生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

天王塚古墳(和歌山市下和佐・西 岩橋千塚古墳群)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

  前項では岩橋千塚古墳群(いわせ せんづか こふんぐん)のうち、石室が一般公開されている「将軍塚古墳」を紹介しました。今回は、同古墳群の中で最大級の規模を有する「天王塚古墳(てんのうづかこふん)」を紹介します。 

 天王塚古墳は、岩橋千塚古墳群がある岩橋山塊の最高地点となる天王塚山の山頂に築造された前方後円墳です。明治時代後期に行われた発掘調査により巨大な石室を有する古墳であることは知られていましたが、前項で紹介した将軍塚古墳などが密集する地域からはやや離れていたためか、かつては詳細な発掘調査が行われておらず、当初の特別史跡指定(1952)の際には指定対象外となっていました。

和歌山県紀伊風土記の丘
特別史跡岩橋千塚古墳群 天王塚古墳整備基本計画(抜粋) 」より
(「特別史跡の範囲」は2016年の追加指定後の範囲)

 こうした中、平成24年(2012)に地元住民有志が「岩橋千塚を守る会」を結成し、「天王塚古墳」などを国の特別史跡に追加指定するとともに、私有地となっている敷地を国・県で購入して適切な整備・保存を行うよう求める活動を開始しました。
わかやま新報 » Blog Archive » 岩橋千塚を守る会 1万3千人の署名集める


 この活動は大きな反響を呼び、上記の記事が書かれた時点(2013年9月)では約13,000人の署名が集まることとなりました。最終的に15,000人の署名を添えて和歌山県議会に提出された「天王塚古墳と大谷山22号墳を特別史跡に含めるための請願」は同年9月定例会において採択され、翌年から県を中心とした整備・保存への取り組みが始められることとなったのです。
和歌山県議会 平成25年9月定例会号

 

 こうして平成26年(2015)度から、和歌山県教育委員会により、未指定の大型古墳の特別史跡への追加指定を目的とした「岩橋千塚古墳群追加指定事業」が開始されました。その詳細については、公益財団法人和歌山県文化財センターが発行した「地宝のひびき -和歌山県文化財調査報告会- 資料集平成28年7月16日発行)」において田中元浩和歌山県教育委員会が次のような報告を寄稿しています。

甦える岩橋千塚の王墓  -天王塚古墳の発掘調査-
      和歌山県教育委員会 田中元浩
1.はじめに
 岩橋千塚古墳群は、和歌山市の岩橋山塊周辺に存在する約800基からなる国内最大規模の群集墳である。その一部の範囲については、国の特別史跡に指定され紀伊風土記の丘公園として整備と活用がなされているが、古墳群の多くは史跡地外に存在する。
 特に、古墳群内で首長墓とされる8基の大型の古墳のうち、特別史跡に指定されているのは大日山35号墳大谷山22号墳の2基のみである。古墳群の中でも最大規模を誇る天王塚古墳の墳丘は、竹林に覆われ墳丘の一部が損傷するなどその保存についても憂慮されており、追加指定による保護と公有地化による整備が急務とされた。
 こうした状況をうけ、和歌山県教育委員会では、平成26年度より未指定の大型古墳の特別史跡への追加指定を目的とした岩橋千塚古墳群追加指定事業を開始した。第1期事業として、岩橋千塚古墳群内でも最大規模の前方後円墳とされる天王塚古墳と一部が未指定であった大谷山22号墳を対象として行うこととした。このうち天王塚古墳については平成26年度より伐採作業を行い、平成27年度には墳丘の測量調査及び発掘調査を実施した。

 

2.これまでの調査
 天王塚古墳は、和歌山市下和佐及び西に所在し、岩橋山塊の最高所となる標高約155mの天王塚山山頂に位置する前方後円墳である。後円部の中央に全長10.95m、高さ5.9mの横穴式石室が築かれ、南方向に開口する。横穴式石室は、結晶片岩を用いて構築され、垂直石梁8本と石棚2枚が設けられた岩橋型石室(筆者注:詳細については前項参照)である。石室の玄室天井高熊本県大野窟古墳の横穴式石室(6.48m)に次いで全国で第2位の高さを誇る。
(中略)
 石室が長い間、開口していたことから盗掘が行われている可能性が高いが、断片的な遺物から本来は石室内に豊富な副葬品が存在したとみられる。

 

3.新たに判明した天王塚古墳の内容
墳丘の規模と復元
 今回の測量調査及び発掘調査により、後円部、前方部及びくびれ部の墳丘裾を確認した。調査成果から天王塚古墳は墳長88.0 mの前方後円墳であり、岩橋千塚古墳群中における最大規模の前方後円墳として位置づけられる。
(中略)
古墳の築かれた時期
 古墳に伴う出土遺物が少なく、古墳の築造時期を判断する資料は得られていない。既往の調査により出土した遺物から、天王塚古墳の時期はTK10~MT85型式期と考えられる。横穴式石室の編年観からも大日山35号墳大谷山22号墳より後出する要素が認められ、現状では古墳時代後期中葉(6世紀中葉)とするのが妥当といえる。
※筆者注:須恵器の形式に基づく年代区分。個人ブログであるが、「60-3.須恵器の杯は年代のものさし:日本書紀の解明・・邪馬台国と大和王権:SSブログ」において詳しい解説がなされている。)

 

4.まとめ -甦える天王塚古墳-
(中略)
 しかし、今回の調査成果からは、埴輪の樹立をはじめとして、葺石、造出や基壇・周濠の有無など多くの点で先行する古墳とは内容が異なり断絶する要素が多く存在することが明らかとなった。こうした点から、天王塚古墳は、近畿地方中央部で更新された新たな古墳祭祀や古墳築造に係る情報を入手しつつ築造されたと考えられ、古墳築造に係る被葬者の性格を示すものとして特筆される。
(中略)
 そして調査完了後、平成28年6月17日には天王塚古墳大谷山22号墳とともに国の特別史跡に追加指定されるよう文化審議会より答申がなされた。約半世紀の時を経てようやく甦った天王塚古墳であるが、今後の整備と石室の公開に向けて、地域と一丸となってその保護を行い次代にもその価値を引き継ぎたい。
シンポジウム要旨集等|公益財団法人 和歌山県文化財センター

 

 上記引用文の末尾に「石室の公開」を目指す旨の文言がありますが、これは平成30年(2018)3月に実現されることとなりました。「古墳にコーフン協会」というWebサイトには、この時の石室公開に参加された方のリポートが掲載されていますので、こちらをご覧頂くと石室内部の様子が非常によく判ると思います。
kofun.jp

 現在はまだ十分に周辺整備が進んでいないため気軽に見学するというわけにはいかないようですが、全国で第2位の高さを誇るという大規模な石室を有する古墳ですから、なんとか整備を進めて一般見学が可能な状態にして頂きたいと願います。
 なお、和歌山県教育委員会では現在の紀伊風土記の丘資料館が老朽化してきたことから、これを和歌山県立考古民俗博物館として再編整備する計画を有しているようですので、その一環として天王塚古墳の周辺整備も進めていただけると有り難いのですが・・・
わかやま県政ニュース