生石高原の麓から

かつて開設していた個人サイト「生石高原の麓から」の内容をブログ形式に移行しました

’98 FIA GT選手権第6戦 SUZUKA 1000Km(1998.8.23)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1998年8月に鈴鹿サーキットで開催された「FIA GT選手権第6戦 Suzuka 1000Kmレース」の話題です。

 

 鈴鹿サーキットで毎年8月に開催されている1000km耐久レースについては、以前、1996年の「'96 POKKAインターナショナル1000km耐久レース」に関する記事の中で詳述したところですが、時代にあわせて様々な変遷を遂げつつ1966年から2017年まで46回にわたって開催された名物レースです(後継の耐久レースも開催されていますが、2020、2021は新型コロナウィルス感染防止のために中止となりました)
’96POKKAインターナショナル1000km耐久レース(1996.8.25)

 

 今回取り上げる1998年のレースは、前年と同様に国際自動車連盟FIA)が主催する正式な選手権レース「FIA GT選手権」の1戦として開催されたため、世界中から強豪が集まる注目のレースとなった反面、このレースの魅力であったある種牧歌的な雰囲気が無くなったという残念な部分もありました。

 近年、自動車産業も厳しい状況となり、モータースポーツ人気もやや低調となってきたことを考えるとこうした国際的なレースが身近で開催されること自体が非常にありがたいことだったのですが、まだまだこの時期はそのありがたみを十分に認識できていなかったというべきでありましょう。

 

 こうした背景も踏まえて当時の記事をご覧いただけると幸いです。

 

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1998 FIA GT選手権シリーズ第6戦
SUZUKA 1000Kmレース

 

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 今年も鈴鹿1000Kmの季節がやってきました。真夏の終わりに開催されるこのレースは既に30年以上の歴史を有していますが、去年からはFIA-GT選手権の一環として開催されるようになり、世界の強豪を間近に見られる貴重なイベントとなりました。
 その反面、トヨタニッサンなどの国内ワークスチームが参加を見合わせるようになり、また「参加することに意義がある」と考えて一年に一度のお祭りとして参加するプライベートチームが大幅に減少したのは寂しいことでもあります。
 昨年は、メルセデスが圧倒的な強さをみせて1-2フィニッシュを決めましたが、今回はワークスのほかに、チーム・パーソン・モータースポーツからも昨年型のメルセデスが2台エントリーしており、今年も万全の姿勢で臨んでいます。
 唯一メルセデスに対抗できる可能性をもっているのが耐久レースの雄、ポルシェです。FIA-GT選手権では、鈴鹿を除く全てのレースが500Kmの距離で争われるのに対して、今回は倍の1,000Kmレースということで、耐久性を武器になんとかメルセデスの牙城に迫りたいところです。
 ところが、いざレースが始まってしまうと、メルセデスは速い、速い。前半ポルシェもなんとかついていきますが、結局最後までゼッケン1のAMGメルセデスは一度もトップを譲ることなく、淡々とゴールまでノートラブルで走りきりました。さらに、2位もAMGメルセデス、3位にはレース終盤で辛うじてゼッケン11のパーソン・メルセデスをかわしたポルシェAGがはいりました。

 期待の日本勢はというと、2週目に土屋圭市が駆るIDCサード・スープラがコースアウト、長時間ピットに張り付きっばなしになり、コース復帰は果たしたものの順位を大幅に落としたほか、チーム国光レイブリックNSXも最初のピットイン直前にエンジンブローでリタイヤするなど散々な成績でした。
 実は、NSXがリタイヤした後、いつもの「お昼寝モード」に入ってしまったので、レース経過はあんまり追ってなかったりするのです(^^ゞ。だから、今回は、トピックを中心にレポートさせていただきます。

 

SUZUKA 1000Km 決勝結果
 順位   No.  ドライバー チーム
マシン  
 1位   1   ベルント・シュナイダー 
 マーク・ウェーバー 
 AMGメルセデス
 メルセデスCLK LM 
 2位   2   クラウス・ルードヴィッヒ 
 リカルド・ゾンタ 
 AMGメルセデス
 メルセデスCLK LM 
 3位   7   ヤニック・ダルマス 
 アラン・マクニシュ 
 ステファン・オルテリ 
 ポルシェAG
 ポルシェ 911 GT1 98 

 

 

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 圧倒的な速さと安定性を見せつけて一度もトップを譲る事なく優勝したゼッケン1のメルセデスCLK LM
 その名(LM)のもとになったであろうと思われるル・マン24時間レースでは早々に2台がリタイヤし、思わぬ脆さを見せたメルセデスですが、FIA GT選手権ではこれまで5戦5勝。鈴鹿が終わってみれば開幕以来負け知らずの6連勝という憎たらしいまでの強さでした。
 今回のレースは、メルセデスのディーラーから招待を受けたお客さんが多かったようで、場内のあちこちでメルセデスの旗が振られていましたが、こうしたお客さんにとっては十分満足のできるレースだったのではないでしょうか。とはいえ、一番喜んでいるのはディーラーの方々なんでしょうが・・・。でも、たしかに普通の人からみれば、あのオッサングルマの「ベンツ」がポルシェよりも速いスポーツカーだったなんて、驚くよりほかに無いことなんでしょうねぇ。

 

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 昨年型のメルセデスCLK-GTRを走らせるチーム・パーソン。ゼッケン12は7位、もう一台のゼッケン11は4位でフィニッシュしました。
 しかし、昨年この鈴鹿CLK-GTRを見たときは「純粋なレーシングカーとして作られたこんな怪物マシンを市販GTと呼んじゃマズイんじゃないかい?」と思ったものですが、今年のCLK-LMを見てしまった後ではなんだか普通の乗用車に随分近いように思ってしまうのは私の感覚がおかしくなってしまったのでしょうか(^。^)
 上の写真と見比べて見て下さい。どうですか、あなたにもそう思えませんか?

 

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 メルセデスに追い立てられて、タイヤスモークを上げるほどの急ブレーキでヘアピンをクリアしていくゼッケン7のポルシェ
 ポルシェといえば耐久レースの代名詞でもあると言えるほどレースを知り尽くしたチームですが、ここのところメルセデスには苦汁を飲まされ続けています。残る4戦でポルシェの逆襲はなるのでしょうか。がんばれ、ポルシェ

 

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 夕闇が迫る中、チェッカーを受けたマシンがウィニングランを終え、スタンド前のコースサイドにまで降りてきた観客の前を通り抜ける。
 派手なカラーリングで一番目立っていたゼッケン70マーコスLM600は、オランダ人のコル・オイサー率いるマーコスレーシングチームのマシン。場内放送の与太話によれば、GT2クラスのポール・ポジションを獲得したものの、記者会見に現れた姿を見てもメカニックに見間違えられるぐらい「ただのおじさん」にしか見えなかったと言われるほど素朴でアマチュアリズムにあふれたチームですが、決勝でも2台のバイパーに次いで10位、GT2クラス3位でフィニッシュ。きちんと結果を残すところが立派です。

 

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 総合優勝の表彰台に上ったのは、1メルセデスベルント・シュナイダーマーク・ウェーバーシュナイダーF1ザクスピードチーム鈴木亜久里のチームメイトであったことから日本人でも知っている人は多いんですが、マーク・ウェーバーは多分本邦初登場でしょう。8月27日で22歳になるという若いドライバーですが、シュナイダーによれば「きっとF1に上っていく才能溢れるドライバーだ」ということですから、今からチェックしておく価値はあるかもしれません。
 なにしろ、メルセデスの耐久チームといえば、その昔世界スポーツカー選手権(WSC)に出場していたメルセデス・ジュニア・チームに、ミハエル・シューマッハハインツ・ハラルド・フレンツェンカール・ベンドリンガーの3人が同時に在籍していたくらいですから、才能の宝庫であることは間違いないでしょう。

 

Today's Topics

 

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 実は、今回鈴鹿へ行ったのは、このマシン(と次のトヨタのマシン)を見るというのが大きな目的の一つでした。
 このマシン、ニッサンR390 GT1 は、今年のル・マン24時間レース星野一義鈴木亜久里影山正彦の3人が乗って3位入賞を果たしたマシンです。普通はオーバーホールなどの作業を済ませて綺麗にしてから展示されることが多いのですが、このマシンはどうやらル・マンを走りきったそのままの姿で展示されていたようです。フロントカウルの無数の傷が、激戦のル・マンを物語っていました。

 

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 今年のル・マンでラスト1時間半までトップを快走し、突然のトラブルでリタイアに追い込まれたものの、驚異的なスピードにライバル達が震撼したトヨタの必殺ウェポン、トヨタTS020
 一応、「GTカー」というカテゴリーに入っているからには、このマシンにはちゃんと市販バージョンがあって、ナンバーのついた車両が存在しているんですが、いくらなんでも、このマシンにナンバーつけて街中を走らせるっていうのはそもそも無茶な話のような気が…………(^^ゞ

 

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 耐久レースでは、しばしば懐かしい顔に会えるというのが楽しみの一つです。
 今年、ピットウォークで会ったのは、ジェフ・リースダビドフマクラーレンでした。81年ヨーロッパF2チャンピオン、83年全日本F2チャンピオン、88年・89年全日本GCシリーズチャンピオンと輝かしい成績を残しながら、F1へステップアップするチャンスを逃してしまった悲運のドライバーというイメージが強いのですが、次々と訪れるファンにサインを書き続けている横顔を見ていると、すっかりいい「おじさん」になってしまったなあと思ってしまいました。
 確かに、1951年生まれの47歳。「おじさん」といわれても仕方ないんでしょうね。レースでは残念ながら106周でリタイヤになってしまいましたが、今後ともずっと現役を続けてほしいドライバーです。

 

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 最近はすっかり「ビートたけしの義弟」という紹介もされなくなってしまった松田秀士。日本のレース界がずっとヨーロッパ指向を続けているなかで、インディカーレース(最近は、チャンプカーとかCARTとか言うんですが)などアメリカンレースにもチャレンジを続けているドライバーです。
 今回もヴァイパー・オレカ・チームからカール・ヴェンドリンガージャスティン・ベルというトップドライバーとともにクライスラー・ヴァイパーGTS-Rを走らせましたが、結果は10位で、GT2クラス2位の座を獲得。見事に表彰台に上りました。

 

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 顔だけ見てればかなりヤバそうな(^^ゞ不良中年に見えてしまうのが、「白子(しろこ 地元である鈴鹿市の地名)の星福山英朗。78年FL500を皮切りに、全日本F3ルマン24時間JSPC(全日本スポーツプロトタイプ選手権)全日本F3000などトップクラスのレースへの出場経験を持つベテランですが、最近は、「NASCARサンダースペシャ鈴鹿」でストックカーレースにもチャレンジしていることでも注目されています。
 また、「鈴鹿サーキット・レーシングエクスペリエンス」という一般の観客を対象にしたレース体験プログラムのドライバーを勤め、レースファンの底辺拡大にも一役買っています。
 福山選手がドライブしたチーム・ダイシン・シルビア(N-GTクラス)は、同じクラスのNSXスープラポルシェといったライバルがトラブルで順位を落とす中、ほとんどノートラブルで走りきり、見事に総合18位、クラス優勝を果たしました。表彰台のインタビューで「これだけ多くのファンが最後まで応援してくれて、日本のレース熱はまだまだ冷めていないことが判った」と答えるなど、実は、この人すごく思いやりのあるいい人なんですよ。

 

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 本文の冒頭では1998年型のメルセデスCLK LMと前年型のCLK-GTRの比較を行ってその大きな変化に驚いていますが、この翌年、メルセデスCLK LMをさらに進化させたメルセデスCLRを開発してル・マン24時間レースに投入します。しかしながら、そのあまりにも過激な設計が災いしてレース中に衝撃的な事故を起こし、これをきっかけとしてメルセデスル・マン24時間レースから完全撤退することになりました。このあたりの経緯は以前紹介した「’98全日本GT選手権第1戦 鈴鹿GT 300Km」のピーター・ダンブレックの項をご覧ください。
’98全日本GT選手権第1戦 鈴鹿GT 300Km(1998.3.22)

 

 

 今回のレースで表彰台の中央に上り、新進気鋭のドライバーとして紹介したマーク・ウェバー(Mark  Webber 本来は「ウェバー」と表記するべきであるが、日本ではしばしば「ウェーバー」と表記・発音される)。この年は鈴鹿を含む5戦で優勝し年間ドライバーズランキング3位となります。1999年もメルセデスチームからル・マン24時間レースに出場したのですが、上記のメルセデスCLRの設計に起因する事故のため決勝レースを棄権、失意のレースとなりました。
 しかし、その後F3000で実績を残し、2002年にミナルディチームからF1にデビュー。2003年にはジャガー、2005年にはウィリアムズ、2007年にはレッドブルと徐々に実力あるチームへとステップアップし、2013年末に引退するまで215戦に出場、優勝9回、ポールポジション13回、表彰台(3位以内)42回という華々しい活躍を見せてくれました。年間ドライバーズランキングでは3位を3回(2010,2011,2013)とチャンピオンにはあと一歩届きませんでしたが、今回のレースで同僚のシュナイダーが「才能溢れるドライバーだ」と評価していたのは見事にその資質を見抜いていた発言であったと言えるでしょう。
マーク・ウェバー - Wikipedia

 

 

 「Today's Topics」の項で紹介した2台のマシン、ニッサン R390 GT1トヨタ TS020(正式名はトヨタ GT-Oneだが、型式名から TS020 と呼ばれることが多い)は、いずれもこの年(1998)のル・マン24時間レースで活躍した車両です。

 1986年から本格的にル・マン24時間レースへの挑戦を始めたニッサンは、1997年のレースに新開発の R390 GT1を投入し予備予選でポールポジションを獲得しましたが、決勝では出走3台中1台が完走扱いとなったものの12位と不本意な結果となってしまいました。
 捲土重来を期して臨んだこの年、1998年は安定した速さをみせて星野一義鈴木亜久里影山正彦という日本人ドライバーチームの32号車が3位に入賞し見事に表彰台の一角を占めました。日本人ドライバーだけで構成されたチームがル・マンの表彰台に上るのはこれが初めてのことでした。(ちなみに、ル・マン24時間レースで初めて総合優勝を果たした日本車は1991年の マツダ787B(ドライバーはフォルカー・ヴァイドラー、ジョニー・ハーバートベルトラン・ガショー)で、日本人ドライバー初の総合優勝は1995年にヤニック・ダルマス、J.J.レートとともにマクラーレン F1GTR を操縦した関谷正徳です。)

 この年の活躍でニッサンル・マン表彰台の常連になるかと思われたのですが、残念ながら現在までこの時の3位表彰台というのがニッサンル・マンでの最高成績となってしまいました。その後、2012年には奇妙な形をしたニッサン デルタウイング(章典外参加)、2015年には実質的にFF(フロントエンジン・ フロントドライブ)ニッサン GT-R LM NISMO といった「イロモノ」的なマシンでの参戦もありましたが、これを除けばずいぶんとル・マンから遠ざかっているのは残念なことです。
ルマン24時間に参戦した日産の名車とは?1986年から続く同社とレーシングマシンの挑戦を、振り返ります! | Motorz(モーターズ)- クルマ・バイクをもっと楽しくするメディア - Part 2

 

 1998年のル・マン24時間レースにおいて、一時は1台がトップを走行していたもののトラブルによりリタイヤし、出場3台中ようやく1台が完走したものの順位は9位と苦杯をなめたトヨタですが、こちらは諦めることなル・マンへの参戦を継続しています。その結果、2018年には見事にトヨタ TS050-HYBRID が1-2フィニッシュを決めて初優勝を果たしました。これにより、セバスチャン・ブエミフェルナンド・アロンソとともに優勝した8号車を操縦した中嶋一貴(元F1ドライバー中嶋悟の長男)は、日本車でル・マン優勝を果たした初の日本人選手となりました。
 トヨタはその後2021年までル・マン24時間レースを4連覇。中嶋一貴は2018年~2020年まで3年連続のチャンピオンドライバーとなり、代わって2021年には小林可夢偉マイク・コンウェイホセ・マリア・ロペスとともに頂点の座をつかみました。
トヨタがル・マン24時間に残した軌跡 - 35 years of TOYOTA at Le Mans 24h - | スペシャルコンテンツ | WEC | TOYOTA GAZOO Racing
ル・マン4連覇!小林可夢偉にとってもトヨタにとっても「7号車」の勝利には格別の意味が。そもそもなぜ「7」と「8」なのか? | Motor-Fan[モーターファン]

 2018年以降、ル・マン24時間レースにワークス(メーカー直営)チームとして出場するのはトヨタ一社になってしまい、事実上ライバル不在のレースであったことを理由にトヨタの4連覇の価値を軽んじる声も一部にはあるものの、いくら巨大メーカーであったとしても24時間レースを勝ち切ること、しかも4連覇することが容易なことであるわけがありません。これはやはり素直に称えられるべき偉業といえるでしょう。
ル・マンで4連覇、偉業に賞賛の声!「ライバル不在で勝っても」という意見は激減?(辻野ヒロシ) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 

 本文で「懐かしい顔」として紹介していたのがジェフ・リース。古くからのモータースポーツファンであれば、1968年をもって第一期F1参戦を終了したホンダが再びF1に復帰するにあたり、その前哨戦として参戦したヨーロッパF2選手権で大活躍したドライバーであることはよくご存じでしょう。
 ホンダエンジンを搭載したF2マシン・ラルトRH6ホンダは1980年6月にイギリス・シルバーストーンサーキットの「マルボロF2トロフィー・レース」でデビュー。この年のドライバーはナイジェル・マンセル(後の「荒法師」と呼ばれるような激しいドライビングはまだ見られず、むしろ「堅実だが地味な若手ドライバー」という印象でした)でした。この年は4戦に出場して最終戦で2位を獲得したのが最高成績です。
 そして翌1981年、ジェフ・リースマイク・サックウェルをドライバーに迎えたラルトチームは、初戦でサックウェルが優勝(他に3位が2回)、第7戦・第9戦・第10戦でリースが優勝(他に2位が3回)と抜群の強さを見せ、リースが見事に年間チャンピオンの座を獲得しました。
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 1982年には念願のF1にスポット参戦しますが、残念ながら目立った成績を残せずにF1からは撤退。翌年の1983年から日本に活動の場を移し、全日本F2選手権を主戦場として活躍を始めます。
 この年、日本のレース界では中嶋悟星野一義という二人のスター同士の争いに注目が集まっていたのですが、この間に割って入ったのがジェフ・リース。全8戦中4戦で優勝するという大活躍をとげ、ダークホースながら年間チャンピオンの座を獲得しました。
 これ以後、ジェフ・リースは主に日本を拠点として活動を続け、全日本F2選手権/全日本F3000選手権全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権世界スポーツプロトタイプカー選手権/スポーツカー世界選手権ル・マン24時間レースなど様々なカテゴリーで活躍しました。
 下記のWebサイトではジェフ・リースについて「これだけ長い間、国内の第一線で活躍を続けた助っ人は他にいない」と評していますが、それだけ日本人ファンにはなじみの深いドライバーであったと言えるでしょう。
モータースポーツヒストリー - 1983年 - DUNLOP MOTOR SPORT(ダンロップ・モータースポーツ)