生石高原の麓から

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竜の涙池 ~花園村(現かつらぎ町)峯手~

 「中野池」「弘法池」ともいう涙池は、飯盛山(標高888メートル)の中腹にあった。恋に破れた雌竜の涙の跡という、奇想天外なこのお話は、スケールが一段と大きくなる。

 

 主人公のがすんでいたのは、村の南端、白口峰(1109メートル)あたり。これが、北側の天狗岳(968メートル)にいた天狗に恋をした。ところが天狗には、高野の南にすむ弁天さまという恋人がいた。

 

 天狗岳からの帰途、涙した竜の頭のあったところが、峯手竜頭(りゅうづ)、尻尾が届いたのが東へ4キロ離れた新子竜ノ尾という。

 

 かつて深い山波が続いていたこのあたり。里人はそこに神秘的な池をみつけて、そんな話をつくったのだろう。だがいまは、池の前を舗装道が走り、山の下にはカラフルな家並が続く。そして夏ともなれば、ハイカーたちの明るい歌声でにぎわう。ただ、あたり一帯のみごとなスギとヒノキ林が、わずかに昔のおもかげをしのばせてくれるだけだ。

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

 

  • この池の所在地は不詳。現地未確認ではあるが、Gooleマップによれば、かつらぎ町花園梁瀬の峯手集落から峯手森林公園(現在は廃園)へ上る道路の途中(公園手前)に池があると思われる(国土地理院地図には池の表示なし)ので、これを指すものか。
  • 弘法大師空海)は、弘仁12年(821年)に満濃池香川県)の改修工事に別当(責任者)として携わっており、ここからの連想か、後に全国各地で「空海が拓いた池」、「空海渇水にあえぐ民のため、地に釈杖をついて水を湧き出させた弘法水)」等の伝承が生まれた。立正大学河野忠教授による「温泉・湧水にまつわる伝承と水環境(日本陸水学会講演要旨集 73 19 - 19 2008)」によれば、弘法水、またはこれに類似した伝承は全国で1400件ほど存在し、このうち和歌山県では138 件の伝承があるとする。本文の池が「弘法池」と呼ばれているのは、こうした伝承によるものと思われる。

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jslim/73/0/73_0_19/_pdf

  • 峯手森林公園は、合併前の花園村によって昭和54年(1979)に開設された。平成16年(2004)作成のかつらぎ町・花園村合併協議会資料(協議第26号-2各種事務事業(観光事業)の取扱いについて)によれば、案内所のほか、バンガロー7棟、炊事場1棟、便所2棟、休憩所3棟、駐車場1面などを備えていたとのことであり、本書(紀州 民話の旅)が発行された昭和57年(1982)当時は開設まもないこともあり、人気の施設であったものと思われる。
  • 飯盛山」の名称を持つ山は全国に数多くある。県内では、南北朝時代北朝方の佐々目憲法楠木正成軍と戦ったと伝えられる紀の川市飯盛山が有名であるが、Wikipadiaには和歌山県内で「飯盛山」の名称を持つ山は下記の6山が掲載されている。しかしながら、本文に掲載されている「飯盛山」はこれらとはまた異なり、かつらぎ町にある標高888メートルの山である。

    飯盛山 - Wikipedia

飯盛山(いいもりやま) - 海南市下津町にある標高440mの山
飯盛山(いいもりやま) - 海南市冷水にある標高30mの山
飯盛山(めしもりやま) - 田辺市にある標高341mの山
飯盛山(いいもりやま、いいもりさん) - 紀の川市にある標高745.7mの山
飯盛山(いいもりやま) - 有田川町にある標高800mの山
飯盛山(いいもりやま) - 日高川町にある標高520mの山

  • 白口峰(しらくちみね)は、かつらぎ町の最南端に位置する標高1110メートルの山。和歌山県奈良県との県境に沿って北から陣ヶ峰水が峰白口峰護摩壇山と1000メートル級の山並みが続き、紀伊山地の中核をなしている。
  • 天狗岳(てんぐだけ)は、かつらぎ町高野町との境界にある標高968メートルの山。旧花園村の中心地であった梁瀬地区からみれば、村の北端にほど近い山であった(実際の旧花園村の最北部は東側に所在する久木地区にある)。かつらぎ観光協会のWebサイトによれば、この山には次のような伝承があり、本文にあるようにこの山に住んでいた天狗が弁天岳との間を往来していたとされる。https://www.katsuragi-kanko.jp/search/sizen/%E5%A4%A9%E7%8B%97%E5%B2%B3/

昔、天狗がこの山の岩穴に住んでいて、高野の弁天岳と往来していたという伝説があり、山名もこれに因んで名付けられた。前岳後岳の二峰に分かれ、後岳の頂上(967.8メートル)に2等三角点の標石があり、高野山への自動車道や大門付近の町石道からの眺めは見事である。

  • 本文にある「高野の南にすむ弁天」については不詳。高野山を取り巻く「八葉の峰今来峰宝珠峰鉢伏山弁天岳姑射山転軸山楊柳山摩尼山)」と呼ばれる山々の中に「弁天岳」があるが、この峰は地理的には壇上伽藍の北西にあたる。
  • 伝によれば、空海高野山を開創するにあたり、山内に7か所ある水源の尾根や支流弁財天を祀ったとされる。これが「高野七弁天」と呼ばれるもので、綱引弁天尾先弁天首途(門出)弁天丸山(圓山)弁天湯屋谷弁天祓川弁天嶽弁財天の7社である。このうち、「嶽弁財天(だけのべんざいてん)」が前述の弁天岳の頂上に祀られている。江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊風土記」には次のように記述されており、妙音坊という天狗が弁財天社を常に守護しているという。

嶽弁財天社

大塔の乾(筆者注:北西)十五町許(ばかり)にあり
傍に小祠七社あり
相伝ふ 
大師 仏法紹隆福田のため 
宝珠を此峰に痊埋し 
宝瓶を安置して天女を勧請す
其後 
妙音坊といふ天狗常に守護すといふ
嶽は当山第一の高峰なり

  • 現地の説明板によれば、弘法大師空海)が弁天岳に埋めたとされる宝珠は、大師が大和の天河弁財天に千日参籠したときに用いたものであるとされる。このことから、本文でいう「弁天」が天河弁財天であると解釈することもできるが、地理的には天河は高野山の真東にあたるため、方角は一致しない。
  • 竜の尻尾が届いたとされる「新子(あたらし)」は珍しい地名であるが、「和歌山県地名大辞典 角川書店 1985」によれば、その由来は次のとおりとされる。

とも書いた。有田川上流の山間部の山腹平坦地に位置する。地名は、旧花園荘の中では集落の成立が比較的新しかったことにちなむと思われ、金剛寺・池の窪・西垣内・堂垣内に宮座ができ、鎮守の厳島神社を勧請して村を開いたという。なお伝承では、弘法大師梁瀬に遍照寺を、当地に金剛寺を建立したのち高野山に登ったという。

(筆者注:両寺院の名前をあわせると「遍照金剛」となり、これは、密教の最高仏である大日如来の呼び名であるとともに空海弘法大師)が師・恵果から与えられた金剛名号(正式な後継者となったことを示す名)でもある

  • 新子地区周辺地域は、昭和28年(1953)7月17日から翌18日朝にかけて和歌山県北部で発生した大水害(紀州大水害28水害7.18水害などと呼ばれる)において壊滅的な被害を受けた。和歌山県砂防課による「昭和28年7月有田川災害のその後(砂防学会誌 1994年47巻第4号 .49-54_2)」によれば、その被害は花園村と高野町の一部において死者・行方不明者111人重軽傷者320人全壊家屋320戸半壊家屋109戸となっている。当時の花園村の人口は2,080人であったことを考えると、この被害は極めて甚大なものであった。またこのとき新子地区で発生した土砂崩れ深層崩壊)により有田川が堰き止められて生じた天然ダム金剛寺新湖)は、高さ約60メートル、堰き止め長さ500メートル、堰き止め幅480メートル、推定湛水量1,700万立米という巨大なもので、発生から69日後に襲来した台風によって決壊し、新たな被害を生じさせた。これは我が国における戦後最大規模の天然ダム決壊であった。(平成25年8月5日 国土交通省水管理・国土保全局砂防部 ほか発表資料 インドネシアにおける天然ダム決壊の規模は我が国の戦後最大規模の天然ダム決壊(昭和28年和歌山県有田川災害)に相当することが判明)

    http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/kisya/journal/kisya20130805.pdf

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。