。
2階から3階への踊り場にあるのが「丹生都比売命(にうつひめの みこと)」、3階から4階への踊り場にあるのが「高倉下命(たかくらじの みこと)」をそれぞれモチーフにしたものです。
保田龍門(やすだ りゅうもん 1891 - 1965)は、那賀郡龍門村出身の画家・彫刻家です。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)在学中に二科展に入選、卒業制作が文部省美術展覧会で特選を受賞。アメリカ、ヨーロッパで学んだ後、郷里の龍門村にアトリエ付き住居を建てて制作に励みました。
第二次世界大戦後は、大阪市立美術研究所彫刻部教授、和歌山大学学芸学部(現教育学部)教授に就任して後進の指導にあたったほか、 紀陽銀行本店壁面レリーフ、平和祈念像(かつらぎ町)などの大作も多数制作しています。
紀陽銀行本店レリーフ(4枚)
平和祈念像(かつらぎ町丁ノ町 かつらぎ公園)
和歌山県庁本館にある「丹生都比売命」「高倉下命」の2つのレリーフは、昭和13年(1938)4月に竣工したこの庁舎のために龍門が昭和14年(1939)に制作したものです。
丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ 丹生都比売命)は、かつらぎ町天野にある丹生都比売神社の祭神としてよく知られていますが、高野山の地主神としてもまた知られています。社伝によれば、密教の根本道場の地を求めていた空海の前に、丹生都比売大神の子である高野御子大神(狩場明神とも呼ばれます)が狩人に化身して現れて高野山へと導き、丹生都比売大神が空海に神領であった高野山を貸し付けたと伝えられています。
古事記や日本書紀には明確に丹生都比売大神を示す記述はありませんが、社伝では日本書紀に登場する稚日女尊(わかひるめのみこと 機織りの神で、天照大神自身もしくは妹・子供との説もある 古事記では天服織女(あめのはとりめ)とする)と同一人物であるとされています。
一般的に丹生都比売大神は、その名のとおり、かつては朱色の顔料や薬などとして盛んに用いられた「丹生(水銀)」を司る神として信仰されていますが、地元では、同神は大和や紀伊をめぐりながら農耕や糸紡ぎ、機織りなどの技術を広めていったと伝えられています。また、「川上酒」と呼ばれるこの地域での酒造も丹生都比売大神の降臨がきっかけとなったという伝承もあり、丹生都比売大神は和歌山県の北部を流れる紀の川流域の発展にとって欠かすことのできない神様であったと言えるでしょう。
酒をテーマに旅する、「川上酒」のふるさと | わかやま歴史物語
もうひとつのレリーフのモチーフとなった高倉下命については、長くなりそうですので項をあらためて紹介したいと思います。