生石高原の麓から

かつて開設していた個人サイト「生石高原の麓から」の内容をブログ形式に移行しています

市江地蔵 ~日置川町(現白浜町)市江~

  いまから数百年の昔。大阪淀屋の千石船が江戸へ向かっていた。ところが紀伊半島を回るころ、急に空模様が変わり、高波が出て、船は木の葉のように揺れた。

 

 船乗りたちは、逆巻く海にイカリを降し、必死で波と闘った。一夜明けてイカリを掲げると、その先に石の地蔵さんがかかっていた。やがて市江の港で船を修理し、船出しようと帆を上げたのだが、追い風が吹かない。仕方なく船で寝起きをくり返していたところ、ある夜、不思議な光彩に包まれた仏さまが現われ「願いおく。姿をここにおきの国。誓いもかたい石の御仏」と告げた。

 

 そこで、船乗りたちは、海が見える市江の岡に地蔵さんを安置したところ、急に風が吹き、船は帆をはらませたという。

 

(メモ:国鉄紀勢線日置駅から約15キロ。明光バスの市江バス停から徒歩で約20分。国道42号線から約500メートル谷間を下った左手の丘陵にある。)

 

※市江地蔵は、山陰地方を中心に海難除けの神として船乗りたちから信仰を集めた「焼火(たくひ)権現(焼火地蔵)」が由来であるとされる。焼火権現は、島根県隠岐島の沖合で火の玉が浮かび上がり、山上の大岩に飛び入ったことを縁起とする火の神で、隠岐にある焼火神社主祭神である。これを航海安全の神として祀る風習は江戸時代に全国に広がったものと思われ、和歌山県内でも市江のほかに日高町小浦の浄土院地蔵白浜町綱不知地蔵松の木地蔵など、類似の伝承が残されている。

※市江地蔵の表面には、海面近くの岩場に住むヤッコカンザシ(ゴカイの一種)の巣跡が見られることから、長期間にわたって潮の干満がある場所に置かれていたことがうかがわれる。

※メモ欄中バス停留所の名称は「市江口(明光バス白浜日置線)」

 

参考:先人たちが残してくれた「災害の記憶」を未来に伝えるⅤ -命と文化遺産とを守るために-【日高町白浜町平成31年(2019)1月17日 和歌山県立博物館施設活性化事業実行委員会)

 

*****

本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(※印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。