生石高原の麓から

かつて開設していた個人サイト「生石高原の麓から」の内容をブログ形式に移行しています

秀衡桜 ~中辺路町(現田辺市)野中~

  藤原秀衡が、赤ん坊を「滝尻王子社」裏の岩屋に預けたあと、その子の成長を願って突き刺した杖が根づいたという老桜が、野中の古道のわきにある。

 

 「我らが熊野詣でを終え、再びこの地に戻った時、この杖に根がはえ、花が咲いていたなら、わが子は無事なり。神よ、何とぞ子を守り給え」と念じて旅を急いだ秀衡。無事熊野へのお礼参りを終えて野中にたどりつくと、桜の杖はしっかりと根づき、みごとに花を咲かせていた…と。


 樹齢百余年という四代目の「秀衡桜」は、高さ約10メートル。幹回りは3メートルもあろうか。

 

 鶯や 御幸の輿もゆるめけん

 

かたわらに、虚子の句碑が建つ。

 

f:id:oishikogen_fumoto:20200621103746j:plain

4代目秀衡桜(ブログ主撮影)

(メモ:「秀衡桜」は、中辺路町役場から国道311号線を約20キロ。国道から50メートル離れたところにある。近くに「野中の清水」と「野中の一方杉」などがある。)

 

藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)は平安時代末期の武将で奥州藤原氏第3代当主。秀衡が熊野詣を行ったとの確かな記録はないが、「吾妻鏡」には秀衡のときに平泉に今熊野社や王子諸社が勧請されたとの記述があり、熊野を信仰していたことがうかがえる。

※4代目とされる秀衡桜は平成23年(2011)に幹内部の腐食で折れた。現在は、その根元から伸びた新たな幹を5代目「秀衡桜」としている。

※同名の「秀衡桜」が熊野那智大社にもあるが、こちらは秀衡が熊野詣をした際に持参した苗木を奉納したものと伝えられる。

高浜虚子(1874-1959)は愛媛県生まれの俳人・小説家。昭和8年(1933)に熊野を巡遊しており、この際に作られた俳句のうち7句が石碑となっている。

 ※平成11年(1999)に国道311号線のバイパスができたため、秀衡桜へは野中から旧国道へ。田辺市役所中辺路行政局から約15キロメートル。近くに継桜王子とがの木茶屋などがある。

 

*****

本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(※印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。