曲がりくねった県道を、ほぼ登りつくしたあたりに、庄司利一さんの家があった。 ある日、犬鳴山の近くで狩りをした紀州の殿さま。途中、ひと息入れた農家で、近くの山のクンノキダキ(栗の木谷)というところに大蛇がすむ~と聞いて、にわかに冒険心がわきだ…
神通へ向う打田線の途中。玉ネギ畑の奥の権現寺の土塀は朽ちかけていた。その境内右はずれの一角に、曽我十郎の愛人だったという虎御前の墓がある。
慶安2年(1649)、打田の村人たちは、過酷な年貢の取り立てに塗炭の苦しみを味わっていた。前年、禁伐の山から用材を伐り出せという代官の命令を断わったがための仕打ちだった。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。