生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

大日山35号墳(和歌山市鳴神 紀伊風土記の丘)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

  前項では岩橋千塚古墳群(いわせ せんづか こふんぐん)の中の最大級の古墳である「天王塚古墳(てんのうづかこふん 墳丘長88m)」を紹介しましたが、今回はこれに準ずる規模を有し、「紀伊風土記の丘」の区域内では最大規模の古墳「大日山(だいにちやま)35号墳(墳丘長86m)」を紹介します。 この古墳は、その規模ばかりではなく、様々なユニークな副葬品が発見されたことでもよく知られています。

日山35号墳(整備中) googleストリートビューより

 大日山35号墳は、その名のとおり紀伊風土記の丘の西端にある大日山(標高141m)の山頂に築かれた古墳前方後円墳です。紀伊風土記の丘のWebサイトでは、同古墳について下記のように解説しています。

大日山35号墳
 標高141mの大日山山頂に立地する。
 昭和41年(1966)と、平成15年(2003)から三ヶ年にわたり調査が実施された。墳丘は盾形の基壇をもつ二段築成の前方後円墳。墳長は86m、基壇を含む全長は105mに及ぶ和歌山県最大級の前方後円墳である。
 基壇や墳丘の各段の平坦面は円筒埴輪列で囲まれる。東西の造出からは飲食物供献を意味する須恵器とともに多様な形象埴輪群が出土。翼を広げた鳥両面人物、そして大王墓と共通した特徴をもつ高床の家などの埴輪を含む。
 埋葬施設は後円部西側に開口する全長七m以上の岩橋型横穴式石室。玄室は長さ4.3m、高さ2.8mで、2枚の板石を水平に懸架する石棚と水平の石梁をもつ。石室からは装身具、武器、武具、馬具、農工具の豊富な副葬品が出土した。
 6世紀前半に築造された紀ノ川下流域の地域首長墓と考えられる。
 なお、翼を広げた鳥形埴輪両面人物埴輪和歌山県大日山35号墳出土品として平成28年重要文化財に指定された。

大日山35号墳 - 紀伊風土記の丘

 

 大日山の位置は岩橋千塚古墳群のある岩橋山塊の西端にあたり、ここからは紀の川の河口付近に広がる平野部を一望できます(現在は樹木が生い茂っているためそれほど眺望が良いわけではありませんが)。このため、ここに葬られた人物は相当な有力人物であったものと考えられており、それは別項「岩橋千塚古墳群」で述べたように紀伊国造(きいの くにの みやつこ)に連なる紀氏の指導者の一人であったのでしょう。
岩橋千塚古墳群(和歌山市岩橋 県立紀伊風土記の丘) - 生石高原の麓から


 ちなみに、同古墳群にある大規模な前方後円墳被葬者については「大日山35号墳・前山A13号墳・前山A58号墳発掘調査報告書和歌山県教育委員会 2015)」に次のような記述があり、大規模古墳が比較的近い時期に次々と築造されたことから、「紀氏」というのは複数の部族からなる連合体であり、花山大谷山大日山将軍塚山などを勢力圏とする部族がそれぞれ競うように大規模な古墳を相次いで築造したのではないかとの見解を示しています。

古墳の変遷
 紀伊における最古の前方後円墳は、和歌山市秋月に所在する秋月1号墳であり、定型化以前の前方後円墳である。日前・国懸神社の旧境内地で紀伊の国造につながる紀直の本願地古墳である。周辺地域の調査では、4世紀~6世紀にかけて小古墳が1基発見されており、岩橋千塚に先行する紀氏一族の奥津城(筆者注:おくつき 神道における墓)と考えられる地域である。
(中略)
 4世紀末から5世紀初頭には独立丘陵である花山地区に古墳が築造され始め、平野部と丘陵上の古墳では明らかにその規模、副葬品の内容に大きな格差が生じ、墓域が二分化される。その代表的な古墳が花山8号墳である。花山8号墳は、花山支群の最高所に築造された全長52mの前方後円墳であり後円部、前方部にそれぞれ粘土槨の埋葬施設を持ち、副葬品は滑石製の勾玉を中心として玉類と剣が出土している。
(中略)
 花山8号墳にやや遅れて築造されるのが全長30mの前方後円墳花山44号墳である。副葬品には、玉類、鉄剣、刀子、鉄鎌、ノミ状工具柄などが出土している。
 福飯ヶ峯丘陵には全長約60mの前方後円墳井辺前山24号墳が築造されており、未調査のため時期を特定できないが、前方部はやや柄鏡形に近い形状を示している。分布調査で庄内式期~布留式期と考えられる二重口縁壺の破片が見つかっており、これが24号墳に伴うものとすれば、秋月1号墳に近い時期の古墳である可能性もある。ただし、埋葬施設が粘土郭であれば花山8号墳の時期まで下ると考えられる。いずれにしても、4世紀末から5世紀初頭が紀伊における画期となるであろう。
(中略)
 6世紀初めになってそれまで花山丘陵に築造されていた古墳が谷を挟んで大谷山 → 大日山 → 前山へと順次その造墓活動の範囲を推移・拡張させている。その理由は判然としないが、墓域が狭小になったとも考えられる。この時期に横穴式石室が導入されるが、導入にあたっては前方後円墳において採用されている。花山丘陵に築造された花山6号墳(全長67m)、大谷山に築造された大谷山6号墳(全長約25m)、22号墳(全長80m)、27号墳(全長21m)、28号墳(全長25m)といった古墳がそれにあたる。岩橋千塚古墳群における導入期の石室は、羨道が片側に寄った構造であり、平面プランは長方形を呈するのが一般的である。
 大日山山頂に築かれた大日山35号墳全長100mを超える前方後円墳初期の横穴式石室を埋葬施設に持つ。大谷山22号墳とも合わせ、岩橋千塚古墳群における初期の横穴式石室の石梁は水平に懸架されていることが分かる。両古墳の先後関係については未だ決着をみていないが大谷山→大日山→前山へと古墳築造が推移することを考えれば大谷山22号墳、続いて大日山35号墳が築造されたとも考えることも可能であろう。しかしながら、これらの古墳はごく近い時期に築造されたと考えられる。この時期、福飯ヶ峯には前方後円墳井辺前山10号墳(井辺八幡山古墳 全長86m)が築造される。花山6号墳大谷山22号墳大日山35号墳天王塚古墳井辺八幡山古墳といった盟主墳と考えられる古墳がほぼ同時期に築造されるのは、前述したように紀氏が部族連合であったことを如実に物語っているものと考えられる。それぞれ花山丘陵岩橋山塊、福飯ヶ峯丘陵周辺に播居する紀氏集団内部で拮抗する力を有する首長が築造したと推察できる。
(中略)
 6世紀中ごろから後半にかけて、前山B53号墳(将軍塚)前山B67号墳(知事塚)前山B112号墳(郡長塚)等の古墳が岩橋の尾根筋に次々と築造される。井辺前山古墳群には井辺前山6号墳前方後円墳49m)が築造される。しかし、花山大谷山大日山井辺前山には前述の古墳を凌駕する古墳は築造されず、6世紀後半の寺内28号墳(全長28.6m)を最後に岩橋千塚古墳群では前方後円墳は姿を消し、以降、前方後円墳は築造されない。その後、岩橋千塚古墳群における首長墳は方墳へと移行する。寺内57号墳の石室規模は天王塚古墳と同規模で、7世紀代の井辺1号墳の石室もそれ以前のものに匹敵する規模を有していることが分かる。
大日山35号墳・前山A13号墳・前山A58号墳発掘調査報告書 - 全国遺跡報告総覧

 

 上記の紀伊風土記の丘による解説の中でも触れられていますが、大日山35号墳からは「翼を広げた鳥形埴輪」や「胡禄(ころく 筆者注:弓を入れる道具)形埴輪」、「両面人物埴輪」など非常にユニークな埴輪が発見されており、これらを含む埴輪25点、須恵器6点、埴輪や須恵器の破片12点が「和歌山県大日山35号墳出土品」として平成28年(2016)に国の重要文化財として指定されました。

bunka.nii.ac.jp

 こうした出土品は、2018年に東京国立博物館で「和歌山の埴輪 ―岩橋千塚と紀伊古墳文化」という特別展において展示されましたが、同館のブログではこれらの出土品について次のように解説されています。

 ここで、特集で展示をしている大日山35号墳出土の埴輪のなかから、代表的なものをご紹介します。
 まず重要文化財翼を広げた鳥形埴輪」です。

翼を広げた鳥形埴輪(東京国立博物館ブログより)

 古墳時代鳥形埴輪は数多くみつかっていますが、このように翼を広げてた鳥形埴輪は、全国的にみても珍しいものです。
 頭とくちばしの形状から、この鳥をタカとする見方があります。
 もしかしたら王(首長)が行う狩猟の際に、鷹匠の腕にとまらせたタカが飛び立った姿を表現したかったのかもしません。

続いては、重要文化財胡禄(ころく)形埴輪」です。

胡禄形埴輪(東京国立博物館ブログより)

 胡禄とは弓を入れる道具のことで、5世紀に朝鮮半島から伝来しました。
 同じ矢入れ道具である(ゆぎ)形埴輪は多く見つかっていますが、胡禄の埴輪の事例はほぼ皆無です。
 矢羽根を5本表現しており、勾玉(まがたま)や直弧文(ちょっこもん)で飾っています。

最後にご紹介するのは、重要文化財両面人物埴輪」です。


 

 
両面人物埴輪(東京国立博物館ブログより)

 大日山35号墳でしか見つかっていない、2つの顔をもつ不思議な人物埴輪です。
 顔には矢が刺さっており、痛そうです。しかも一方の顔は口が裂けています。首から下はみつかっておらず、どのような職掌の方なのかわかりません。『日本書記』には仁徳天皇の頃に、飛騨地方で1つの胴体に2つの顔をもつ人物(両面宿儺 りょうめんすくな)がいたという伝承があり、その関連が注目されますが、まだまだ謎に包まれた埴輪です。

 このほか力士など様々な埴輪や、朝鮮半島で作られた陶質土器鍛冶道具も展示していますので、ぜひ展示室にてお楽しみください。

www.tnm.jp

 

 このように大日山35号墳からはユニークな埴輪がたくさん出土していることから、古墳群を管理している紀伊風土記の丘では一般の方々に広く埴輪に親しんでもらおうと平成25年(2013)から「HANI-1(ハニ ワン)選手権」を開催しています。第14回となる今年の大会は、6月中に制作された埴輪が現在紀伊風土記の丘で展示されていて、8月9日まで人気投票を受け付けているとのことです。詳しくは同館のFacebookで告知されていますので、興味をお持ちの方はこちらも御覧ください。

www.facebook.com